2018年度(平成30年度)センター本試験 国語 古文解説

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2018年度 センター本試験 国語 古文問題の解説です。

2018年度 センター本試験 問題

ここ数年続いていた平安期の和歌を含む物語調の内容ではなく、江戸期の国学者。本居宣長の『石上私淑事(いそかみささめごと)』の一節から、和歌についての歌論です。

これを問答形式。つまり、自分で質問して自分で答えるというスタイルで書き表したものが出ました。

物語に読み慣れていた受験生は戸惑ったかもしれませんが、基本的に江戸期の文体は平安期よりは読みやすく、難しい単語などや人間関係の把握が無いので、現代語のように読めれば点数は確実に取れたはず。

本居宣長が「もののあわれ」を知ることが和歌の上達の一番の道である、と説いています。その中で、最も「もののあわれ」を体現しているのが、「恋」

今回の出題は、和歌はどうして「恋」を題材にしたものが多いのだろう、という問いかけから始まっています。

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【本文内容概略】

世の中に、恋の歌が多いのはどうしてだろう?

それは、『恋』は全ての物事に感じ、人の心を動かす切実なものだ。だからこそ、良く歌に詠まれ、恋の歌の数が多い。名歌も、恋を題材にした歌が多い。

では、人の世で多くの人が願うものは、恋よりも栄達や名誉、財を為す事のはずなのに、何故それは歌に詠まれないのだろう?

それは、情と欲との違いにある。
情は全ての人間が抱く感情のことだ。
欲はこうなってほしい、という願望だ。
欲は情の一種であり、この二つは、情から発生したものが欲になったり、欲から湧いたものが情になったりと、一概に分けて考える事は出来ないのだが、歌は情が元となって生まれるものである。

欲は、確かに一心に願い求める心ではあるが、身体に染みいるような細やかな心ではないので、感動を呼ぶような深い感情とは言い難い。財を願う心は、欲の心である。

確かに、恋は相手を希う欲から出ているものなのかもしれないが、ことさら情の方に深くかかわってしまう。人という存在は、この物の情緒を必ず知っているからこそ、恋は深く心に沁み入り、この切実な感情を味あわせるものなのだ。

歌は、この「もののあわれ」の気持ちから生まれ出るものなのだ。

けれど、残念なことに今の世の中ではとかく「情」を弱い心と評し、「欲」の下に置く傾向がある。弱い心を恥だとし、押し隠す風潮がある。しかし、歌の世界だけは古代から変わらず、人の心のありさまをそのまま素直に詠み続けているので、欲を歌に詠もうとは、まったく思い至らない。

ごく稀に、万葉集の中に、酒を称える歌が詠まれたことがあるが、漢詩では常識では有るけれども、この「欲」を詠んだ歌は、全く私の興味をひかない。詠む価値すらない。これは、欲は汚い思いで、情緒を介さない感情だからだ。ところが外国ではこの情緒を恥だと押し隠して、欲を素晴らしいものとして言い合っているのは、どうしてなのだろうか。理解できない。

ざっと訳をしてみました。

本居宣長の「恋の歌が多いのはどうしてだ?」という質問に対し、人の感情の中で一番切実なものだから、という答えから始まり、その後、人の世で重視される欲望は何故歌に詠みこまないのだろう。欲は感情の一種で、恋だって、もともとは恋しい相手が欲しい。恋しい人を手に入れたいという欲望から発しているのものなのに、なぜか?という問いかけに繋がります。

確かに一概に欲と情を切り離す事は出来ないけれど、細やかな情緒が身に染みいるような感覚は、一心に何かを欲しいと願う欲望では得られない。

欲は、欲しいという唯それだけで、深くない感情だと、評します。

更に、現代(江戸時代)は、この情やあわれ、情緒と言ったものを弱い、恥ずべき心だと軽視しがちだけれども、歌の中ではこの心をきちんと詠むものとして受け継いでいる、と続きます。

確かに、言われてみればそうですよね。今でも、歌謡曲や歌の中で歌詞として登場するのは、ほとんどが恋の歌です。まったくもって、人に対しての恋心や愛情が入っていない歌の歌詞って、逆に貴重な存在かもしれません。

更に本居宣長。さらっと漢詩批判までしています。

漢詩は「欲」を重視したものが多い。……まぁ、確かに、武将達が多く残していますからね。大将が部下に詠ます歌が、愛や恋ばっかりだったら、逆に心配になるような気もしないでもないですが……(笑)

読む価値なし、としていますが、そこまでばっさり言わんでも……と思わず苦笑してしまいました。

主語もはっきりとしていて、内容自体はとても簡単に読みとれた今回。

問題も、比較的簡単でした。今回の試験の中では、一番簡単だったのではと思うくらいです。

では、問題。

【問1】

古語単語の意味です。ある意味、ここが一番難しかったかな?

-ア-

「あながちにわりなく」の意味

あながち=一心に、ひたむきに(語源:自分の欲望を押さえる事が出来ず、思い通りに行動する)
わりなし=耐えがたい、不都合だ(語源:道理にあわず、解決できない不満の気持ち)

この古単語ですが、英語と同じで複数の意味が含んでいるものが多くあります。あながち、も、わりなし、も複数意味が重なり合っているものです。

なので、覚える時には、語源を知ること。英単語もそうです。元になった意味がちゃんとある。そこからの派生で考えるのが一番手っ取り早いです。

なので、両方の意味が合っている①が正解。

-イ-

「いかにもあれ」の意味

「いかに」かポイント。「どのように」、もしくは、「何故」という訳なので、正解は③

「いかで」と間違えないように。「いかで」は疑問・反語・どうにかして、なんとかして、の三つの訳が入っている、超重要語です。これと混同しない。

-ウ-

「さらになつかしからず」の意味

「さらに~ず」で、全く~ない、という強い否定の表現です。

「なつかし」は、親しみがある、懐かしいもの。という意味。

なので、親しみが全く持てない、という意味だから、興味がわかない、と転じて、正解は⑤。

③はひっかけです。引っかからないように。

【問2】

文法問題です。

古典文法は基礎中の基礎が出ました。

正解は、③の仮定条件の接続助詞、「ば」。

今回は、適当でないもの、という指定でしたので、ひとつひとつ確認が必要です。例年の文法問題とは違った形の出題となりましたが、基礎が出来ている子にしてみたら、こっちの方が簡単だったかなという感想です。

「細やかにはあらねにや」の「ば」です。

この、接続助詞の「ば」

未然形接続ならば、仮定条件
已然形接続ならば、確定条件、理由原因を求める助詞

と接続で意味が変わる助詞です。基礎中の基礎です。

この場合、「ば」の直前の「ね」が打ち消しの助動詞「ず」の已然形なので、確定条件で、仮定条件ではない。なので、③が不適当。正解。

 

【問3】

傍線部A「恋の歌の世に多きはいかに」とあるが、これに対して本文ではどう答えているか。

これ、超かんたんです。解っていれば、中学生でも解けます。

「何故」って訊かれたら、理由原因を問われています。それに答えるのは、「~(だ)から」という呼応表現が必要になる。

なので、古文でそれに当たる言葉は、「~ゆゑに」です。

やることは、本文から「ゆゑ」を探すだけ。それだけです。

探すと、有りますよね。同じ段落に、「いみじく耐へがたきわざなるゆゑなり。」って。恋は耐えがたい、切実なものだからと言っているだけ。

正解は、②

(間違えた人は、頭抱えてください。文章の基礎です)

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