こんにちは、文LABOの松村 瞳です。
今回はがっつり実践編。
文章の書き方講師ではありますが、長年塾講師・家庭教師を行い、様々な生徒の受験を見ていると成績が伸びる子と伸びない子。言葉を選ばずに言ってしまえば、賢いし、頭も良いのに、イマイチ点が伸びない子と、さほど煌めいたものを持っているわけでもないのに、伸びる子の違いをお話したいと思います。
これはやる気の出し方やノートの取り方などとはまた別の、テスト中の話です。毎週末テストに追われている高校三年生や中学三年生には必須のスキルですし、就活生やビジネスマンにも大事なことです。一発勝負の時は誰にでもありますし、身に付ければ色んな場所で応用が利きます。
【テスト必勝法 怒りをコントロールする】
-感情的にならず、冷静になる-
試験の時の敵はテスト問題。目の前のテスト用紙を作った先生、または教授であると言う事は明白です。如何にそれを攻略し、テスト問題の随所にちりばめられている引っ掛けに気付いてそれをクリアし、如何に早く正確に、解答に辿り着くかがポイントとなってきます。
けれど、それを頭で解っていたとしても、中々それに集中出来ないというのが人間というものです。出題者は受験者の性質をよーく理解して、問題作成を心がけています。特に、国語は。
高校生ともなると読む文章は難解です。本当はそこまで難解では無い物でも、大量の文字で埋め尽くされた文字数の多さと時間制限の為に、難易度以上に難しく感じてしまうことがあります。どうしても、敵は大きく見えてしまうものなんですね。点数を取りたいという欲望が強ければ強いほど、そうなってしまう傾向に有ります。
試験が終わり、「どうだった?」と問い掛けると、その中でこんなことを言い出す生徒が結構居るんです。
『あの評論文に書いてあることは間違いだし、気に食わない。絶対筆者は間違ってる!!』
そう言って、何故か怒って帰ってくる子が居るんですね。そこまで行かずとも、好き嫌いで文章を判定している人は、結構居ます。読み辛い物を
嫌い
と一刀両断にばっさり切る子も居れば、
くどいんだよっ!!
と、筆者に文句言っている子なんかも。
これ、とっても良いことなんですよね。だって、内容が解っているからこそ、書いてある内容に文句が言える。反論出来るということは、それだけ読み込んでいる、理解していることと同義です。何も感想を抱かないよりは、余程良い。
けれど、そこでちょっと冷静になってください。
あなたがその文章を読んでいる目的はなんですか?
-キーポイントは感情のコントロール-
受験生への感情コントロールアドバイスでお決まりなのが、不安との戦い方でしょう。
どうやったら本番で力が出るのか、不安でたまらず、勉強しているし、ちゃんと準備しているのに緊張が襲ってきて、手が震える。胃の奥が冷たい感じがする。そんなこと、誰にでも経験あるでしょう。
中には緊張しているつもりはないんだけど、と前置きを置きながらも、何故か胸の中がざわざわしてどことなく落ち着かない。早く始まって欲しいと思いながらも、まだ来て欲しくないという気持ちも有れば、逃げ出したいと本気で考えてしまう生徒たちは、数多くいます。
その不安が点数に影響を与えることは、誰にでも想像できます。
「解けるだろうか?」
って不安に思っていること自体、余り良い結果は産みませんし、人は完璧では無いのだから、解らない問題が出るのは当たり前だと達観していないと、本当に解けそうに無い問題が出てしまった時。パニックに陥ってしまいます。
けれど、この不安以上に、点数に影響を及ぼす感情が有ることは、余り知られていません。
-怒りが冷静さを失わせる-
その感情は、『怒り』です。
特に国語の評論文だと邪魔になるのはこれです。
感情移入して読むことが悪いことだとは言いません。無論、趣味として読んでいるのならば、大いに結構。感動的・悲劇的なストーリーに涙したり、登場人物が周りからの理不尽な仕打ちに見舞われ、それに憤ったりすることはとても大事なことです。他者の痛みを追体験すると言う意味においても、貴重な感情の財産になります。
けれど、事テストに限って言えば、この感情は非常に邪魔なものなのです。
何故か、という答を言う前に、そもそもテストの評論文とは、受験生に何を求めているテストなのかをお話する必要があります。勿論、テストなのだから、能力だろうと誰もが応えるでしょう。では、その能力の中身とは? 読解能力、という答が返ってきそうですが、では具体的に読解能力とは、どういった種類の能力となるでしょうか?
