中学・高校古典を読み解く 徒然草に学ぶ怠け病の怖さ~ある人、弓を射ることを習ふに~

古文解説

 

こんにちは、文LABOの松村 瞳です。

突然ですが、怠け癖ってありますか?

やろっかなー、って思っていても、気が付いたらもう夜。アレ? さっき朝だったのに、何で……とか、三連休もあるんだから、余裕余裕、と思っていたらあれ? 明日、学校……? って、焦った記憶はありませんか?

夏休み前の三連休。受験生にとっては勝負の夏。遊んでる暇なんか無いっ!! 頑張らなきゃ、って思うのは皆一緒。でも、ちょっと待って。やる前に少し自分を振り返ってみましょう。

古典の素晴らしいところは、受験勉強しながら同時に、生きるための知識を私達に教えてくれることです。一石二鳥どころか、三鳥にも四鳥にもなる。人生のヒントがたくさんちりばめられています。

昔から、ほんとに人間って変わらない。怠け癖って中々治らない。その謎を一緒に読んでみましょう。

武士

練習は本番のように 本番は練習のように

原文

ある人、弓を射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、自ら知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。

 

ある人が弓を射ることを習う時に、二本の矢を手に持って的に向かった。すると、弓の先生がこう言った。「初心者は二本の矢を持ってはならないよ。なぜなら、二本目があると、あてにしてしまって、一本目の矢を射る時にいい加減な気持ちが生まれてしまう。だから、毎回、的に向かう時は、一本目で当たらないなら、二本目で頑張ればいい、なんていう当たり外れの計算を頭の中から追い出して、この一本で必ず決めると思いなさい」そう、生徒に向けておっしゃった。

たった二本の矢なのだし、しかも先生の前なのだから、その一本を射ることをいい加減にしよう、などと思うだろうか。いや、そんなことは思うはずもない。けれど、怠けの心というものは、自分が意識出来なくても先生には見えてしまうのだろう。

この弓の先生の教訓は、全ての事に通じるに違いない。

 

解説

弓を習う人の話です。徒然草を書いていた兼好さんの生きた時代は鎌倉後期。政権がある程度安定していた時代だとは言え、火種はまだ残っている頃だし、武芸は男性の必須項目だったのでしょう。そこで、さぁ、今から習うぞ。弓を射るぞって時に、矢を二本持った。これは、今の弓道にも通ずる作法なのですが、必ず的を射る時は、矢を二本手に持ちます。試合も二本連続で打つ。これは戦場で生き残る為に編み出した方法で、背中に背負った矢筒の中から矢を取り出す数秒が生死を分けたことに起因します。だからこそ、当たり前の様に生徒さんも二本手に取った。何も疑問を抱かず、そういうものなのだと思って、取ったのです。

けれど、そこでストップがかかる。

初心者は二本じゃなくて、一本ね

えっ?? 何で??? と思ったんでしょうね。生徒さん。すかさず、先生から説明が入ります。

二本目あるって思うと、君、怠けるでしょ。だから、一本ね

これ、私が生徒だったら、先生から言われた瞬間に、ぐっさりと胸に見えない矢が突き刺さると思います。(笑)

やる気満々で射よう!! と思っているのに、「怠けるでしょ」って。怠けませんよっっ!!先生っ!! って、言いたくなりますよね。

でも、良く良く考えてみると、これ、真実なんです。練習って、ちゃんと私達解ってます。だって、毎回のテストの時。一発勝負の受験だと思って、問題を解く人はどれだけ居るでしょうか? これに間違ったら、大学、高校は受からないと思って問題を解く人、どれだけ居るでしょうか?

それだけの緊張感を持って日々を過ごしている人がどれだけいるか。同時期の軍記物に「平家物語」がありますが、その中で出てくるエピソードの「扇の的」でも、那須与一は1本で扇を仕留めています。2本目など打てよう筈も無い。

私達の日常は、常に一発勝負です。そして、その一発勝負がいつ来るかは、誰にも解らない。その時に、「次があるから、いいや」と思うぬるい日常で過ごしていれば本番がどうなるのかは、考えなくとも解ります。

だからこそ、先生は気合いとか考え方を変えよ、と言っているのではなく、「1本だけね」と弓を持つ環境をさっさと変えてしまった。1本しか無い、っていう後が無い状況を、作りだしちゃった。

これには、兼好さんも唸ります。

先生の前だから、怠けようなんて思ってる筈も無いのに……でも、じゃあ、あの生徒が、この矢を外してしまったら即、死に繋がる様な戦場の緊張感を持って稽古を受けていたかと言うと、それは違いますよね。緊張はしていたかもしれないけど、それは「上手くやろう」という考え方。戦場の、必ずこの1矢で敵の命を奪わねば自分が死ぬという覚悟は、そこには全く無いはず。

けど、そんな緊張感は初心者に解れったって無理だから、「取り敢えず、君、持つの1本ね。1本しか持ってないって思って、それで的に当ててみて」と適切なアドバイスと追いこむ環境をさっさと作ってしまった。その手腕に、兼好さんも完敗。

