2022年度(令和4年度)共通テスト 国語 小説解説

テスト対策

2022年1月15日に実施された大学入試共通テスト本試験、国語の小説問題を解説していきます。

解法と対策。共通テストで小説問題を効率よく解くために、何に気を付けて読めばいいかを解説していきます。

令和4年度(2022年度)の問題はこちら(共通テストのサイトに繋がります)

スポンサーリンク

小説を読むときのポイント

これは読書感想文を書く時にも大事なポイントになりますが、問題を解く時にも、非常に重要なポイントになります。

それは、主人公の具体像です。

どういうことかというと、主人公の情報をある程度整理してから読む、ということ。

情報とは何かというと……

・性別
・年齢
・職業
・具体的な家族構成
・何を望んでいるのか。(または何に絶望しているか)
・どんな問題を抱えているのか

ざっくりと挙げるだけでも、これだけあります。

で、小説の問題を解けない生徒たちに話を聞くと、この情報を落としている状態で読んでいるのです。

小説の問題が解けない子は基本的に小説が嫌いです。本嫌いであること。または、本が好きでも娯楽ものが好きで、文学作品を読み慣れていないことが特徴として挙げられます。

なので、「読めば自然と解る」なんてことは、そもそも自分に期待をしないことが重要です。それは上級者の読み方なので、苦手だと解っているのならば。または、一点でも点数を獲得したいというのならば、すぐさまその読み方は止めてください。

大量の文章を読まなければならないプレッシャーに押しつぶされそうになるのは理解できますが、早く読んだとしても点が取れなければ意味がありません。なので、点が取れる読み方に、今すぐシフトしてください。

点が取れる読み方で大事になるのは、「情報」です。

小説の主人公は、何かしらの「問題」を抱えています。その「問題」がまず何なのかを、見つけることが読解の第一段階です。

そして、この「悩み」というのは、ある程度性別と年齢で予想できてしまうんですね。

十代、二十代、三十代、四十代……と、それぞれの年代で悩みは違います。更に性別でも、より具体的になってきます。

十代ならば、簡単です。今、受験問題にあなたが悩んでいるように、自分の進路や学校での立ち位置、友人関係や家族との関係が上手くいかない、ギクシャクしている、自分の夢が見つからない、かなわないetc…

色々出て来るでしょう。

ですが、共通テストでは十代が主人公の小説が出題されることは、まずありえません。

なぜならば、それは受験問題としては理解しやすい問題で、難度が保てないからです。

では、高校三年生が理解しずらい年代とは? と考えると、出題される主人公の年代が予想しやすくなりますよね。

そう。三十代から上の世代であり、性別は男女均等に主人公としてバランスよく選ばれています。

この時、あなたが男性だった場合、読みづらいのは女性の主人公です。女性の場合は、同年代の男性ならばまだ予想が出来るのですが、年配の男性になってくると、理解がしづらい年齢になってきます。

要するに、読み手の性別や年齢から一定以上離れている主人公が理解し辛い相手であり、小説の問題が難しいか理解しやすいかが、端的に分かります。

それを知るためにも、主人公の「情報」を、小説本文を読む前に手に入れ、確認をしておく必要があります。

そして、「おそらくこの主人公はこんな人で、こんな悩みを持っているのでは?」と読む前に予想すること。これは大きなポイントです。

この予想は、当たりはずれは問題ではありません。大事なのは、「自分の頭で考えて、予想すること」

ここが読解力の大きな原動力になり、小さな違いが続けていくことで、3か月後の結果に大きな差を生みだす力になります。

ぜひ、点が取れるだけでなく、読解力を上げる文章の読み方を、スタートしてください。

本文読解

では、具体的に問題を読みながら、ポイントを解説していきます。

冒頭~本文を読みだす前に~

まず、主人公の「情報」を確認します。

その「情報」を提供してくれているのは、本文前の解説文です。(第2問、と大きく書かれている部分の下)

この部分をすっ飛ばして本文読んでいた人。今すぐその読み方をやめてください。

更に、読んではいたけれど、別段何もしていない人も、その読み方をやめてください。

ここは、ヒントの宝庫です。問題を解くために必要な情報が、ぎゅっと詰まっている部分なので、必ずここを押さえてください。必須です。

まず、ここで解るのが、この小説が書かれた世代を解っておくこと。作者がいつ、これを書いたのか、ということですね。

この小説が書かれたのは、1991年。今から、約30年前。ということは、平成初期という事であり、まだスマホなども存在していない時代です。バブル経済がはじけ、不景気に染まり始めた経済的には閉塞感のある時代だということが解ればOK

更に主人公の「情報」をかき集めます。

主人公「私」は、会社勤めを終え、と書いてあるので、おそらくは60代前半と予想。妻に相談、と書いてあるので、性別は男性。既婚者であり、今は仕事をせずに年金暮らしであることが予想できます。この「私」に子どもがいるか居ないかは、この部分では言及されていないので、解らないとしておきます。

さて、ではここから予想です。

60代の仕事を定年退職した男性の悩みとは、何なのか。

そんなことを予想しろと言われてもびっくりするかもしれませんが、この疑似的に考える=読解力の育成に繋がってくるので、考えてみましょう。

まず、考えられる問題は、だという事。

多くの男性の場合、仕事ばかりしてきて趣味もなく、人間関係も仕事での関係性が主軸だから友達もおらず、仕事がなくなると何をしていいのか分からなくなる人が殆どだと言います。

