夏目漱石「こころ」15〜 先生の告白とお嬢さんの気持ち〜


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「こころ」解説、その15。

先生の結婚の申し込みの告白シーンです。決定的なKに対する裏切りのシーンでもあり、この告白が数十年後。今の先生を殺してしまう原因のひとつとなる、行動でもあります。

そして、この遺書は先生が昔の出来事を思い出しながら書いているので、あくまで先生の認識だけで書かれています。彼の感情。彼がどう受け止めたかだけに焦点が絞られているので、他の人間の感情が解りづらくなっていますが、少し想像力を働かせると分かるので、それも含めて解説します。

一人称の小説を読み解く時のポイントとしても重宝するので、是非とも身につけてください。

大修館書店発行では、197p下段~
筑摩書房発行では、171p上段ラスト~
小説は、45章のシーンからです。

【先生のとっさの嘘】

Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ。」と言ってしまった後で、すぐ自分のうそを快からず感じました。(本文より)

先生の性格が良く現れている描写です。

咄嗟に質問されたり、想定外の事が起こってしまうと、先生は嘘がつい出てしまいます。ある意味、とても人間らしい人であることが解ると思うのですが、先生の場合、自分で自分が嘘を言ってしまったことに気が付き、それから嘘をついてしまったことを、後悔し続ける性格があります。

つまり、物事を大変引きずる人であった。切り替えができず、ついつい過去の出来事に囚われる性質があったことが、良く分かる描写です。

これはとても大事なポイントなので、よくよく覚えておいてください。

この先生というキャラクターは、明日や今日を生きる、未来を作り上げて生きるタイプの人間ではなく、常に視線は過去に向いている。思考は、過去を振り返る為に使われている人であると設定されています。

この時、咄嗟に吐いてしまった嘘は、Kからのお嬢さんへの恋心を聞いていたはずなのに、「何か、お友達から聞いているんですか?」と奥さんに問われ、「いいえ、何も聞いていません」と答えてしまったことです。

別段、その後の小説にも書かれているように、Kに伝えてくれとも頼まれていないのですから、先生が伝える筋合いはないはずです。けれども、こんな些細な出来事でも、自分が後ろめたいことをしている。Kの真っ正直な感情に、自分は真摯に向き合っていないことを自覚している先生は、まるで自分の不誠実な行動を責め立てるように、不快な気持ちになったのです。

つまり、先生の良心は、「ちゃんと向き合え。正しいことをしろ」と訴えていた。けれども、その自分の直感や本能に従わず、利己心。エゴの声に耳を傾けてしまったのです。

【皮肉な裏切りの連鎖】

そして、先生は仮病まで使って作った奥さんとの話し合いの時間で、とうとう決心をし、口火を切ります。

私は突然「奥さん、お嬢さんを私にください。」と言いました。(本文より)

先生が、自分から明確に行動した瞬間です。

お嬢さんに抱いた気持ち、そしてKとのやりとり。彼の告白、そして覚悟など、様々な要因が重なってのプロポーズです。そして、Kに対する裏切りがここで決定的になりましたが、先生はそれを意識できていません。

つまり、プロポーズを行うことで、Kを裏切ることになる。彼との関係がどうなってしまうのか。そんなことは、微塵も頭の中に残らず、衝動的に利己心に従って行動してしまったのです。

これは、とても痛烈な皮肉のような行動です。

何故なら、先生が裏切られたと嫌悪し、忌嫌っていた、自分の叔父がした行為。先生の親の遺産を、信じて叔父に預けていたのに、それを勝手に使いこまれ、叔父の娘と結婚させようと画策することで、その使い込みをうやむやのままに済ませようとした、卑怯な叔父の行為と全く同じことを先生もしてしまったのです。

人に信頼を寄せられ、相談を受けていたのに、その相談を受けていたからこそ有利な状況を利用し、自分のエゴを満足させるために相手が傷付くことも考えずに、衝動的に行動してしまう。

そう。嫌い抜き、自分が嫌悪し、あんな人間にはなれたくないとまで思っていた叔父と、そっくり同じことをしてしまっているのです。

ここに漱石の非常に痛烈なメッセージが隠されているように見えてなりません。

被害者の立場でいる時は加害者を責めに責め立て、罵るだけ罵るけれど、自分が逆の立場になった時、人は簡単に利益に目がくらみ、人が傷付くことなど考えずに加害者になってしまう。

それをどれだけの人間が理解しているのか。そのことを、この「先生」というキャラクターに、被害者と加害者の面を同時に持たせることで、描き出そうとしています。

【あっさりと受け入れられたプロポーズ】

「よござんす、差し上げましょう。」と言いました。「差し上げるなんて威張った口の利ける境遇ではありません。どうぞもらってください。御存じのとおり父親のない憐れな子です。」と後では向こうから頼みました。(本文より)

先生の複雑な内面の葛藤などどこ吹く風で、奥さんはあっさりすぎるほどあっさり、先生のプロポーズを受け入れます。

けれど、ここでも疑問がわきます。




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相手は帝国大学に通っているといっても、収入のあてがあるわけではない、唯の学生です。親の遺産があったとしても、それでどうにか生活できるかどうかも、解らない。

