徒然草「花は盛りに」の解説、その2。
今回は、出来る限り分かりやすく! を目標として解説しようと思います。
【古典嫌いになる原因】
皆が古典嫌いになる原因を聞いていると、大体理由は次の二つです。
・その1 話が根本的に分からない。
・その2 文法が理解できない。
両方とも共通しているのは、「分からない」ということ。
と言うことは、逆に言えば理解できるものだったら学べるって事ですよね。
そして、古典の授業ってスピードが速すぎてついていけない。ノートは取りあえずとったけど、内容は・・というと、「全く頭に入っていない」という状態が多い。
これは、真面目な子ほど陥りがちです。
で、現代語訳はあっても、理解できなかったらそんなもの意味がありません。なので、「言葉は通じても、話は通じない」なんてことにならないように、現代的に訳していきます。
分からないところがあったら、コメントにどうぞ書きこんでください。
では、行きましょう。
-ざっくり第2段落あらすじ-
今度は恋のお話です。
皆、相手と逢ってるとき・盛り上がっているときばっかりを「恋だ!」って言うけど、僕は違うと思うんだよねと、またしても世間と真逆をいく兼好さん。逢えない時。それから、別れた後や、時間が経ってしまった後に、相手を恋しく思いだす気持ちが、恋と言うのでは? その気持ちを切り捨てたり、もう別れたんだからと切り替え早いのもいいけど、それって恋愛を知らないって言っているのも同じだから・・・な、内容です(笑)
恋愛って、あんた坊さんだろうが!! という突っ込みはまぁ横に置いておいて(笑)続きを読んでみましょう。
【第2段落】
-第1文目-
よろづのことも、初め終はりこそをかしけれ。
(訳)
何事においても、始める時と、終わる時が、特別に趣深いものなのだ。
(文法)
こそ/ 強意の係助詞 結びは已然形
をかしけれ/ 形容詞シク活用「をかし」の已然形
※形容詞「をかし」のク活用、シク活用を間違ってしまう人は、「をかし」に+「なる」を付けると、「をかしくなる」となるのに、着目。
「なし」+「なる」⇒「なくなる」⇒ク活用
「をかし」+「なる」⇒「をかしくなる」⇒シク活用
係助詞の「こそ」だけが、結びが已然形になることも、同時にチェック。
その他「ぞ・なむ・や・か」は、結びは連体形。
※文法のポイントは、一つ一つを丁寧に毎回チェックすること。それに付きます。分からなかったら、文法の教科書で確認する。無理をせず、毎回チェックする癖を付けましょう。ぺらっと教科書を確認する30秒の積み重ねが三年間積み重なれば、膨大な知識となります。一度で覚えられなくても、へこまない。大丈夫。続けていけば、必ず頭に入ります。間違ったとへこむ前に、確認をしなかった自分の行動を見直して、毎回チェックを心がける。それだけです。
(解説)
全ての物事において、始めと終わりが一番趣深い。
趣深いってなんだよ? と思っちゃうのですが、現代風に言うのならば、「心が揺れ動く瞬間」です。
分かりやすく、テーマパークとか、遊園地、修学旅行、家族旅行に行ったことを思いだしてください。楽しい思い出です。
楽しい事って、準備の段階から楽しいですよね。あーでもない、こーでもないって計画して、わくわくして、どんなに楽しいんだろうなって想像して。
この待ち遠しいって気持ちが、心が揺れ動く、始めの時。
そして、楽しい時間が過ぎ去ってしまうのはあっと言う間だけど、それを後日思いだして、「あー、また行きたいなぁ」「楽しかったなぁ」「もう一回、いけたらなぁ」と思いだす、その時の感情は、その旅行やテーマパークが楽しければ楽しいほど、強いものとなりますよね。
その、終わりの感情。懐かしく思い出す時の気持ちが、心が揺れ動く終わりの感情だと言うのです。
物事を味わうのは、何も体験した瞬間だけでない。
まだ体験していない時に「こーなんだろうな。「あーなんだろうな」と予想する楽しさ。
そして、逆に終わってしまった後に、「あーあ、もう終わっちゃったのか」と残念に思う気持ちですら、その出来事を味わいつくしたからこそ出てくる感情だと言うのです。
それが、始まりと終わりの感情。それが、最も心が揺れ動く瞬間だと言うのです。
これを読んでいるのは高校生が多いと思うのですが(高校の教科書の課題ですしね)終わってしまった中学時代。中学生だった時は、然程いいものだとも思えなかったでしょうが、終わった今。振りかえってみて、どんな気持ちになるでしょうか。
その状態でいる時は、それそのものの価値なんて何も感じないんです。けれど、終わってしまった後に、思い返す時ほど「ああ、振り返ってみれば結構いい時間過ごしたのかな」と思える気持ちが、趣深い、と兼好さんは言っているのですね。
-第2文目-
男・女の情けも、ひとへにあひ見るをば言ふものかは。
(訳)
男女の恋愛も同じことで、ただ一心に逢っている最中だけを「恋」というのだろうか。いや、そうではない。
(文法)
あひ見る/ マ行上一「あひ見る」の連体形(※「あひ」+「見る」の複合語。動詞判別は、「見る」で、上一判断。)
を/ 格助詞(連体形接続)
ば/ 係助詞(区別の意) 結びは終止形
言ふ/ ハ行四段「言ふ」の連体形
もの/ 名詞・体言
かは/ 係助詞(反語)
(解説)
「逢っている時」だけが、恋愛じゃない。
それってどういうことか。
ここで重要になってくるのが、「文章は一貫性を持っている」ということです。
第1段落も踏まえて考えると、「花の満開の時だけでなくて、その前後を楽しむのが、情緒を解するということだよ」となっているので、ここで対比を考えてみる。
「満開の花」を恋愛の状態でたとえると、「あひみる」つまり、逢っている時。好きな人とあって盛り上がっている時、と言うことになります。
(この「逢ふ」という動詞。興味ない人は、古語辞書で引っ張らないでください。平安時代は、女性が男性に顔を晒す、と言うことは、今の世の中で喩えるのならば、裸でいるのと同じくらいの感覚です。だから、御簾の陰にかくれ、更に扇で顔を隠していた。その男女が「逢ふ」のですから、特別な時です。というか、18禁の世界です。はい。なので、学校の授業では絶対にやりません。だから、興味なかったら、調べないでくださいね(笑))
だからこそ、恋の始めと終わり。恋しい人に「逢えない時」。もしくは、「もう、終わってしまった恋」を思いだして感じる気持ちこそが、最も心を動かすものだと、言っています。
「えー、逢っている時が一番だよ」
と言う人は、付き合う前に、好きな人に声をかけるときと、今と、どっちがドキドキするか。思い出してみる。
テーマパークの例示も出しましたが、楽しんでいる最中よりも、行く前の方がどきどきして待ち遠しかったり、わくわくしたりしませんか?
