不合格は失敗か それとも成長か

受験対策
DanielReche / Pixabay

こんにちは、文LABOの松村瞳です。

受験シーズンの終了とともに、多数の合格者が出ます。しかし、合格者が居る、ということは、不合格者も出る、という事実。

なので、今日は少し、以前教えた生徒の受験を振り返りながら、不合格が決して悪いものではない、ということを説明したいと思います。

別段、慰めの為にこれを書いているつもりは全くありません。けれど、不合格という事実を、失敗ととるか、成功への第一歩ととるかは、今後の貴方次第です。

不合格という事実を失敗としたいのならば、止めません。それも一つの選択です。貴方の、人生の選択です。

けれど、ここで失敗したまま、顔を下げたまま終わりたくないと思う人の為に、今日のエントリーを書きたいと思います。

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【ポテンシャルが高いが故に、逃げ続けた生徒】

数年前に教えたある生徒。

その子は、基本的にとても能力が高い子でした。全部言わずとも、途中でさっせるし、本を読む能力も高い。中学校からそのポテンシャルは抜きんでていて、高校受験は地域でも有名の進学校に、あっさりと然程苦労もなく、合格しました。

けれど、そのポテンシャルが有効だったのは中学までで、高校で伸び悩みます。

しかし、その子はずっとこう言ってました。

「勉強してないんだから、テストで点取れなくても当たり前」

どこか自慢でもするような言い方で、赤点をとっても、最低点をとっても涼しい顔です。理解できないわけでない。けれど、努力の部分を全くしていなかったし、得意教科はそこそこ取れているのだから、別に苦労しなくてもいい。みたいな雰囲気で、高校生活を楽しんでいました。

そして、受験期。

現役の時に、中々上がらない成績も、殆ど気にした様子を見せず、ほぼ勉強をしないままに本番を迎えます。

心のどこかで、「まっ、受かるだろ」と思っていたのは、明白です。態度にそれがにじみ出ていました。どこかで、自分が不合格になる筈がない。適当な大学には受かるだろう、と。

そして、出た結果は前期も後記も私立も何もかも、不合格。

正直、その結果を聞いた時。私は、「ありがとう」と落としてくれた大学に、感謝しました。

【受験の怖さに向き合うことから逃げた生徒】

指導するものとして、生徒の不合格を願うのは本末転倒だと分かっていながら、それでも「落としてほしい」と願っていました。

そうでなければ、このままで何も変わらない、と。

その子は、真摯に勉強に向き合い、本気で心の底から努力をすることから、逃げ続けてきました。

口ではかっこいいことや、ぴったりな逃げの理由を作り、うまーく解釈して、誰からも責められない見せかけだけの、立派な理由を作りながら、実は、真剣に頑張った結果。点数が取れない未来を、本能的に避け続けてきたのです。

勉強をしないんだから、点数取れなくて当たり前、という論は、裏を返せば、「自分は頑張れば点数が取れる人間なんだ」と言っているのです。

自分は頭が良い。ただ、今は勉強よりもやりたいことがあるから、やってないだけ。だから、この点数は当たり前。

そう自分に言い続け、自分で自分を騙している事すら気付けずに、持っているポテンシャルが高いが故に、それまでこれてしまった。

けれど、その子が、ようやくコテンパンに打ちのめされる瞬間がやってきたわけです。

【不合格後の浪人生活】

一年間の浪人を許されたその子は、もう言い訳ができない状況に追い込まれました。そして、浪人をするのならば、本当にやりたかったことに挑戦したいと、レベルの高い学部を望み、そうして真摯に努力をし続けました。

言い訳は、もう出来ません。

勉強やってないから、と三年間言い続けた。いや、中学も含めたら、六年間も言い続けた言葉を、今回に限っては口にすることすら許されない状況です。

そんなプレッシャーを感じたことも、自分の限界や、出来ない部分に向き合うことどれだけ辛いかも、その一年間で何度となく味わい、そしてセンターを迎えました。

しかし、その一週間前。

それまで殆ど体調など崩したことがなかったその子が、インフルエンザにかかります。

体力回復と体調優先で数日勉強が出来ず。けれども何とかセンター当日までに外に出てもいい状態になれたことで、受験が可能になりました。

恐らく、逃げ場がない状況で、一発勝負で実力を出しきるプレッシャーと向き合うのが、生まれて初めてのことです。だからこそ、とてつもなく怖くて、恐ろしくて、センターを受けている時に指が震えたと言います。