明治時代の軍人の家系ですから、名家です。小説の方に、士官学校の傍に住んでいて、厩があったと言うことですから、亡くなった旦那様は士官であったことが予想が着きます。つまり、エリート軍人の家系です。

ならば、お嬢さんの見合いの話は数限りなくあったでしょうし、軍人の家系は軍人の家に嫁ぐ風習が強かったので、普通ならばただの学生に申しこまれても、「少し待ってくれ」「せめて、あなたが卒業し、職を得てからでは遅いだろうか?」という話になる筈では? と考えてしまうのです。

けれど、奥さんはあっさりそのプロポーズを受け入れました。

両親もおらず、地元の親戚とは絶縁している、ある意味後ろ盾が全くない、ただの学生のプロポーズです。

不安要素しかないと思うのですが、どうして受け入れたのか。

先生は、あっさりと聞きいれられたことに放心状態になるので、あっさりと書かれていますが、続く場面で非常に大事なことを奥さんは語っています。

【お嬢さんの気持ち】

親類はともかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意したとき、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知のところへ、私があの子をやるはずがありませんから。」と言いました。(本文より)

この描写はとても簡単に流されてしまいがちなのですが、大事なポイントです。

先生は、本人が不承知な相手ではない。逆に言うのならば、先生は、お嬢さんが承知している相手である。いちいち聞いて確かめなくとも、娘の解答は「はい」以外はあり得ない、と奥さん。お嬢さんのお母さんが断言しているのです。

これってどういうことなのか。

つまり、お嬢さんは、先生が好きである、ということを婉曲的に指し示している事実です。

こう考えると、先ほどの疑問もとてもあっさりと解けます。

結婚相手としてはとても不安が残る相手である学生の先生に、何故あっさり結婚の許可を奥さんが出したのか。

簡単です。

それは、娘が好きな相手だから。

それだけです。非常にあっさりとしている。

まだ学生だし、将来は解らないし、娘の結婚生活はもしかしたら経済的に苦労するかもしれない。けど、好きな相手と結ばれる以上に幸せなことなど、ありはしない。

だから、奥さんはあっさりと先生のプロポーズを受け入れたのです。

先生は、Kの方が絶対に女性にもてるはずだ。自分がお嬢さんに好かれているなどあり得ない。第一、Kとお嬢さんは仲がよさそうだし……とお嬢さんの気持ちを疑っていたから、この事実に気付けません。

それこそ、大人になってからも、本当はKが好きだったのでは……自分が告白したのが、プロポーズしたのが早かったから、結婚しただけなのでは……と疑い続けます。

【女子の視線から考える】

ここが男性の視点と女性の視点の大きな違いなのですが、これを読んでいる男子学生諸君。是非、友達の女子にこの状況を聞いてみてください。

例えばの話ですが、女子高生が、超好みどんぴしゃの年上の大学生ぐらいの男性がいきなり家にやってきて、一緒に暮らす事になったら、どうなりますか?

少女マンガみたいですが、相手に一目惚れしていると仮定してください。

積極的に話しかけますか?

それとも、話しかけるなんてとんでもないっ!! って、距離を取りますか?

そう。人間って不思議なんですが、その相手が好きであれば好きであるほど、最初は嫌われたくないし、緊張しまくって上手く話しかけられないものです。その横に、どうでもいい男友達が存在しているのならば、むしろ有難いとそっちに話しかけるのが女子ですよね。(解らない男子諸君は、女の子の友達に是非訊いてください。それか、少女漫画か、恋愛小説を読んで!!)

つまり、このお嬢さん。のちの、先生の奥さんになる静さんは、出逢いの瞬間から先生にべた惚れだったのです。大好きな相手だったのです。

先生がまっっっっったく気が付いていなかっただけで、この二人。そもそもの始めから相思相愛の、両片想いという、傍から見ていたら「とっとと告白して付き合えよ!!」と言いたくなるような状況だったから、それを薄々感じて、気付いていた奥さんも、「ああ、やっと娘の想いが叶うわ」と、許しを出した。むしろ、先生のプロポーズを喜んで受け入れたのです。

たとえ結婚相手として条件が悪かったとしても、好きな人と結ばれることほど幸せなことはない。少なくとも、この時の奥さんはそう考えていました。

だから、その後も、「話すのならば、もう今日、あの子に話してしまってもいい」とあっさりすぎるほどあっさり、話が通ってしまったのです。

けれど、そんなこと、本当に自分の思い通りに話が進むのか、疑心暗鬼になっている先生はまっっっったく気が付きません。それを奥さんに追及しようともしません。

むしろ追求したら自分の申し出は却下されるのではと……と怯えているのです。あまりに上手くいきすぎて、嘘かと思うほどに。

だからこそ、この後の先生の人生の悲劇が、よりいっそう残酷で、陰惨なものになるのです。自分のことでいっぱいで、何一つ相手のことを知ろうとしない。自分の思いを曝け出せない人が辿る末路を、克明に描き出しています。

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 

 

 


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