この人の言っていること、色々な事に応用出来る物事の真理に繋がる考え方だって、多分、目をキラキラ輝かせていたんじゃないのかな。

 

 

 

原文

道を学する人、夕べには朝(あした)あらんことを思ひ、朝(あした)には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修(しゅ)せんことを期(ご)す。いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。

 

道を修めようとする人は、夕方には翌朝がある様な事を考え、翌朝には夕方がある様な事を考えてながら、何度も熱心に勉強しようと計画する。どうして、その(次があると考えてしまう)一瞬のうちに、怠け心が生まれている事を自覚しているだろうか、いや、自覚などしているはずもない。なんとまぁ、この今の一瞬のうちにおいて、思いたったことをすぐさま取りかかることの難しいことだろうか。

 

解説

道を修めようとする人。つまり、お坊さん達のことですね。

此処で弓の練習から、いきなり同僚の話に飛びます。何気ないエピソードをまとめて抽象化し、それを違う例示を出すことで、説得力を高めていく。小論文の基本的な書き方ですね。

古典を読んでいると本当に思うのですが、今に伝わる文章のテクニックがいたるところで使われています。古典の書き方をそっくりまねることの方が、もしかしたら文が上手くなる一番の方法かもしれないですね。何せ、何百年も読まれ続けているベストセラーですから。

戻って同僚の話。

兼好さんは、お寺で勉強するぞっ!! と息まいている人達を沢山知っています。今で言うなら、進学校のテスト前、って感じでしょうか。で、そんな皆の様子をよーく観察していると、「夜、勉強しよう」って言っていた人が、夜になると、何故か違う事していて、「明日の朝にやるよ」と言っている。そして、次の日の朝になったら「朝は忙しいから夕方にやるよ」と言って、実際はやらない。これを延々繰り返している。

なーんか、これを聞いていると「はっ!!」としますよね。毎年、この話を高校生に解説すると、皆びみょ~な顔になっていきます。「あああっ、それ、俺のことっっ!!」と、まるで我が身のことを言われている様な気になるんでしょうね。

特に次の文。皆、計画だけはしっかり熱心にやるんですよ。本当に。

今日出来なかったから、明日、2倍やろうっ!!って。

出来ませんって。明日の朝も同じこと考えるし、夕方も次の日の朝にやるって考えますって。

鎌倉時代の御坊さんも、変わらないんだなぁ……と共感すら抱いちゃいます。

で、仁和寺の法師の時には呆れていた兼好さん。同僚のお坊さん達には、結構意見が厳しめです。実情知っているから、どうしても評価が辛くなっちゃうのはいたしかたない。なので、そのおごりを窘めるように、いつもは厳しい意見をぴしりと最後に言うのですが、今回は違います。

怠け心って自分でも知らない内に出てきてしまう。これ、撃退する方法があるんだろうか。本当に難しいよね……と最後は終わっています。

人の気持ちが気合いや計画でどうにかなるものではないと、ちゃんと解っていて、それをやり遂げることが、どれほど難しいか。「やる」「やり続ける」という事の価値と難しさを、兼好さんは誰よりも解っていたのでしょう。

 

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【「やる」ことの難しさ】

「やればできる子」

「勉強すれば、誰だって成績なんか取れるよ」

「やれば、早いんだけどねぇ」

「やるだけだったら、誰だって出来る」

 

色々、耳にしたことのある言葉はありますが、これ、前提が全て間違っています。能力と言うのは、行動を続けた後に手に入るものであり、「やる」という事を、続けた人にのみ、与えられるものです。

そう。つまり、問題なのは出来る、出来ない。能力の有り、無し、なのでは無くて、「やる」か「やらないか」その一点に尽きるのです。

ほとんどの人は、出来るか出来ないかを問題にします。能力があるのか無いのか。スキルがあるのか無いのか。けれど、問題なのは出来る出来ない、ではなく、その前の「やる」という行動が、どれほど難しいか。また「やれる」ということがどれほど困難なことで有るのかを、私達は自覚しようとしません。無自覚に、「やれば出来るんだよっ!!」と言い訳を自分にしながら、結局手をつけない。大丈夫、まだ明日がある。来週やればいい。来月までに完成すれば……いや、まだ時間は有ると、ずるずると先延ばしにしてしまう。

この怠け病は一体なぜ起こるのか。

それは、「行動する」という事が、如何に大変で有るかということを私達が理解していない。自覚していないところに原因があります。

 

【時間に余裕が有った方が、私達は何もしなくなる】

不思議なのですが、時間がある、と思うと、私達は先延ばしをしてしまいます。

明日やればいいや。まだ時間が有るしと、永遠に時間が有る様に考えてしまう。このお話でいうのならば、2本の矢を持つことで、無意識に心の中に入り込む、懈怠。怠け心です。

人は余裕が無い時は待ったなしで行動することが出来ます。テストの直前とかが解りやすいですね。でも、三連休。時間はまだある、と思った瞬間から怠けます。本当に、酷いくらいに、人は一瞬で怠けてしまう。そして、続くのは出来ない自分に対する自己嫌悪です。結果は当たり前の様に悪くなっていく。そして、「やってないんだから、出来なくて当たり前だろうっ!!」と逆ギレする時もあったり、無かったり……

