夏目漱石「こころ」14〜疑心暗鬼が導いた最後の決断〜


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「こころ」解説、その14。

夜中の夢のような奇妙な問いかけから一転。先生は、もう大丈夫だと思っていた、Kの「覚悟」という言葉に、疑心暗鬼にかかります。

Kが口にした、「覚悟ならないこともない」という言葉。この言葉を、先生は「お嬢さんへの恋心を諦める覚悟」として考えていました。

けれど、深夜のKの奇妙な問いかけを経て、彼の様子がおかしいことに気が付き出します。

Kの様子がいつもと違う。⇒平生の彼ではない。⇒平生の彼の理論を捨て、違う方向に行くのではないか。⇒覚悟とはまさか、今までの自分の生き方をガラリと変え、お嬢さんに恋心を打ち明ける覚悟をしたと言うことなのか?

と、先生の思考は進んでいきます。

では、先を読んでみましょう。

大修館書店発行では、196p上段~
筑摩書房発行では、169p下段~
小説は、44章のシーンからです。

【得意な気持ちが揺らぐ先生】

上野での散歩のやり取りをきちんと読み解くと、先生の行動が如何に卑怯で、更に得意になっている場面に、一種嫌悪を感じる生徒もいますが、違う視点で見るとするならば、この先生は不安と得意。全く両極端な気持ちの間で揺れ動いている、感情のコントロールが下手な人間だと言うこともできます。

感情に行動が振り回されている。

そして、コントロールの方法を知らないのだから、一旦得意。つまり、良い気になって有頂天になっても、すぐ何かの切っ掛けでまた不安に逆戻りする。そんな性質を持っている人です。

だから、良い気分も、Kの深夜のおかしな問いかけを切っ掛けにして、脆くも崩れ去ります。

ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭の中で何べんも咀嚼しているうちに、私の得意は段々色を失って、しまいにはぐらぐらと揺(うご)き始めるようになりました。(本文より)

卑怯な手を使う人の、欠点かもしれません。

卑怯な手段と言うのは、使う方もある程度自覚があるものです。正々堂々としていない。誰が気付いていなくとも、自分自身が正当な手段でない方法で目的を達したことを知っています。

そして、それを開き直るだけの強さは、この先生にはありません。開き直れる人であるのならば、得意なままでいますし、第一それは自分の策略が功を奏したからだ。騙される方が悪い。と言い切れるだけの剛毅さがあるのならば、もうさっさとお嬢さんに告白しているはずです。

けれど、人の評価を気にし、周囲の人間に悪く思われたくなく、又、相手にも100%自分だけを愛していてほしい。ほんの少しでも、違う人間に向いていてほしくないと思いながらも、その視線を自分に戻すように、具体的な行動を取れないでいる。

主人公である先生は、そんな人間です。

だからこそ、少しでもいつもと違う部分があると、それが気になって仕方がない。

Kがいつもと同じようでいて、それでどこかが違うことをこの時に敏感に先生は察知していました。けれど、それが自分の恋路の事ばかりに意識が集中していたので、Kを観察しているようで、その実考えているのは自分の事だけだったのです。

【新しい光で照らす真実という名の思い込み】

Kの性格は、果断です。ためらわず、思い切って何事も行動してしまう性格をしています。その性格を、先生は熟知していました。熟知したつもりでいたのです。

だからこそ、今回の恋の告白で彼が迷いに迷った状態であることは、例外だろうと判断していました。けれど、夜の不審な行動と、どことなくいつもと違うKの様子に、もしかしたら……と違う考えが頭をかすめたのです。

すべての疑惑、煩悶、懊悩、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸の中に畳み込んでいるのではなかろうかとうたぐり始めたのです。(本文より)

臆病ものが自分の臆病さに向き合い、克服しようとせずに卑怯な手段を取ると、つい、相手の様子が気にかかり、手にしたはずの勝利の味も消え失せ、残るのは疑心暗鬼のみ。

常に不安と向き合い、その不安から逃れられない生活をしなくてはならなくなります。何故ならば、自分で自分の行った行為に対して、胸を張れないからです。これは、Kの行動が原因というよりも、先生自身が自分で自分の心がコントロールできず、勝手に有頂天になり、勝手に疑り深くなっている。そんな様子を表しています。

