ファンタジー・ワールドの誕生 解説その8 まとめ


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ファンタジー・ワールドの誕生。解説その8。今回は、まとめとなります。

【評論文の勉強法】

ああ、そうか。そういうことを言っていたんだ。理解できた!!

と、きっと解説をここまで読んできたあなたは、そう思うことだと思います。

それは別に悪いことではありません。むしろ、解らなかった文章が解る様になったことは、とってもいいことです。そのために頑張って書いたんだし。

けれど、ここでちょっと考えてみてください。

これが数学だったら、どうでしょう。

解らなかった定理や方程式が解って、使えるようになったら、あなたはどうしますか?

数学の良いところは、類似問題がとても沢山あるところです。一つの方程式に対して、それこそ山のように問題が沢山ある。なので、「理解出来た!」=「問題解けた!」=「もう一問!」と続きます。

しかも、一人でこれが出来るし、問題集も分厚いのを持ってます。それこそ、人が殺せそうなぐらいの分厚いやつ。

けれど、国語はそれに対する問題集ってありません。精々、受ける模試の過去問があるぐらいで、演習問題がくっついていても、答合わせが自分でそもそも出来なかったり、記述だと一体自分が何点取れるのかが解らなかったりすることがあります。

そう。

数学は解った瞬間に、次の演習問題に進める。練習が出来る。だから、出来た!って実感できる。

国語。特に現代文は、解った瞬間に、「ああ、そういうことだったんだ」と解って、「次、どんなお話なんだろう」って中々行けない。練習出来ない。つまり、その場で納得して、止めちゃう。

これはとっっっっても、もったいないです。

-まとめを自分で作ろう-

ずっとこのブログで書き続けている様に、読んで理解するインプットと、自分の解ったことを要求された通りに書き表すアウトプットは、全くの別物です。

読んで解った=書けるようにはならない。

多くの受験生は、「何となく解ってるんだけどなぁ」「まぁ、点数は取れなかったけど、理解できてるから、まっ、いいか」と理解をゴールにしてしまう。

それだと、点数には繋がらないんです。

で、読んで理解しても、点数が上がらないからモチベーションが下がり、国語が嫌いになり……と、坂を転げ落ちるようになってしまう、という道が出来てしまいまして(笑)

なので、そこからの脱出の方法は、自分の手で実際に書いてみることです。

ノートでも何でもいい。教科書の文章と、辞書だけを使って、ざっと内容をまとめてみる。

この時に、右から左に言葉を写すのではなく、自分の言葉でまとめてみること。

それを続けていくと、本当に変わってきます。理解をしたら、アウトプット。「書く」と言う事を、意識してみてください。

では、まとめに参りましょう。

【まとめ】

まとめは、段落ごとに短くまとめてみます。

-第1段落-

パプア・ニューギニアのセピック川周辺に、西欧人達が不似合いとも言っていい豪華な客船で観光に訪れている。彼らの顔は一様に明るい様子。

-第2段落-

観光旅行のパンフレットの文面。
内容は、未開文化を楽しめる事。そして、お土産物を購入できること。

それら「食人族ツアー」の様子を撮ったオクールの映像作品は、現代の観光客達がどのようにして「プリミティヴ」(原始的な)世界と関係を打ち立てるかを、表している。(要旨にも関わる部分を、きちんと此処で示唆している)

観光客達の特徴的な行動の一つは、写真撮影。




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-第3段落-

写真撮影の目的。

観光で出会った原始人、未開人達を、写真に切り取ることで、彼らの文化背景を削ぎ落し、無色透明のアイテム化をすること。

彼らがどう思おうが関係なく、持って帰ってそれを色んな事に使う為に、撮る。(SNSに上げたり、友達に見せたり、飾ったり。そこに、撮られた人のプライバシーや感情は全く考えられていない)

もうひとつは、カメラ=防御装置。
写真を撮っていること自体が西欧人達が自分を守るための、防衛行動。

ジャングルでの生活に相応しくない。なじめないのは、西欧人達の方。だから、

慣れない場所だから、色んなものを見たり触れたりすることで襲ってくる、本能的な恐怖から自分を守るために、カメラをかまえて、そのファインダー越しに見ている。

-第4段落-

もうひとつの観光客の行動。買い物の意味。

「値切る」という行動が指し示すのは、なんなのか。

観光客達は値切ることによって、その経済的「差異」=文化的「差異」として捉えるので、驚くほど低い値段で買い、自分達の文化はこれほど優れているのだと、優越感を抱き、満足する為に値切っている。

 

-第5段落-

現地人にとっては、金を無限に持っていそうな西欧人たちが「値切る」のが、理解出来ない不思議な行動に映る。

だって、自分達は買い物をする時に、値切るなんて行動はしたことがないから。

-第6段落-

ニューギニアの子供の言葉。

西欧人=昔、稼いだ=現在も金持ち=移動の自由がある=観光が出来る。
現地人=昔、搾取された=現在も貧乏=移動の自由がない=この場所から移動が出来ない。観光なんか無理。

という、見事な対比。

-第7段落-

「植民地主義」=西欧人=かつて植民地の宗主国
「土着性」=現地人=かつて植民地支配をうけた国々

過去の政治政策が、人々経済的事情にリンクし、文化、生活、考え方にまで影響を与えていることを、この子供の言葉が表している。

 