まさしく、夕べには朝あらんことを思い、朝には夕べあらんことを思い……ですね。兼好さんの言葉は、本当に胸に響きます。明日も時間がある。予定が無い。余裕余裕と思うから、私達は怠けてしまう。もう一本弓矢が残っている、と思うから、油断をしてしまう。

なら、どうすればすぐ出来る様になるのか。

ヒントは弓の師匠の教え方に有ります。

 

【怠け心を出さないために、一番いいのは環境を変えてしまうこと】

兼好さんが唸った弓の師匠は、教え子に何と言ったのか。

一本しか持たせない。それしか打てないと思って、一本で決めると思って射なさい、と言った。物理的に、一つしか矢を持たせず、もう矢が無い状態に、環境を整えてしまった。これは擬似的な追い込みなのかもしれませんが、それでも二本目を持っている状態とは、やはり感覚が違います。

意志の力に頼らない。環境をそれしか出来ない様に、整えてしまう。

無意識に出てしまう怠け心を意識の力でどうにかしようとしても、無駄です。だって、意識でコントロール出来ないから、無意識なのですし、見えない物をコントロールすることは、人間にはできません。でも、その不可能を可能にするには、見えない意識や気合いでどうにかするのではなく、目に見える環境を整えてしまう事が、物理的に効果も出やすいですし、やりやすい。できることから取り掛かるのが、一番シンプルで解りやすいです。

勉強に応用するなら、どうすればいいでしょう。

それは、勉強しか出来ない空間を、作っちゃうこと、なんですね

 

【怠けられない場所を作りだす方法】

東大に合格出来た生徒の大半は、家にテレビが無く、代わりに本が溢れていたと言います。結局子供は、自分の一番傍に居た存在の行動を、きっちりとまねるのです。ならば、やりたいことをすぐ出来る様にするためにはどうすればいいのか。

答は簡単です。決まったことしか出来ない部屋、というのを作ってしまい、この時間帯はそこに入ってしまう、というルールを決めてしまう。

若しくは、学校や塾・予備校の自習室を使ったり、一番怠けやすい時間が解っているのならば、わざとそこに授業を入れてみたり、人の助けを借りたりして、時間も決めてやってみる。がちがちでなくともいいです。今から二時間、とか今から一時間、と決めてやるだけでいい。他のことが目に入らない場所を作ってしまったり、その場所に行ったりすることで、先延ばしが出来ない様に、日々を習慣付けていくのです。

弓の師匠が言った様に、感覚を慣らしていくのですね。

なので、勉強部屋が有るのならば、自分の視界に映る物を確認し、勉強以外のモノをそこから排除してください。漫画やゲーム、スマホも部屋にはもちこまない。教科書や参考書だけにしてしまう。ベッドも出来るだけ視界に入らない様に、配置を工夫する。そして、何時どの瞬間でも、勉強が始められるようにしておく。

【やり始めるのは、最初の5分が大事】

物事をやり始めるのに、一番辛いのはとりかかり、です。行動する直前の迷っている時間が長い。実際の行動にかかる時間よりも長いほどです。だからこそ、5分間だけ!!  と自分に言い聞かせて、やってみる。手をつけてみる。

一時間頑張ろうと思うと中々始められませんが、5分、と思うと、意外に出来るものです。そして、その5分は大抵5分では終わりません。動いてさえしまえば、此方のモノ。後は勝手にペンが進みます。

 

やろう、と思った瞬間にやり始めることがどれほど難しいのか。

この兼好さんの言葉は、本当に至言です。やる、ということが、人間にとってどれだけ難しく、また価値が高いのか。

能力の問題では無く、如何に、どういった環境で有るのならば、自分はすぐやり始められるのか。これは自分との対話でもあります。

ある高校生の男子は、この話を聞いた後。夜は9時過ぎか10時にはもう寝てしまい、そして明け方3時か4時前には起きて、勉強をしている生活を、もう一年ほど続けているのだそうです。その時間は、面白いテレビもやっていなければ、SNSで友達に呼び掛けられる時間帯でも無い。だから、スマホを見る必要が無いし、夜に返信を打たなくても、寝ている、という事だったら文句も言われません。そして朝は基本的に静かで、頭が冴えわたっていますから、勉強をするのにとても良い時間帯です。

気合いでどうにかするのではなく、環境を先に整えてしまう。

そして、やるっ!! と気合いを入れるのではなく、どうしたらすぐさま行動に移すことが出来るのか。その環境を作り出すことが出来るのかを、自分の生活スタイルと照らし合わせて考えてみる。

朝には夕べあらんことを思い、夕べには朝あらんことを思う日常から、一歩。皆で抜け出しましょう。
やり続ける・簡単にやり始めることの価値を、きちんと理解して、自分の生活にどうやったら取り入れられるのかを、考えてみてください。

そして、考えた後は、即実行です!!

 

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 

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