暇だと、人間はどうするでしょうか?
十代の君たちだったら、遊んだり、勉強したり、いくら時間があっても足りないぐらいでしょうが、60代だと話は違います。

何もすることがない。仕事以外に何もしてこなかったため、何も出来ないんです。新しく何かを始めるのにも、何から手を付けていいのか解らない。

時間だけが大量にあるので、何かをしたいのに何もできない。そういう問題が予想されます。

この「私」は、ダイニングキッチンから見える看板の男が気になって気になって仕方がない、という説明がされています。普通だったら、別にそこまで気になるようなことではないし、気になるのなら見ないようにすればいいし、目隠しのカーテンでもかければいいだけの事です。

けれども、この主人公の「私」は、この些細なことが気になって気になって仕方がなく、妻に相談する自分の事を、案山子をどけてほしい雀、と表現しています。

これは比喩表現なので、しっかりと押さえておく

この場合、

案山子=看板の男。
雀=「私」

であり、

案山子=看板の男=ただの張りぼて。実質は敵ではない見せかけだけの存在。
雀=「私」=無力な存在。見せかけのものを怖がって自由に動けないことを暗示。

まで、読み取れればOKです。

そして、ここからは予想です。

何故、主人公の「私」はここまでこの看板の男が気にかかるのか。
気にかかるというのは、無視できない存在ということです。ということは、好意的な印象を抱いているか、嫌悪的な、恐怖の対象なのか、そのどちらかになるかと思います。
更に【案山子に対する雀】と表現していることから、恐れていることが感じ取れます。

なぜ、ただの張りぼての絵でしかない看板の男を、この「私」は怖がっているのか。

怖がっているということは、少なくとも「危害を加えられるかもしれない」という危機感があることを示しています。男、と書いてあることは恐らく描かれているのは若い男性なのでしょう。

それが、怖い。

60代の男性が、若い男性を怖がる、というのは想像できないのかもしれませんが、人は馴染みのない存在を怖がる傾向があります。ということは、60代のこの男性は、若い世代との交流があまりない人なのかもしれない、と想像しておくと、読解が楽になります。

実際はここまで深く読み取る必要はありませんが、練習などをするとき、どれだけ時間がかかっても良いので、一度この冒頭の説明だけで主人公の性格やどんな人で、何を好きで、何を怖がっているのか、ということを具体的に想像してみてください。可能なら、頭の中で俳優さんやキャラクターなどを当てはめてみると、尚更理解がしやすくなりますし、イメージが繋がりやすくなります。

これだけイメージを持っておくと、実際に小説を読むのがとても楽になります。
まず、考えること。
自分なりのイメージを持つこと。

これが、小説読解のポイントであり、読解能力を鍛える第一歩です。

本文解説

~冒頭から裏の家の息子との会話まで~

さて、本文読解です。

この小説は、大きく二つのパートに分かれます。

【裏の家の息子と話すまで】と【話した日の夜】の二つです。

何故ここで切れるかというと、気になっている看板を立てかけているのが、裏の家の息子だからです。その人物と出会った後と出会う前で、この人物に対する評価が大きく動くので、その動きを確実に押さえます。

この問題だけでなく、小説読解に於いて大事なのは、主人公の心の動きです。それは、誰かに対しての好意が悪意に変わったり、何とも思っていないことが好きになったり嫌いになったり、という感じで評価が動いた瞬間が問題になりやすく、また「何故そんな変化が起きたのか」が間違いなく問題になるので、そこを確実に押さえます。

妻が寄り添ってくれたおかげで自信を取り戻す主人公

この看板が何故ここまで気になって仕方がないのか。

この理由が主人公にも解っていません。

ただ、この看板の男を案山子、案山子におびえる雀を自分だと喩えたことを、妻が否定せずに理解を示し、そこまで気になるのだったら裏の家の息子に頼んでみても良いのでは、と提案してくれます。

そのことに「救われ」、「気持ちが楽になった」と主人公は言っています。

大げさ……と思うかもしれませんが、逆に言うのならばこの「私」。理解されない悩みだと思い込み、かなり一人で思いつめていたことが解ります。

話を妻に理解してもらっただけで、「救われた」

この「私」がかなり神経質で繊細な、言葉を選ばずいうのならば、めんどくさく、細かいことに五月蠅い性格であることが、これだけで解ります。

さらに、妻が同意してくれたことで、看板の男を睨み返す「ゆとり」が生まれたと書いてあります。

「ゆとり」が生まれ、窓から毒突くことができ、一方的に見詰められるのみの関係よりはマシ、と「私」は独白しています。

ここで「私」が嫌がっていることが具体的に分かります。

つまり、「一方的に見詰められるのみの関係」に比べれば、と書いてあるので、それが一番嫌なことだというのが解ります。

一方的に見詰められている➡監視されているような気がする。それが嫌だというわけです。

見詰めているのは看板に書かれた男なので、ひっくり返せば何の意味もなくなるはずだし、意志を持たないただの「絵」のはずなのに、それでも気になるのです。

この話の前後は分かりませんが、何かしらこの「私」には監視されていたら嫌な後ろめたい部分があるのかもしれません。

隣の家に電話をかけるか迷う「私」

看板をどうにかしてみようと、少年の両親に電話をかけてみようかと考えますが、二つの考えから、それを断念します。

ひとつ目は、

・建前:少年の頭越しに説得する方法は、フェアではない。(本音:両親を説得する自信がない)

