夏目漱石「こころ」22〜垣間見える執着心~

こころ

「こころ」解説その22。

今回は、Kの自殺が演出で有ったとして、先生の行動を予測し、恐らく自分の死んだ身体よりも先に遺書の方に行き、先ず自分の立場を確保する行動に出るだろう。

そして、ほっと安心した瞬間に自分の遺体と、その後ろに飛び散っているであろう血潮を見たとするのならば、先生はどのように感じるだろうか。どのような感情を抱き、これからを生きていくだろうか。

そうKが想定していたとして、その後の先生の人生を追っていきます。

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【Kの死後】

この部分から、教科書には小説の全文は載っていません。けれど、大概の教科書は抜粋でその後どうなったのかが、ダイジェストで載っています。

Kの自殺後。

先生は先ず奥さんに連絡し、更に曜日も日曜日で有ったことから、学校も休みの日です。時間に多少余裕があるので、もし先生が夜中に起き、Kの遺体を見つけ無かったとしても、奥さんがKを起こす為に、先生よりも早くKの部屋に行くことは先ず無い日です。

冷静にそこまでちゃんと計算していたのが、またしても伺える部分。たまたま、と判断してしまうには、余りにも用意周到です。

奥さんと相談し、警察を呼び、そして遺体を処置した後。Kの遺体は雑司ヶ谷に葬られます。生前、Kが気に入っていた場所であり、先生は亡くなる直前まで、このKの月命日にこの雑司ヶ谷を一人で訪れるように成ります。

つまり、ずっとこの友人の死を引きずって生きていた。引きずり続けて生きていた。

その後、先生は大学を無事卒業し、(同年入学だったKも卒業予定で有った筈)無事、お嬢さんと結婚し、この下宿を離れて、新居に居を構えます。

そして先生の理想通りの幸せな日々が、続いていくはずだったのですが……

そうはならなかったのです。

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【先生を追い詰めていったもの】

小説は、基本的に無意味な描写は一切ありません。逆に言うのならば、全ての表現に何かしらの意味があるのです。何も無かったとしても、小説家がその描写を好んだ、という理由がちゃんとある。

そして、今読んでいるのは明治の文豪夏目漱石の作品です。

どう考えても、漱石が無意味にKの自殺した夜をちゃんと土曜日の夜だと描写するのは、おかし過ぎるのですね。曜日の限定がされているのもこの部分のみだけですし、Kは狙って土曜日に死んだとして、奥さんに発見される事を極力避けた。

先生に、必ず見つけて欲しかったことが、あげられます。

何十年も経った今でも覚えているKが死んだ曜日。

それも、普通だったら「明日は休みだ!!」とテンションが上がる土曜日です。

けれど、先生はどうだったでしょう?

毎週毎週、土曜日の夜が訪れるたび。日曜の朝がやってくるたび。べったりとその意識には、Kの死が張り付いていたのではと、思えてなりません。

そして、Kの郷里ではなく、東京の雑司が谷にその遺骨を埋めたのは、先生が毎月その墓を訪れるためだとその後の小説に書いてあります。

そして、結婚して落ち着いた後。

先生を待ち受けていたのは、生き地獄でした。

本来なら、大好きな人と結ばれて、晴れて幸せになれた、となるはずでしたが、お嬢さん(もう奥さんとなってますが、ややこしいのでお嬢さんで統一します。)の顔を見ると、どうしてもKの影がチラついてしまうのです。

大好きな女性の顔を見るたびに、自分の裏切りによって友を自殺まで追い込んでしまった。その罪の重さが、彼女の顔を見ると思い出され、Kや自分の罪から逃げられない。

幸せを手に入れた筈なのに、待っていたのは生き地獄だった。幸せで有ればある程、罪の意識に苛まれる。けれど、それをお嬢さんに話すことは出来ません。

何故話せなかったのでしょうか。

それは、自分の友への裏切りを話すことによって、自分は一時楽になるかも知れないけれど、それを知ったことによってお嬢さんが良心の呵責に苛まれる様になることを、先生は避けたかった。

彼女を大切に思っていたが故に、彼女を幸せにしたかったが故に、一片たりとも自分の中に抱えている罪を背負い、彼女の瞳を曇らせたくなかったのです。

そして、それは、お嬢さんにも伝わっていきます。良い状態では無く、悪い状態として。

先生は、夫は自分に何か隠して、その隠しごとの為に、苦しんでいる。どうして自分に相談してくれないのだろう。何をそんなに悩んでいるのだろうと、先生を責め、更には自分も責め、お嬢さんの瞳は曇っていきます。

先生はこの罪の意識から逃れるために、学問に逃げ、酒に溺れ、様々なものに救いを求めようとしますが、心の平安は全く訪れません。

ある意味では遺産があったことで生活に不自由がなかった事が、災いしたのかもしれません。働かなくても生活出来る余裕があったからこそ、何かに打ち込む必要が全くと言っていいほど無かった。例えば経済的な困窮があったとして、それを解消するために必死に、無我夢中で働いたのならば、まだ違っていたのかもしれません。けれど、先生は幸か不幸か財産があった。

余裕があることは本来良いことのはずなのですが、先生にとってそれは長い目で見れば不幸の温床でした。

そして、死んだような気持ちで、生き続けてきた。生きているのも、死んでいるのも常に同じで、そんな生活を続けていきます。

これが、先生の描いた幸福な人生、だったのでしょうか?