問題から逃げても、ちゃんとそれが追いかけてくる。そして、自分の一番嫌なタイミングで現実化する、という因果応報です。

そうした新しい光で覚悟の二文字を眺め返してみた私は、はっと驚きました。そのときの私がもしこの驚きをもって、もう一ぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見回したらば、まだよかったかもしれません私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。(本文より)

とても重要な部分です。

Kの話した「覚悟」は、恋心を諦める覚悟だと考えていた先生。




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けれど、新しい光。つまり、違う解釈で考え直してみたら、「覚悟」という言葉が、違う意味で受け止められたのです。

それは、お嬢さんにKが自分の気持ちを打ち明ける「覚悟」と、先生は取りました。

それを決めたから、ここ最近態度がおかしかったのだと、腑に落ちてしまった瞬間。感じていたKの違和感も、夢のような夜の会話も、全てが吹っ飛んでしまいます。

だからこそ、「あの時に気が付いていれば!!!」という悔恨の意味も込めて、『公平に見回せば……」と書いてあるのです。

ここで気が付いていたのならば、最悪な未来は回避できたのではないかと、今の先生はそう思っている。けれど、あの時はそんなこと、頭の中に全くなかったのだと、後悔も含めた述懐をしているのです。

そして、その勘違いが、最後の悲劇へと繋がっていくのです。

【最後の決断】

私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKよりも先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覚悟を決めました。(本文より)

焦った先生は、追い詰められた気分になり、勇気を振り絞って行動を起こす事を決意します。

もちろん、Kに内緒で、Kに気が付かれないうちに、事を為そうとしました。

こと、ここに至っても、先生はKと正面から対峙する勇気ではなく、卑怯な行動を取る勇気の方を、振り起こしたのです。

最後の決断とは、お嬢さんをめぐっての二人の男の恋心の決着を意味し、最終的に先生が取ろうとしていた行動に対する、最後の決断です。

明治時代ですから、恋人になると言うことは、結婚を意味します。つまり、奥さんに「お嬢さんをください」と申し出る決断、ということです。

Kにばれてはなりません。そして、本人であるお嬢さんが居ても駄目です。お嬢さんに直接恋を告白するのではなく、奥さんにまず申し出るのが筋だと、先生は頑なに信じていましたし、またそれは明治時代の常識でもありました。

だから、Kとお嬢さんが家におらず、誰にも邪魔されずに奥さんとゆっくり話せる機会をうかがったのです。

【仮病を使って得たタイミング】

そして、そんなタイミングが中々訪れないので、先生はわざと仮病を装い、奥さんと二人きりの時間を確保しました。

徹底的に正面からの行動ができない。そして、家の中にKやお嬢さんがいたとしても、話せない。

絶対に安心できる状況でないと、動けない人だということが、ここでも徹底して描かれています。

私は仕方なしに言葉の上で、いいかげんにうろつき回った末、Kが近頃何か言いはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いもよらなかったというふうをして、「何を?」とまた反問してきました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか。」とかえって向こうで聞くのです。(本文より)

ここで、Kが本当に先生以外には自分の恋心を告白したり、奥さんに何かお嬢さんのことについて聞いたことが全くなかったことが、示されています。

もともとKは無口な男です。恐らく、必要最低限以外の会話はせず、語りかけられたら答える、ぐらいの会話が日常だったのでしょう。

そんなKが、普段の会話で何かを奥さんに話しかけていたのなら、きっと奥さんも珍しいことだと印象に残ったはずです。

けれど、全くそれがないことが、この章の最後の会話で明らかになります。

Kの覚悟を、先生はKがお嬢さんへの恋心を打ち明ける事だと思っていましたが、彼の覚悟はそうではなかった、ということが伺い知れます。

何故なら、彼は猪突猛進、思い込んだらすぐ行動の男です。自分が愚図愚図している間に、きっともう何かしらのアクションは起こしているだろう。だから急がねば!と思っていたはずなのに、奥さんは全く知らない様子です。

そこで、先生は気付く事も出来た筈なのですが、そうはなりません。「ああ、良かった。間に合った」となり、Kの覚悟の本当の意味は、先生の頭の中から滑り落ちてしまったのです。

今日はここまで。続きはまた明日です。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 


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