「私」がたとえ年下相手でもフェアな考え方を大事にしていることが解ります。また、自分の「看板の男が怖い」という気持ちが、妻以外の人々に受け入れられるものではない、と「私」が思っていることも、同時に解ります。

二つ目は、

・建前:噂を立てられるのが、嫌。(本音:周囲からの評価を酷く気にしている)

自分の行動で、仮に希望がかなったとしても周囲から悪評を立てられたら堪らない。人から、「あそこの家の男性はおかしい」と思われることが、何より恐ろしいのです。

小説は、どうしても主人公に自分の考えを重ねて読んでしまう傾向がありますが、冷静に考えると、この「私」は人からの視線にとてつもなく怯えていることが解ります。

そう。「他者からの視線・評価」におびえているのです。

そうすると、看板の男が怖いことも、共通項が見えてきます。

この主人公は、人の視線や人からの評価、噂などが怖くてたまらない。何より、世間体を気にする人であることが、分かります。

何故、一方的に見詰めてくる看板の男が嫌なのか。

それは、ずっと見つめられていることで、「相手にどう思われているのだろう……」という焦りを、「私」が無意識に抱いてしまうからです。

きっと、仕事をしているときから、常に周囲の人々にどう思われているのかを気にし続け、神経を張り続けて仕事をしていたのかもしれません。

それがやっと定年退職し、家で誰の視線にも怯えずに読書をすることが可能になったはずなのに、自分を観ている存在が庭にある、と思ってしまうだけで落ち着かなくなるのです。

60代の男性がこんなことを悩むのか? と思うかもしれませんが、これは小説の人物です。そういう人なのだ、としっかりとした人物図を頭の中で思い描くのです。ある意味、年齢を重ねた人だからこそ、抱く怯えなのかもしれません。しっかりしなければ、と想えば想うほどに、人の目が気になってしまうのでしょう。それが看板に描かれた絵の中の男であったとしても、たかが散歩に行くだけなのに、「散歩に行くぞ」と宣言(本文では目で告げる、と書かれています)しなければ、動けない。誰かの許可がなければ、動けなくなっている自分に、自分でも気が付いているのにどうしようもなくなっている。

そんな息苦しさを抱えた男性の姿が、見えてきます。

少年との会話

散歩に出た時、たまたま「私」は隣の家の息子と思しき少年の姿を見つけます。

この時に、少年の姿を描写しているのですが、主人公以外の人物を詳しく描写している場合、殆ど場合問題で聞かれる場合が多いので、きちんとチェックしておきます。

この隣の家の少年。

・迷彩色のシャツをだらしなくジーパンの上に出している。
・道の端をのろのろと歩いている。
・育ち切らない柔らかな骨格。
・無理に背伸びした身なり。
・細い首に支えられた坊主頭。

これらの描写から、少年の人となりを「私」がどうとらえているかを、推測します。

ここでポイントなのが、少年の性格、ではなく、「私」が少年をどうとらえているか、を意識することです。
これらの描写は、全て「私」の目を通して語られています。つまり、「私」の主観を通した少年の姿であり、彼の本来の姿とは違います。そこを押さえておくと、問題で問われた時に迷うことがありません。

「だらしない」「のろのろ」という表現から、少年を下に見ようとする「私」の感覚が良く解ります。
「柔らかな骨格」「無理に背伸び」「細い首」「坊主頭」➡全て、この少年が若いことを指し示し、力がある存在だとは思えません。どちらかというと、思春期の男の子が頑張って大人ぶっている姿が見えてきます。

つまり、「私」は、隣の家の少年を、「だらしなく、道の端を歩く様な自信のない子で、背伸びをして大人ぶっている、まだ子ども過ぎない存在」だと、見做したことが伺えます。

自分を脅かす存在ではなく、この子は「子ども」だと思ったわけです。

なので、そう認識した瞬間。「私」は大胆な行動に出ます。

傍線部A「隣の少年だ、と思うと同時に、私はほとんど無意識のように道の反対側に移って彼の前に立っていた。」

という部分ですが、これは相当おかしい行動です。

反対側の道を歩いていたのに、わざわざ車道を横切って、彼が歩いている側の道に向かったわけです。

隣の家へ電話一本かけられない神経質な男が、何故そんな大胆なことができたのでしょうか。

その理由は、「少年」を直接見て、「この子だったら話を聞いてくれそうだし、説得できるかもしれない」と思ったからです。話が通じる相手、というよりも、年長者である自分が説明すれば、すんなり言うことを聞いてくれそうな「子ども」だと相手を見做したからなのでしょう。

しかし、拙い説得は失敗に終わります。

追おうとした私を振り切って彼は急ぎもせずに離れていく。
「ジジイーー」
吐き捨てるように彼の俯いたまま低く叫ぶ声がはっきり聞えた。(本文より)

この、「急ぎもせずに」というのがポイントです。
少年は声をかけられた時は、はっきりと怯えていました。けれど、「私」が少年を御しやすい「子ども」だとみなしたのと同じように、この少年も「私」を、隣の家の60代のジジイだとみなしたわけです。だから、「急ぎもせず=ゆっくりと」離れていったわけです。
ここで考えてほしいのが、大型犬と小型犬の動き方です。
大型犬は何が起きても対処できるので、基本的に身体の動きがゆっくりですよね。もちろん、必要な時には俊敏に動きますが、逆に小型犬は忙しなく動き回っています。