友を出しぬき、その信頼を裏切って、好きな女性と結婚した。けれど、その後に待っていたのは、地獄の様な生活だった。

傍目には幸せ以外の何物でも無かった筈の生活が、苦しくて堪らないものと変わってしまったのです。

【もし、Kが生きていたとしたならば】

この状況。もし、Kが生きていたのならば、どうだったでしょう。

同じ様に先生はこのような不幸に叩き込まれたでしょうか?

Kが全てを奥さんやお譲さんにバラしてしまうかもしれない。自分の信頼が落とされるかもしれないと、先生は不安に思っていましたが、もしKが全てをバラしてしまったとしても、この結婚が立ち消えになる可能性は有ったでしょうか?
(参照⇒夏目漱石「こころ」15〜 先生の告白とお嬢さんの気持ち〜)

でも解説したように、お嬢さんの好きな相手はKではなく、先生です。好きな人と結ばれる。それ以上に幸せなことは有りません。例え、自分に対するプロポーズの前に、Kと先生の間で話し合いがあったとしても、それでも自分にプロポーズをしてくれたのは、先生です。

彼の人格を疑い、婚約を破棄するまでに至る様な出来事でしょうか? むしろ、それだけ思って、悩んでくれたのだろうかと思うだけだと思うのは、私だけでしようか。

確かに道徳的な非はあるかもしれませんが、事は恋愛です。理屈ではまかない切れない部分もあるからこそ、先生が誠実にKに頭を下げたとしたならば、話は丸く収まる可能性だってあります。

Kとの関係はぎくしゃくしたでしょうが、それでももう卒業を間近に控えている訳ですし、卒業すれば自動的に下宿を出ていかなくなてはならなくなるのは、Kです。

だとしたら、Kが生きていたのならば、先生は恐らく。Kに対しての罪悪感は持ち続けるでしょうが、時間がそれを癒し、また傍にいるお嬢さんが事情を全て知って許していたのならば、幸福な人生を歩める可能性もあったかも知れません。

さて。

Kは、それを予想していたのでしょうか?

冷静な彼のことです。お嬢さんの気持ちは、奥さんには知られていたのですから、かなり露骨に解りやすいもので有ったと推測出来るのならば、Kが気付いていないことは考え辛いです。ならば、誰か違う男性を好きになってしまった女性を、彼は好きになったのでしょうか?

そうだとしても、だったら何故、先生に相談をしたのか。

とてもKの行動は不自然です。

【Kの行動は、先生の不幸の人生を歩ませる為?】

ここからは、あくまでも一つの読み方、として読んでください。

Kの死によって、一番不利益を得たのは、誰でしょうか?

誰が一番不幸になったのか。それは、どう考えても、先生です。お嬢さんも間接的に不幸になっていますが、不幸の主体は先生です。その先生が不幸だからこそ、彼を幸福にさせられない自分が悪いんだと、お嬢さんもつられる様に不幸になっていきます。

ならば、自殺をしない道を選んだとしたならば、先生には幸福になる道が残されています。可能性が、残っています。

だとすると……

Kの自殺の目的は、自分の死すら利用して使うことによって、自分を経済的窮地から救ってくれた友人を、不幸のどん底に叩き落とすことであり、その苦しみが未来永劫。それこそ、先生が自決をしてしまうその瞬間まで、苦しみ抜く様に計算されていたとしたならば、どうでしょうか?

幸福になる事など許さない。生きている限り。意識が残っている限り、自分に対する贖罪を胸に抱え続けろと、Kが何もかも計画していたとするのならば、Kの自殺の演出も、利き手とは反対の手で頸動脈を切ったのも、それを先生に見させるために襖を開けたのも、自殺の場所にわざわざ下宿を選んだのも、全て腑に落ちるのです。

もし仮にKがこれを計画的に進めたとして、先生は彼の計画通り、不幸になっていきました。そして、自分の醜悪さや醜さ。罪深さを常に頭の中に抱え、誰ひとりにもこのことを生きているうちには話さず、幸福になろうとせず、ずっと死んだように生き続け、毎月、必ずKの墓参りに行く。

お嬢さんを愛しながらも、二人の間に子どもはいません。「出来るわけない」と、上で、先生は語っています。

これは、この先生と奥さんが不妊症であったと言う事も考えられますが、明治時代にそこまでの医療発達は無かったと考えると、子供が出来る行為。つまり、肉体的交渉が全く無かった事を示唆しています。

更に、養子すら貰おうとしません。

幸福な家庭など、自分にはもてない。持つべきではないと自分にロックを掛け、全ての幸せから背を向け、唯只管自分で自分を不幸にする生き方を選択するように、仕向ける。

これが計画的に行われたことであったとしたならば、少し、背筋が寒くなります。

【Kは先生を恨んでいた?】

これが本当に計画性があったとして。もしかしたら、お嬢さんに対する恋心すら、先生の判断力を失わせるための演技だったと仮定するのならば、一体何時からKはこのような感情を抱えていたのでしょうか?

その人生全てを不幸に彩る為に、自分の命までも使って成し遂げようとした、その執着と恨みは、一体何時、生まれたのか。

 

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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