けれど、いつもならばしないミスを、してしまった。

得意教科の最後の問題を、まるまる解かずに、試験を終えるというミスをしました。本人は、それに気付いた時。呆然として、何も考えられなかった。いわゆる、頭が真っ白になる状態になったそうです。

【高校受験の思い出】

センターから数日後。

顔を出したその子がセンターの顛末と点数を教えてくれたのですが、その時にかれが呆然としながらも、「どうしてあんなことをしてしまったのだろう」と、語ってくれました。

「いつもの自分だったら、絶対にしなかったのに」
「あんなに気を付けていたのに」

それに対し、私はこう答えました。

「そりゃそうだよね。君、真剣に逃げ場がない状態でテスト受けたことなんて、今回が初めてでしょう? 高校受験の時、経験しなかったもんね」

我ながら鬼だと思います。けれど、明らかに付き物が落ちたように表情が変わっていたその子に、言うならば今だと、高校生活の時に自分が何をしていたのかを、伝えました。

「真剣に頑張ったらね、一発勝負は怖いんだよ。その怖さを味わえたってことは、君が一年、真剣に頑張ったってことだ」

そうして、それを聞いたその子は高校受験の時の思い出を、何かに気付いたかのように話してくれました。

高校受験時。隣の席に座っていた他校の知らない女の子が、試験が終わった瞬間に、泣きだしたそうなのです。

きっと、上手く解けなかったのでしょう。緊張や不安で、思い通りに解答が進まなかった。直前でミスに気付けたのに、書ききれなかった。色んな理由が考え付きますが、その子は横で見ながら、

「何、真剣になってんの?受験ごときで。ばっっかみたい」

と思ったそうです。

それを語りながら、頭を抱えて、一言。

「今、あの時に戻って、自分の頭を後ろから思いっきり殴りに行きたい」

と、語りました。

その一言で、一年、浪人をした価値はあるなと、心の底から思いました。

やっと。やっと、その子は失敗することが出来たんです。失敗を、真摯に、真正面から受け止める事が出来た。そして、自分の浅はかさと向き合うことが、出来た。

【受験その後】

浪人の結果は、センターの失敗が響き、第一志望には受かることは出来ませんでしたが、志望していた別の大学に見事合格。けれど、笑顔はありません。

「大学で四年間。真剣に、考えてみます。自分が、将来どうなりたいのか」

通常ならば、充分喜んでいいレベルの大学に合格しているのですが、その子にとっては、喜べなかった。

そして、失敗したからこそ、このままでは終われないという感覚も、手に入れた。

傍目から見たら、確かに不合格は、失敗です。敗北感に、今打ちのめされている人も、沢山いると思います。

けれど、同時に、人間的な成長や、能力を伸ばす切っ掛けを与えられたのです。

人は、壁にぶち当たらなければ自分の何かを改善しようなどとは思いません。

楽な方へ、楽な方へと、簡単に流れていきます。けれど、盛大な失敗をした。してしまったと言うことは、何かを変えなければそれ以上の成長は見込めない。何か、やり方を変えなければならない。考え方を、変えていかなければならないと、教えてくれているのです。

【ピンチをチャンスにするかどうかは、貴方次第】

今、とても辛いと思います。

荒れて、何もかも否定して、合格した人間達を呪い、恨み、自己否定し、自分の能力に絶望している人も、居ると思います。

けれど、それを失敗ととるか。

それとも、改善のチャンスと受け取るかは、貴方次第です。

泣いて、泣き疲れて、顔を上げたら、少し考えてみてください。

貴方は、将来どうなりたいのか。そして、このぶち当たった壁を、乗り越えようと努力の道を選ぶのか、見ないふりをして、楽な道を行くのか。

そのどちらを選べとは、言いません。

貴方の人生です。自分で、選んでみてください。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 

 

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