つまり、
ゆっくり動く=危険を感じていない。
忙しなく動く=怖い、警戒している。
と読み解けます。

この少年は、言葉通り、主人公の「私」を「ジジイ」と見下したわけです。なので、彼が何を訴えようが、この少年にとっては雑音でしかない、ということです。何が気に食わなかったのかはわかりませんが、聞かなくても良いと思ってしまったわけです。

~会話をした日の夜~

ひどく後味の悪い出来事

傍線部B「身体の底を殴られたような嫌な痛み」(本文より)

この、「ジジイ」という言葉に、「私」は打ちのめされます。

更には、この少年との会話を妻にも打ち明けられないでいます。

この身体の底を殴られたような痛み、というのは、自分の根底を否定された痛みです。
逆に、この少年が「私」の方を向いて、きっぱりと拒絶をしたのならば「まだいい」と書いてありますが、「まだいい」ではなく、「私」の本音は、そうやってきっぱりと視線を合わせて拒絶してほしかったのです。

けれども、少年は吐き捨てるように、うつ向いたまま、視線も合わせずにただ「ジジイ」という、侮蔑の言葉を吐き捨てた。

視線を合わす価値も、話し合う意味もない、自分の存在を相手に軽んじられ、まともに相手をしてくれなかったことに、「私」は傷ついているわけです。言葉よりも、その少年の態度そのものが、自分の価値が軽んじられているようで、堪らなかったのでしょう。

仕事をしているのならば、まだ自信もあるでしょうが、定年退職後の男性というのは、仕事という社会から要求される役割を下りたことにより、頼るものや場所がなくなってしまい、不安になってしまうものです。そこに、中学生という普段馴染みのない年代の少年に、「人」としてすら扱われなかった事実に傷つき、またそんなことに傷ついている自分自身が情けなく、それを妻に話せないでいる。

とても息苦しい状態に追い込まれています。

看板の男に「馬鹿奴」と呟く「私」

そんな気持ちのまま夜を迎え、妻が眠ったのを確認した後、「私」は大型の懐中電灯を取り出して、やはり看板の男をながめます。

想像すると、軽くホラーっぽい光景ですよね。そうやって、懐中電灯で網戸越しにプレハブ小屋を照らして、看板の男に向かって「馬鹿奴」と呟く。

その言葉がどうして出てきたのか。
誰に対しての言葉なのか、小説の本文の中では「わからない」とされています。けれども、大概「解らない」と書かれているものは、主人公が自分に対しての反省も込めて呟いているものが殆どです。

この場合も、「馬鹿」と嘲っているのは、そうしなくてはならない、どうしようもない衝動に突き動かされている「私」本人です。

なぜならば、このあと「私」は「馬鹿」なことをしてしまうからです。

深夜に隣の家の庭に不法侵入

そう。相手に話してもどうしようもないなら、強行突破です。
その過程で、生垣の枝が折れたのですが、それを気に掛ける余裕もなくなってしまいます。

小説の主人公が犯してしまうダメなこと

文学小説には良くあることなんですが、主人公が大概「悪いこと」や「罪」を犯します。

「こころ」の主人公ならば、お嬢さんへ結婚の申し込みをしたことを、Kにうち明けない。
「舞姫」の主人公ならば、エリスに日本に帰るつもりであることを、うち明けない。

それは小さな嘘であったり、伝えなければいけないことを伝えてなかったり、更には殺人などの犯罪を犯すときも、中にはあります。

今回もそうなのですが、主人公は時に衝動に駆られて「やってはならないこと」をやってしまう時があります。大概そういう時は追い詰められていて余裕をなくしているときです。共通テストの内容ではありますが、「主人公は何か悪いことをしてしまう、危ない人なのかもしけない」という人物であるかもしれない可能性を、しっかりと頭の中に置いておいてください。

たまに、生徒が主人公のしている小さな嘘や犯罪に気が付かず、当然のことのように受け止めて読み、選択肢を間違える場合があります。

何故なら、「主人公は悪いことをしないはず」という思い込みのもとで読んでしまうからです。

違います。「主人公だから、作者は罪を犯せる場合もある」ということを、必ず頭の中に入れておいてください。性善説は捨てて読みます。

看板の男を近くで見る「私」

二重傍線部「案山子にとまった雀はこんな気分がするのだろうか、と動機を抑えつつも苦笑した。」(本文より)

そして、自分の家の窓から見る看板の男と、間近で見た看板の印象の違いに、同じものとは到底思えない「私」がいます。

更に、隣の中学生の息子のことを「餓鬼」と完全に見下した言い方で心の中で呼びます。

見下されると、相手を見下す発言をするようになります。「ジジイ」と呼ばれたことに対する言い返しが、「餓鬼」という表現になっているのです。

そして、「案山子」を恐れている「雀」も、その正体に気が付いたら、「こんなものを自分は怖がっていたのかと、自分で自分を笑いたい気分になるのだろうな」と苦笑を浮かべます。心臓をバクバクさせながら。
動悸がするのは、やはり恐怖と緊張が残っているからでしょう。悪いことをしていると自覚があるからこそ、心臓の動機が止まらず、更に自分を脅かし続けた「看板の男」の側にいるのだから、怖くて当たり前です。けれど、傍に寄ってみてみると、案外大したことがないように思えてきてしまう。