-第8段落-

現代の「観光旅行」は権力システムの縮図。

権力を持っている方が、「観光」をし、持っていない側が、「観光される」側となる。

他者を支配したい。その権力を拡大したい。意のままにしたいという願望が、「未開文化」を想像力で産み出した。(未開文化がなければ、観光旅行にいけないから)

植民地主義⇒人類学⇒観光旅行

と形を変えて、その支配欲。優越感を得られる行動の呼び名を変えていく。

この優位性。優越感を満足させるために、永続的に「未開文化」「ファンタジー・ワールド」は創り続けられる。もう、そんなものは存在しなくても、勝手に「未開文化」を創りつづける。創り上げてしまう。

-第9段落-

帝国主義的考え方が、現在にも残っている事を指摘。(帝国主義と植民地主義は、ほぼセット)

元々は、支配力を拡大したい。他者を支配したいという欲望が、人類学と観光旅行を創った。

この二つは、同じものを原因とする、一卵性双生児。見た目が少し違うだけで、中身はそっくりだと言うこと。(西欧人が自身の優位性を満足させるための道具でしかない)

 

-第10段落-

 

だが、オクールの映像が指摘するのは、もっと細かいこと。(つまり、第8~9段落は筆者の見解であることを示唆)

「観光」は未知なもの。知らないものを知るために行く行動ではない。

既に知っている。知り過ぎているもの。明らかに自分達とは全く違う「差異」を確認しに行くための行動であり、「差異」を物理的に視界で確認できる「写真」や、購入した民芸品の「値段」は、自分達の優位性を確立できる、何よりも大事な証拠であり、観光客の最大の関心ごとである。

【観光とは】

観光に対して、ここまで私達って考えますかね?

「これ、安かったのよ~」「これ、旅行で撮ってきた写真なの」

と何かを見せる行為は、つまりは、「私達って、とってもお金持ちで、とっても文化的に品があって、自分達は素晴らしい人間なんだよ」って自慢をしたいが為に旅行に行く。

まるで大航海時代に、植民地から現地のものをありったけ船で持って帰って来た自分達の祖先と同じ様に、民芸品を「値切って」買ってくる。それを自慢したりする。

なんら変わりない、搾取の精神がそこにはある、と指摘されると、思わず自分の行動を振り返りたくなりますよね。

個人的な体験ですが、昔、大英帝国博物館に三日間通い詰めて、一日10時間近く歩きまわって、散々展示物を見続けた経験があるのですが、正直エジプト館やギリシャ館を回っている時、笑いが込み上げてきたのをちょっと思い出します。

「イギリス人って、馬鹿なの?? あほなの???」

と真剣にその時、思いました。

だってさ、普通幾らそれが素晴らしいものだったとしても、建物の門をそのまま持って帰るか?? どうやったら、こんな巨大なもの、そのまま持って帰ろうなんて考えが浮かぶのよ???ってぐらい、巨大なものが山のようにあったんですね。

アッシリアの門がそのまんま建物のなかにあったときには、ほんとに口あけてねぽっかーんと観続けたのを思い出します。

きっと、大航海時代に日本がイギリスに支配されていたとしたならば、東大寺の大仏や、南門の阿吽像は、きっと持ってかれたんだろうなぁ。法隆寺を全部持っていくぐらいやりそうだと、本気で思いました。

その時の感覚を、恐らく今も残している。何処か知らない場所に行って、必ず戦利品を奪って帰る。それが、今では、写真と言う切り取るアイテム化と、値切りまくったお土産の民芸品になっている、のでしょう。

つまり「観光」=自分達の優越感を満足させるためのもの。

筆者はそう言っているんですね。

【評論文を学ぶということは】

っなこと、考えつくかよ!!

と思うかもしれません。極論過ぎないかと思うのも、自由です。

けれど、君たちに課せられたものは、「相手の書いた文章を正確に理解すること」「そして、それを物理的に証明すること」です。

「解ってます!」と口だけだったら言えますよね。

だから、「証明して見せてね」と記述問題が来る。そして、書けなくても「解ってんだから大丈夫」なんて、言えないんですよね。証拠出せないんだから。

理解し、その証拠を誰が見ても間違いのない形で出す。つまり、書いて文章にすること。ここまでがワンセットの勉強です。

筆者を批判したいなら、筆者と同等の調べ物をし、同じレベルの文章を評論として書いて、批判をしてください。それが正当な批判のやり方です。代案が出せないのに、批判をするのは見苦しい限りです。

まず、この文章を書いた筆者に敬意を示し、真摯にその文章の内容を理解して、文章として書いて出せる様になる。

自分の意見を言うのは、そこからです。

まとめ、頑張って書いてくださいね。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

ファンタジー・ワールドの誕生 解説その1

ファンタジー・ワールドの誕生 解説その2

ファンタジー・ワールドの誕生 解説その3

ファンタジー・ワールドの誕生 解説その4

ファンタジー・ワールドの誕生 解説その5

ファンタジー・ワールドの誕生 解説その6

ファンタジー・ワールドの誕生 解説その7

 


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