終わってからも思い出す気持ちの方が、実際に行っている時よりも長かったりする。ジェットコースター好きな人は、乗っている時間なんか僅か数分だけど、「早く乗りたいなぁ」って、待っている時間と、「あー、面白かった!」って感じている時間は、実際に体験している時間よりも、何倍も長いですよね。
体験よりも、その前後の時間に趣があるって、そういうことです。
-第3文目-
あはでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
(訳)
片想いが自分の願いどおりに叶わず、諦めるしかなかった(終わってしまった)辛さを思いだしたり、恋人と交わした約束が叶わないまま儚く関係が終わってしまったことを嘆いたり、恋人が訪ねてこないために、長く感じてしまう夜をたった一人で待ちながら夜を明かしたり、遠い空の下に居るはずの(逢えない)恋人のことを思ったり、茅(雑草)が生え茂っている荒れ果てた家で過ごしながら、昔の恋を思いだすことこそ、恋の情緒が解っている、と言うことができるだろう。
(文法)
あは/ ハ行四段「あふ」の未然形
で/ 打ち消しの接続助詞「で」(未然形接続)
やみ/ マ行四段「やむ」の連用形
に/ 完了の助動詞「ぬ」の連用形(連用接続)
し/ 過去(直接体験)の助動詞「き」の連体形(連用接続)
※ポイントは、最後の「し」。直接体験の「き」の助動詞を使っている事が、読解のポイントです。詳しくは、解説で。
こそ、/ 係助詞 強意(結びは已然形)
色/ 名詞・体言
好む/ マ行四段「好む」の終止形
と/ 格助詞(連体形接続)
は/ 係助詞(結びは終止形-流れ)
言は/ ハ行四段「言ふ」の未然形
め/ 推量の助動詞「む」の已然形(「こそ」の結び)
※「は」の係助詞は「こそ」よりも強制力が低いので、流れ(無視)ています。
助動詞の「む」は良く出る助動詞で倦厭されていますが、しっかりと確認すれば良いだけのこと。一秒考えて思い浮かばなかったら、教科書の一覧俵を見る。それだけです。
(解説)
はい、これ。ここの部分、なぜか「き」が使われています。
過去の助動詞にあるのが二つ。「き」と「けり」の二つ。
「き」は直接体験の過去の助動詞。つまり、自分でやったこと。
「けり」は間接体験の過去の助動詞。つまり、他人がやったこと。
と言うことは・・・
「片想いが叶わずに終わってしまった恋を・・」って、兼好さん。思いっきり一般論じゃなくて、自分のことを語っています。(笑)
まさか、兼好さんも700年も経った未来の人たちに自分の恋愛経験が読まれることになろうとは思ってもみなかったことだと思います。文章って、凄い。
となると、最後の浅茅が宿の事も、良く分かる。
兼好さんの今の住まい。つまり、庵。言葉を選ばず言うのならば、ほったて小屋です。
その貧しい小屋で、懐かしい若い時代の頃の恋を思いだしている。その気持ちが、酷く愛おしい。恋と言うものなのだと、言ってます。
この兼好さん。生まれた時からお坊さんであったわけではなく、実は蔵人(天皇の秘書的役割)として、宮中に勤めたこともある、超エリート。
時代が時代なら、もっと華やかな世界で、政治の世界で名を馳せた人になったかも、知れません。けれど、時は鎌倉時代です。貴族が力を持った平安ではなく、政治の中心は遠く東の鎌倉で行われている。
なので、30歳で吉田兼好さんは兼好法師になる。つまり、出家をしてしまいます。
和歌の名手でもあったので、若い時は相当モテたんだろうなぁ……というのが、ちょっと垣間見える文ですよね。
だからこそ、「色好む」。恋愛の、人を恋しいと思う気持ちは、逢っている時だけがすべてではない。むしろ、それ以外の時に相手を思うこと。その内面の心の動きが情緒だと言えるのだと、書いてあります。
さて、この兼好さん。
案外毒舌、というか、嫌いな人には徹底的にぴしりときつい言葉で批判をしているのですが、次の段からはこの、「情緒を解さない人」を取り上げています。
結構容赦ない批判です(笑)
続きは、また明日。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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