これは文学でよくあるテーマなのですが、「自分には良く解らない」「あこがれの対象」「恐怖の対象」など、馴染みのないものを人間は異様に恐れます。そう。知らないから、怖がり、その恐怖が更に恐れを強くする。けれども、知ってしまえば恐れはなくなります。

紙を張り付けたものではない、看板の男

そして、よくよく「看板の男」を見ると、板に紙が貼りつけてあるだけではないことに、気が付きます。

それが何の素材かはわかりませんが、プラスチックのような素材で出来た、雨や風、土に風化することない、頑丈なものだと解ります。

雨に打たれて果無く消えるどころか、これは土に埋められても腐ることのないしたたかな男だったのだ。(本文より)

ここの描写はとても面白いです。
この主人公の「私」が、これまでは少々神経質な描写でものを見ていたのが、この間近に看板を見て語る内容は、とても理路整然としていて、神経質な描写が幾分か和らいでいます。それだけ、この「看板の男」にイラついていた気分が収まり、この人が持つ本来の性質が文章にも出てきています。

そして、看板の男から「したたかな男」と名前を変えた表現にふさわしいように、横にずらそうとしても、向きを変えようとしても、びくともしません。それぐらい、がっちりと壁に張り付いている。

そこから、これを造り上げた少年の意図を、「私」はくみ取ります。

傍線部Cあ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに望んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった。(本文より)

ああ、自分が覚悟を決めてこうやって夜中に看板の男をどかそうとしたように、あの少年(餓鬼から表現が変化しています)も、同じように何かしらの確固たる意志で、これ(看板の男)を造ったのだなと分かるわけです。

頑丈に張り付けられたことから、「動かされたくない」

雨にも風にも負けない素材で作られているところから、何かしらの専門的な知識がなければ造れない造形物=作品、と考えれば、彼が造りたくて造っているもの、と解釈することができます。

ならば、他人にとやかく言われても動かせる物ではなく、おそらく一言問われただけで反射的に拒絶を示したことから、「あの看板を撤去をしろ」と、もしかしたら身近な人たち(両親、家族など)に言われていた可能性も有るわけです。

想像してみてください。
自分が頑張って造っているものを、「気持ちが悪いからどけてくれ」と誰かに言われたとしたら。
「何を造っているの」と必要以上に質問されつづけ、否定的な言葉を言われ続けていたとしたら……

人から、自分の造った作品に対して言われる言葉に対して、警戒心が強くなるのは当たり前なのではないでしょうか。

そこまでこの「私」が思い至ったかどうかは分かりませんが、少なくとも「認めてやりたい」という言葉からも、頑丈に張り付けられている看板は多分短時間では造れないものです。

長時間、これを造るのに時間を費やし、必死に造り上げたものならば、その努力と造り上げた少年の意志は、きちんと尊重したいなという気持ちが湧き上がっているわけです。

つまり、彼との会話は上手く成立しませんでしたが、自分にとって不快で恐怖の対象だった「看板の男」を間近で見、その頑丈さやしたたかさを通して、それを造った少年の意志や性質を感じ取り、彼の気持ちを受け止めたい。分かりたいと思い始めている、という気持ちの変化が見えます。

本文まとめ

小説のまとめは、心情の変化を明確にすることです。

この場合、「私」の気持ちを追いかけます。

一つは、怖がっていた「看板の男」に対する気持ち。
もう一つは、「餓鬼」だとみなしていた少年に対する気持ちの変化です。

「看板の男」については、簡単です。
「案山子」=張りぼての「看板の男」=見せかけだけの恐怖の対象=自分を脅かす存在。
「雀」=看板の男を不快に思う「私」=見せかけだけの存在を怖がる無力な自分

自分が不快に思う看板の男を、どうにか頑張って気にしないようにしようと思っても、案山子を怖がる雀と同じように、どうしても怖くて仕方がない。けれども、看板の男を身近で見た体験をして、それが怖くなくなります。自分が感じていた男と、傍で見た男は全く違う雰囲気なので、怖くなくなったのです。

遠くから見たら不快な男も、近くで見たら明らかな作り物だということが理解できたからです。

怖いもの・不快な物が、怖くなくなった。これは大きな変化です。理由は、近くでじっくりと見ることで、自分の受けていた印象と全く違ったものに受け取れたから、怖さが無くなったわけです。

もう一つは、今度は少年に対する心理です。

最初は、全く馴染みのない中学生の存在を、どことなく怖がっています。なぜなら普段、接したことがない年代だから。
それが、会話を通して自分の事を「ジジイ」と侮辱され、会話すら成り立たない拒否と侮蔑を感じ取り、「餓鬼」と評するまでの憎しみに近い嫌悪の対象になります。
それが、彼が造ったであろう「看板の男」の頑丈さやしたたかさを通して、こんなものを作るだけの意志の強さや根性を感じ取り、その覚悟はきちんと評価してやりたいと、その少年を人として判断しようとしています。

人として判断というのは、相手にも何かしらの考えや意志、意図があり、それに基づいて行動しているのだから、それを理解も示さずに否定するのではなく、その考えにはきちんと耳を傾けようとしていることです。