多くの方が勘違いをなさっているのは、此処です。読解能力、と言いながらも、ならそれは具体的に何が出来る能力なのですかと問われると、途端に言葉に詰まる。何も答えられなくなってしまうのです。
つまり、国語が苦手な子はどう言った能力が欲しいのか。それが具体的に頭の中にイメージ出来ていない事が多いのです。
読解能力を理解能力と勘違いしてらっしゃる方は、今すぐにそれを変えてください。理解したものを、正確に(くどい様ですが、此処が大事)自分以外の人間に解るように、形にする。書く、までが、テストで求められている国語能力です。解っただけでは、足りないのです。
そして、正確に理解し、正確に相手に伝える。ここでもうひとつ、ポイントがあります。
それは、あなたの意見を一切入れてはならない、と言う事です。
あくまで正確に、筆者が言っていることのみを引きずり出す。そこにあなたの意見を一つでも入れてしまったら、終わりです。それ以上は点に成りません。センター問題でも同じです。
-敵は、筆者では無く出題者-
センター問題や多くの予備校模試の評論文課題で、偶に挑発的な文章が問題として使用されることがあります。そして、生徒達が憤って帰ってくる文章の内容は、大概若者批判や昨今ではオタクを代表とするサブカルチャー批判。SNS批判などが筆頭として上げられます。
筆者にそんなつもりはないのかもしれませんが、それを読むとまるで生徒達は自分達がお説教を受けている気分になるのでしょうね。
「そんなことないっっ!!」
と、本当に必死に訴えてきます。
でも、そうやって怒っているうちは、出題者の手の平の上です。
振り回されている、という自覚を持って下さい。
怒りや反発は、猛烈なエネルギーです。それはもう凄まじいまでのエネルギーが一気に湧き上がるんです。そして、筆者の意見に猛烈に反発したくなります。
「違うっ!!」
と主張したくなるのです。
ここでひとつ、質問です。この出題分の文章。誰が選んだのでしょう。そして、選んだ人は、これを読んだ君達がどう感じ、どう考えるかを、計算に入れて問題を作っていたら、どうでしょうか?
あなたがこの文章を読んで憤ることも、反発することも織り込み済みでこの文章を選んだとしたならば、…………あなたは完全に術中に嵌ってしまっています。
【まとめ 怒りは冷静な判断を狂わせる】
先程も言った通り、怒りは凄まじいエネルギーです。それこそ、どれだけ理性的な人でも条件さえ整ってしまえば、怒りの感情に駆られて人を殺してしまう可能性もあるほどに、判断を狂わせます。そして、テスト中はその怒りを他の場所にぶつけて発散する方法が取れません。
すると、どうなるのか。
筆者の意見に対しての怒りが、問題を解けば解くほど増幅します。評論文は何度も目を通さなければならない物で、読むたびにイラッとした気分がそれに拍車をかけます。
そして、その問題を作った人間は恐らく君達がそう思うであろうことも計算に入れて、選択肢を作っています。
筆者に反発したい。反論したい、という怒りが募った瞬間。人は簡単に目の前の文を読み違えます。書いてあるものを分析するのではなく、自分に都合の良い内容が書いてある文を選択しがちになり、筆者の意見が腹立たしいもので有ればある程、人はそれを見たくないと思うものです。そうして、生理的な嫌悪感と筆者への反発心が入り混じり、色眼鏡で視界が曇った状態で選んだ解答が、正解で有ることは殆どありません。
終わってから皆言うのです。
冷静になってみれば、簡単だった
と。
そうして、安堵するのです。
今回は悪かったけど、ちゃんと内容理解出来たんだから、
次は大丈夫……
と。
大丈夫、だと本当に思いますか?
今、これを読み終わった後でも?
対策法は、また明日。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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