小説読解 魯迅「故郷」その2 ~明るい描写のフラグ~

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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

「故郷」の二回目。今回は、この小説唯一と言っても良い、明るい思い出のシーンです。

時の流れって、全てを美しくしてくれますよね。

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【古びた家】

故郷に帰ってきた主人公「私」。ここで、実の母親と対面します。

-本文-

明くる日の朝早く、私は我が家の表門に立った。屋根には一面に枯れ草のやれ茎が、折からの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるほかなかった理由を解き明かし顔である。

 

-解説-

明確には書いてありませんが、こういう部分は問題になりやすい場所でも有ります。ぼやかした言い方の部分が、どんなことに当たるのかを言い変えさせる問題は、記述式には定番です。

 

古い家、そして枯れ草などが屋根に付いている。と言う事は、家の手入れが出来ていない。そんな人出が居ない。金銭的な余裕がないと言う事を指し示しています。

お金がないから家を売るしかなかったんだと言う事を、家を見れば他人が見ても解ってしまうのだろうなと。

けれど、これでも大多数の中国の人々よりは裕福な暮らしの部類に入るのですが、昔が昔だったので、人は有る物よりも、過去から失ったものを印象深く思ってしまうのかもしれません。

そして、これは結論へのフラグともなります。

昔はとても裕福な暮らしをしていたからこそ、今のこの現状が辛い、と言う事。最初からお金がないのならば、辛さも何もないですからね。それが日常です。

【話の弾まない親子】

そして、暗い雰囲気のまま、母親と対面します。一緒に住んでいた親戚たちはもう引っ越ししておらず、最後に残っていたのがこの実母と、主人公「私」の甥にあたる、ホンルです。

 

-本文-

母は機嫌よかったが、さすがにやるせない表情は隠しきれなかった。私を座らせ、休ませ、茶をついでくれるなどして、すぐに引っ越しの話は持ち出さない

-解説-

機嫌が良かったのにやるせないのはどうしてでしょう。

 

機嫌が良い=久しぶりに息子に会えたから。

やるせない=住み慣れた家を手放さなければならない悲しさや寂しさの為。

です。

この手の感情表現は、一つ一つ理由を当てはめていくと理解しやすくなります。

 

そして、重要事項の今回の帰郷の目的である、引っ越しの話を持ち出さない。

どうしてでしょうか。

少し、例示を出します。

例えば。今回のテストで、40点を取ってしまったとしたならば……
貴方はそれをお母さんにすぐ言う事は出来るでしょうか?(一応、話すと言う前提で。隠すのは、無し(笑))

人って、やらなきゃならない事があっても、中々前に進むのが出来ない時って有りますよね。それが重要だと解っている。早く話さなきゃいけないって解っているのに、話せない。どうしてか。

出来る限り、話すのを、嫌な時間を先延ばしにしたい精神が働いてしまうからです。皆、嫌な事って出来るだけ先延ばしにしたいんです。

この場合も一緒。

引っ越しの話は絶対にしなきゃいけないのに、出来るのならば話したくない。話したら、それが現実だと認識するし、嫌なことと向き合わなきゃいけなくなるので、せっかく息子が帰ってきている中。嫌な話は先延ばしにしたい。けれども、話さなければならない事は解っているから、それを考えると気分になってしまうし、二人ともタイミングをはかっているので、口が重くなってしまうのです。

【有る筈のないと思っていた美しい思い出】

そして、また心が重ーくなった主人公に、母がふと、懐かしい名前を口にします。

 

そう。ルントーです。

-本文-

このとき突然、私の脳裏に不思議な画面が繰り広げられた(中略)艶のいい丸顔で、小さな毛織りの帽子をかぶり、きらきら光る銀の首輪をはめていた。(略)半日もせずに私たちは仲良くなった。

-解説-

まだ、主人公の家が裕福だったころの記憶です。

正月に祭事をやる関係で人手が足りず、召使の息子であるルントーが「私」の家に呼ばれていました。

裕福な家の召使です。経済的に、困窮などしていない様子が描かれ、そしてその祭事の途中に同じ年頃な少年など身近にいなかった主人公はルントーと過ごす時間をとてもわくわくしながら待ち、そして予想通り半日もしないうちに仲良くなります。

大人のように色々考えることも無く、ただ純粋に近い年で、お坊ちゃんで育っていた「私」には、外で獣を捕まえる術を持っているルントーに、惹かれていきます。

良くありますよね。子供の世界で、ザリガニとか釣れたり、何か一つの事で秀でていると、尊敬を集めると言うやつです、主に、遊びの分野で。

「故郷」の中で、この部分だけがやけに詳しく描写され、冒頭とは似ても似つかない、とても楽しそうな、明るい雰囲気の文章が続きます。(もちろん、これにも理由があります)

 

【昔のルントーの性格チェック】

ここで、ルントーの性格チェックです。押さえておかなければならないのは、彼がとても気さくな少年だったと言う事と、両親の愛情を受けて生き生きとした、優しさと慈愛に満ちた少年だったと言う事です。

-本文-

「晩には、父ちゃんとすいかの番に行くのさ。お前も来いよ。」
「泥棒の番?」
「そうじゃない。通りがかりの人が、喉が渇いてすいかを取って食ったって、そんなの、おいらのとこじゃ泥棒なんて思やしない。番をするのは、穴熊や、はりねずみや、チャーさ。」

-解説-

とても大らかで、人好きのする少年。ルントー。

本来ならば咎められても良いような状態であったとしても、喉が渇いているのならば、仕方がない。余裕があれば、きっとそんな盗みなんかしなかっただろう。だから、毎回じゃないんだし、そこまで咎める必要もないと言いきっています。

恐らく、彼のこの意識は、彼自身と言うよりは、彼の父親がそう動いていたので、それを真似ていただけなのでしょう。

古き良き時代の残り香です。

このルントーの性格と、彼の様子を覚えていてください。

身分制度がまだ明確に残っていた中で、子供の一時期とはいえ、人として触れ合えた思い出。

主人公にとっては、とてつもなく貴重な記憶だったのでしょう。だからこそ、この「私」のモデルになっている魯迅が、大人になって封建的な身分制度を否定していたはずなのに、その時の象徴とも言える召使の子供との交流を、胸の温まる思い出として、残している。

魯迅自身も衝撃だったのではないと思います。

【明るい雰囲気になる意図】

もちろん、小説家は全ての結末を頭の中で描いて、計算して小説を書いています。

無意味に明るい雰囲気を書くはずがない。それに、冒頭はあれだけ暗く始まったお話です。その中で、美しい故郷の思い出を読者に読ませたと言う事は……

そう。

その後、主人公の記憶や思い出が、粉々に崩れ落ちる瞬間が来る、と言う事を示唆しています。

その砕け落ちる落差を明確にするために、ルントーの明るい思い出を出しているのです。

「あんなに仲が良かったのに!!」

それを思わせるために、幸せを感じさせた。

それを思うと、次に来る内容が予想できます。そうですね。昔の面影も何もない、ルントーが出てくると言うフラグです。

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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