つまり、自分の思い通りに行動させようとしていた、ある意味侮っていた少年を、一人の意志を持った人間として認識するまでに変化していることを、きちんと押さえます。

小説の解法

では、具体的に問題の解説と、正解の見つけ方を解説していきます。

問1

傍線部Aからの問題です。
そんな行動に「私」を駆り立てた要因=原因は何か、ということですが、説明として2つ選べという問題。

基礎的なことですが、解答の数を間違わないように確認をします。

「私」がわざわざ道を横切って少年の前に出てきた理由は、とにかく看板の男をどうにかしてほしかったからです。

その前の部分で、両親に話をするのは、少年に対してフェアでなく不誠実だろうと「私」が思っている部分も書いてあります。

なので、
・きちんと少年本人と話をする機会が欲しい。
・看板の男の場所を移動するか、撤去するかしてほしい。

という願いを「私」が思っていたことを確認してから、選択肢を見ます。

ここでも、文末だけを並べてまず確認をします。

➀少年にどんな疑惑が芽生えるか想像し恐ろしく思っていたこと。
➁フェアではないだろうと考えていたこと。
➂お前は案山子ではないかと言ってやるだけの余裕が生まれていたこと。
➃男がいつもの場所に立っているのを確かめるまで安心できなかったこと。
⑤無理に背伸びをした身なりとの不均衡をいぶかしく感じていたこと。
⑥看板をどうにかしてほしいと願っていたこと。

そうすると、明確に➁と⑥が文末だけで選べます。

➀は、恐ろしく思っている対象に対しては、人は距離を取るはずです。自分から近づきはしません。なので、×。

➂は、案山子云々は、ここでは問題ではないので選べません。
➃は、確かめるのならば自分の家に戻ってみるのが一番です。なので×。
⑤は、いぶかしく=疑わしい、という意味なので疑問を抱いている存在に近づくのは、この時の男の行動の動機には関係がありません。なので、×

正解は、➁と⑥

問2

傍線部Bからの問題。痛みがどのようなものか、を説明する問題。

ポイントは、「身体の底」が何を指し示しているのか。「身体の底」って、本当の身体の底ではなく、比喩的な表現です。でも、じゃあ身体の底ってどこでしょうか?

これは具体的な場所(胃とかお腹とか腰とかそういう箇所の事)ではなく、根底。つまり、自分を形成しているすべての根本的な要素、を指しています。要するに、自分自身そのもの。それを殴られる、ということなので、自分の存在そのものが揺らぐぐらい動揺したことを指します。

傍線部Bの「厭な痛み」という表現も、ツッコミどころがあります。厭じゃない痛みってあるのかな? と思うのですが(笑)それぐらい不快だったと強調しているわけです。

なので、自分自身が揺らぐほどの衝撃を感じて、酷く不快な痛みを感じた、ということになります。

「ジジイ」という呼び方には、それだけ痛みのある言葉なんですね。自分の全てをその一言で否定されたような、そんな痛みがじわじわと時間が経った今でも「私」を苦しめている。それを元に選択肢を読みます。

基本の文末のみで精査をここでもかけます。

➀存在が根底から否定されたように感じることによる、解消し難い不快感。
➁そのことを妻にも言えないほどの汚点だと捉えたことによね、深い孤独と屈辱感。
➂常識だと信じていたことや経験までもが否定されたように感じることによる、抑え難いいら立ち。
➃看板についての交渉が絶望的になったと感じたことによる、胸中をえぐられるような癒し難い無念さ。
⑤幼さの残る少年に対して一方的な干渉をしてしまった自分の態度に、理不尽さを感じたことによる強い失望と後悔

と並べると「否定」という言葉が書かれている➀と➂が自然と残るのが解ると思います。

➁孤独はひとりぼっちということなので、そんなことは書いてないので×
➃交渉が絶望的だとは書いてないので、×
⑤自分の態度を後悔しているのではなく、相手の無礼な「ジジイ」というつぶやきに傷ついているので、×

残った➀と➂で吟味をするために、上から読みます。

➀過不足なし。

➂常識が否定された、の部分は良いのですが、「経験までもが否定」というのが、×。少年が「私」の経験を知るチャンスはありません。なので、×。

よって、正解は➀

問3

傍線部Cの問題。
「かなりの覚悟でことに望んでいる」という表現から、少年に対して得体のしれない馴染みのない存在でも、餓鬼と見下す侮蔑の存在でもなく、一人の人間として何かしらの意図があって、この看板の男を彼は造ったのだと、認識します。

要するに、これを造った少年の情熱や意気込みは認めたい、と「私」は考えたということになります。

そこをもとに、選択肢を見ます。

ここも、文末のみでまず精査。

共感を覚えたことで、彼を見直したいような気持が心をかすめた。
➁彼なりの強い思いが込められていた可能性があると気づき、陰ながら応援したいような新たな感情が心をかすめた。
➂少年が何らかの決意をもってそれを設置したことを認め、その心構えについては受け止めたいような思いが心をかすめた。
➃この状況を受け入れてしまったほうが気が楽になるのではないかという思いが心をかすめた。
⑤彼の気持ちを無視して一方的に苦情を申し立てようとしたことを悔やみ、多少なら歩み寄ってもよいという考えが心をかすめた。

