小説読解 芥川龍之介「羅生門」その1~状況分析~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

有名な小説。羅生門の解説です。

この小説は大体高校1年生に読むものなのですが、古文体が少し混じっていることと、龍之介らしい短編で書かれている文章なので、馴染みが薄い文体でさらっと書かれています。

なので、内容も龍之介の小説の特徴である、展開の解りやすさも手伝って、一度読むとある程度理解できてしまいます。文体の難しさも拍車をかけ、展開だけを手軽に取って、内容を吟味せず、何も心に残らず読み飛ばしてしまう事も多くあります。

小説の読解に一番必要なのは、イメージングと分析です。

主人公の状態を。視界を自分の目の前に起こっているものとして、受け取ってみる。

ドラマや映画、アニメが何故あんなにも人気があるのか。それは、想像をしなくとも、その状況が解りやすく映像化されているからです。想像力は持って産まれたものではありません。仮に感性の鋭さが天性のものであったとしても、受験の小説読解程度の想像力は、十分後天的に鍛えられるものです。

人間は習性の動物です。

想像力も、そう。

いつも文章を想像できる人間は、当たり前のように何時でも想像できるのです。苦労をせずにそれを出来るようになる為に、最初は苦労が必要になる。なので、丁寧に。じっくりと行きましょう。

この「羅生門」という小説。ある意味では、サイコホラー映画さながらの内容が書かれています。

寂れた街並みってそれだけで心が重くなりますよね。

【冒頭の状況分析】

ある日の夕暮れのことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。(本文より)

有名な冒頭です。

少し、考えてみましょう。夕暮れ時。雨やどりを待っている男性です。場所は、今日の都の玄関口である羅生門。今で言うのならば、東京駅、と言ったところでしょうか。

だだっ広い門の下で、この下人以外、誰もいません。都の玄関口なのに、誰も歩いていないのです。真夜中ならば解りますが、夕暮れ時です。普通だったら、考えられない状況です。

夕暮れ時に、誰も居ない駅前。ものすごく寂しい状況であることが、現代風に想像すると理解できると思います。

この、「今にうつして考えてみる」という作業は、理解には絶対に必要な部分。ここをサボると、後で大変なことになります。

小説の中でも、もう一人二人いても良いのに、誰も居ない。自分以外には、誰も居ない玄関口。そんなこと、あり得るでしょうか?

今で考えるのならば、人っ子一人いない駅前、というのは本当に不気味です。人がいるはずの場所に誰も居ない。しかも、夕暮れでどんどん陽の光が陰っていく状況です。

ただでさえ、夕暮れ時は寂しいのに、雨で視界が悪くなり、気落ちする状況にはぴったりです。

何故、居るべき場所に人がいないのか。それには、きちんとした理由があります。

地震や火事、飢饉。いわゆる災害が京の都で頻発していた。だから、都自体が寂れていたのです。

【環境が与える影響】

不安定な状況、というのは、人に多大な影響を与えます。

良く思い出してみてください。

3.11の東日本大震災や熊本大地震、阪神大震災等の災害が立て続けに起こった時。私たちは一体どんな心理状態になるでしょうか?

避難経路の確保や耐震性が優れた建物が多い現在ですら、地震が立て続けに起こることは、恐怖です。けれども平安京の都があった11世紀には、そんなものがあったはずがなく、不安な気持ちは現代に棲む私たちが想像する以上に酷いものであったことは、想像に難くありません。

そして、夕方から夜にかけての時間と言うのは、人が一番物を判別できなくなる時です。

逢魔が刻、という言葉があります。

辻、つまり小さな小道に魔が歩いていて、偶然陰と陽が。夜と昼とが混じり合うその瞬間に、魔物に出くわす。魔が、人にとり付く時間帯、の事。




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そんな瞬間や、状況に、下人は一人で羅生門の下に座っているのです。

普通の状況……では、どう考えても無いですよね。

今のように、街灯があった時代ではありません。太陽が沈めば、真っ暗な闇に支配され、しかも今よりも魔物や鬼の存在が信じられていた時代です。

どうして、そんな状況の中で下人が座り込んでいたのか。

雨が止むのを待つのなら、もっといい場所があったはずです。さて、どうしてなのか。

続きはまた、明日。

 

此処まで読んで頂いてありがとうございました。

 

 


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