と並べてみてみると、➂以外は間違いが楽に見つかります。

➀の共感は、彼の意図を正確に聞いて理解しなければ無理です。ああ、そう言う意図だったのかと理解を示し、自分と同じだなと思うことが共感。そんな表現はありませんでした。なので、×

➁は、応援したいという言葉は、本文にはありません。×。(※本文に書いてないことは、基本的に外します。)

➃気が楽になる、という表現も本文にはありません。×。

⑤悔やみ、という感情は、「ああ、自分が本当に悪かったんだなぁ」と思わなければ湧き上がりません。そんな描写はないので、×。

なので、正解は➂。

問4

小説全体の表現方法や、同じものに対しての呼び方が変化していることに対しての問題です。

人は、呼び方ひとつで相手に対してどのような感情を持っているかが如実に解るものです。些細な表現の違いですが、そこに気を配れる読み方を普段から徹底しましょう。

これは一朝一夕で身につくテクニックではありません。ある程度の期間と読む量が必要になります。なので、練習時にゆっくりとで構わないので、人の呼び方に注意して読む、ということを課題にしてみてください。細かい部分に気を配れるようになると、選択肢の読み方も長けてきます。

(ⅰ)

ここで、少年の呼び方に対しての問題です。
本文で確認すると、「裏の家の息子」➡「中学生かそこいらの少年」➡「彼」➡「君」➡「中学生の餓鬼」➡「あ奴」

という変化をしています。面白いのが、ラストの「あ奴」です。「あの」とか「その」という、個別なものを固定する指示語が付いています。漠然とした少年・中学生の餓鬼、という数多いるであろう複数の対象を示す言葉から、「あ奴」という個人を指し示す人称に変化しています。その他大勢の存在だった隣の家の息子が、明確な個人として刻まれた変化が、ここには表れています。

そしてやはり注目するのは、「餓鬼」という侮蔑表現です。

ここには「私」の怒りが如実に表れています。しかもその直前が「君」という、たとえ建前であろうが礼儀正しい呼び方をした後で「餓鬼」と心の中で吐き捨てているので、その怒りが凄まじいことが伺えます。

そこを踏まえて、選択肢を見ます。

この「変化」を問う問題の場合、文末だけ見ても絞ることは難しいので、全体を読みます。

➀当初はあくまで他人として「裏の家の息子」と捉えているが、実際に遭遇した少年に未熟さを認めたのちには、「息子よりも遥かに年若い少年」と表して我が子に向けるような親しみを抱ている。

➁看板への対応を依頼する少年に礼を尽くそうとして「君」と声をかけたが、無礼な言葉と態度を向けられたことで感情的になり、「中学生の餓鬼」「あの餓鬼」と称して怒りを抑えられなくなっている。

➂看板撤去の交渉をする相手として、少年とのやりとりの最中はつねに「君」と呼んで尊重する様子を見せる一方で、少年の外見や言動に対して内心では「中学生の餓鬼」「あの餓鬼」と侮っている。

➃交渉をうまく進めるために「君」と声をかけたが、直接の接触によって我が身の老いを強く意識させられたことで、「中学生の餓鬼」「息子よりも遥かに歳若い少年」と称して彼の若さをうらやんでいる。

⑤当初は親の方を意識して「裏の家の息子」と表していたが、実際に遭遇したのは少年を強く意識し、「中学生の餓鬼」「息子よりも遥かに歳若い少年」と彼の年頃を外見から判断しようとしている。

➀は親しみなど抱いてないので、×。
➂は侮るが間違い。侮るのではなく、怒っているのだから、侮る(=相手をみくびる、軽く見て馬鹿にする)とは違う。
➃はうらやむ、が違う。若さをうらやむのならば、「私」が若くなりたいと願っている描写が必要。それはないので、×。
⑤彼の年頃を外見から判断、が間違い。年は中学生程度とすでに分かっているし、餓鬼と呼ぶことが「私」の怒りの表れだという意味も書いてない。×。

なので、正解は過不足ない➁

(ⅱ)

今度は、看板の絵に対する表現の呼称から、「私」が看板をどう思っているかを読み取ります。

これも、呼び方でそのものをどう思っているかが解ります。逆に言うのならば、小説家はそうやって呼び方を様々に変えることで、登場人物の心を表そうとしているので、ここは落とせないポイントです。

他の作品でも共通してみられる書き方なので、気にしたことがない人は、今後気を配るようにしてください。細かいところに気を配るのは面倒ですが、その細かいことの積み重ねが読解力をつくることを、ぜひ心に留めてください。

看板の絵について、どう呼んでいるかを確認します。

「立て看板」➡「裏の男」➡「あの男」➡(少年との会話)「映画の看板」➡「素敵な絵」➡「オジサン」➡(夜)「私を睨み返す男の顔」➡「暗闇に立つ男」➡(傍で見た時)「男」➡「ただの板」➡「したたかな男」

と変化しています。

「私」は看板の絵として見做しているというよりも、最初から「人」として認識していることが解ります。
少年との会話の間は、「素敵な絵」と褒めているようで、「オジサン」とも称しています。短いセリフですが、褒めているのに動かしてほしいという、矛盾した内容を訴えています。素敵な絵なら、見せてくれてありがとう、のはずなんですが、この矛盾した発言は文末の方が本音ととると、「素敵な絵」は体裁を考えてとっさについた嘘、警戒した少年へのご機嫌取り、ということになります。

そして、夜には睨み返す男、となっているので、睨み「返す」という表現から、「私」が看板を睨んでいることが明確です。けれど、傍に近づいて見ると、「ただの板」と拍子抜けしたような呼び方らなり、その後「したたかな男」と相手が手ごわい存在だと変わってきています。

恐怖➡嘘の褒めたたえ➡睨みつける怒りと憎悪の対象➡板だとわかると拍子抜け➡手ごわい存在

と変化していきます。

これを解ってから、選択肢を見ます。

これも「変化」を問われているので、選択肢全体を読んでいきます。

➀「私」は看板を「裏の男」と人間のように意識しているが、少年の前では「映画の看板」と呼び、自分の意識が露呈しないように工夫する。しかし少年が警戒すると、「素敵な絵」とたたえて配慮を示した直後に「あのオジサン」と無遠慮に呼んでおり、余裕をなくして表現の一貫性を失った様子が読み取れる。

➁「私」は看板について「あの男」「案山子」と比喩的に語っているが、少年の前では「素敵な絵」と大げさにたたえており、さらに、少年が憧れているらしい映画俳優への敬意を全面的に示すように「あのオジサン」と呼んでいる。少年との交渉をうまく運ぼうとして、プライドを捨てて卑屈に振るまう様子が読み取れる。

➂「私」は妻の前では看板を「案山子」と呼び、単なる物として軽視しているが、少年の前では「素敵な絵」とたたえ、さらに「あのオジサン」と親しみを込めて呼んでいる。しかし、少年から拒絶の態度を示されると、「看板の絵」「横に移す」「裏返しにする」と物扱いしており、態度を都合よく変えている様子が読み取れる。

➃「私」は看板を「裏の男」「あの男」と人間に見立てているが、少年の前でとっさに「映画の看板」「素敵な絵」と表してしまったため、親しみを込めながら「あのオジサン」と呼び直している。突然訪れた少年との直接交渉の機会に動揺し、看板の絵を表する言葉を見失い慌てふためいている様子が読み取れる。

➁は、本文に書かれていないので、×。
➂は看板の男を「私」はずっと人のように見立てて意識しているので、これも×。
➃慌てふためいているから呼び方を変えているわけではないので、これも正解とはいいがたい。

なので、正解は➀

問5

新しい傾向の問題です。

本文の中から比喩的に使われている案山子、雀を取り出し、その言葉が二重の意味で使われていることを【ノート】を使い、提示します。

俳句の季語など、多くの受験生が嫌いな俳句・短歌・漢詩・散文詩などを今後も取り入れて来るでしょう。けれど、たとえ基礎がなかったとしても恐れることはありません。与えられている情報から、十分選択肢を絞ることができるからです。

X、Yとラストに穴埋めが見られますが、小説の読解と国語辞典の案山子の意味から、ある程度、選択肢を読む前に埋めることが可能です。

Xは、国語辞典の㋐の意味で使われており、俳句ではⓐの意味の組み合わせだと当たりを付けます。

Yは、国語辞典の㋑の意味で使われており、俳句では役に立たない意味から、ⓑⓒが組み合わせとして適当となります。

(ⅰ)

さて、組み合わせの問題ですが、これは冷静に確認すればわかりやすい問題です。Ⓒの箇所に惑わされないようにすること。

正解は、➀

(ⅱ)

これは、選択肢の中で組み合わせを確認すれば、正解が解ります。

(ⅰ)から、X➡Yと変化していると考えると、(㋐、ⓐ)➡(㋑、ⓑⓒ)に変化していることを抑えます。

なので、選択肢が全て認識の変化を表している文章なので、組み合わせだけを抜き出して確認します。

➀Ⓒ➡㋑に変化。
➁ⓑ➡㋐に変化。
➂㋐➡Ⓒに変化。
➃㋐➡ⓑに変化。
⑤ⓐ➡㋑に変化。

となるので、➀➁は除外。➂➃⑤で文章を読みます。

➂は、「自分に自信を持つことができた」が間違い。少年の覚悟を受け止めようかなと思っているだけで、自分の自信云々は関係ありません。

➃は、「自分に哀れみ」を感じている部分が違います。そんな描写はないし、こんなただの板を怖がっていた自分に対して苦笑しているだけなので、哀れみ(=可哀そうだと思う事)ではありません。

⑤過不足ありません。滑稽さ、という表現も本文の表現と当たります。

なので、正解は⑤

まとめ

お疲れ様でした。
本番の制限時間は20分ですが、ここまで丁寧に見ると、一つの問題に1時間近くかかってしまうこともざらにあります。

けれど、よくよく読み込んでいくと、細かい描写だったり、組み合わせだったり、丁寧に読むことを身につけなければ読み飛ばしてしまうところに、読解は正解のカギが潜んでいます。

焦るのは分かりますが、この読み方に慣れると練習を繰り返していくうちに処理がどんどん早くなっていくので、小説がどうしても点が取れないと嘆く前に、まず丁寧な読解と、本文の表現をきちんと追いかけることを、時間をかけてやってみてください。

最初に一時間かかっていたことが、最終的には10分程度で出来るようになる生徒も沢山います。

ぜひ、自分の能力に絶望する前に、読み方を変えてみてください。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

コメント

This site is protected by wp-copyrightpro.com

タイトルとURLをコピーしました