いじめの構造~尊敬と嫉妬の二律背反~

いじめ対策

こんにちは、文LABOの松村瞳です。

昨日の引き続き、いじめの話。もうすでに、学校だけの問題ではなく、職場や趣味の場、SNSでの交流や、様々な人間関係の間でいじめは起こっています。子供たちだけでなく、大人の世界でも、いじめはあります。パワーハラスメントやモラルハラスメント等、身近な、最も安心できるはずの関係性でも起こりうる、いじめ。
人間である限り、避けられないものなのかも知れません。

けれど、だからと言って「仕方がない」とため息を吐くのではなく、避けられないと理解して初めて、私たちはいじめに対しての防御策を考えられます。

「いじめをなくす」と考えるのではなく、「いじめはどこにでも、今この瞬間にでも起こりうる」と考えてこそ、スタートラインに立てるのです。

あなたが悲しむことを喜ぶ人間は、確実に居る

いじめは、簡単に被害者にも。そして、加害者にも成り得ます。

「いいや!! 僕(私)は、絶対にそんなことしないっっ!!」

という方もいらっしゃるでしょうが、人間、未来は解らないものです。だからこそ、「そうなってしまうかもしれない」と考え、頭の片隅に知識を置いておきましょう。
私たちは、実体験していない事でも、現実に起こったことのように予想できる、想像力という素晴らしい機能が備わっています。この能力をフルに生かし、いじめている人の考え方を知り、まず自分がいじめっ子にならないよう、この行為の構造を理解しましょう。

何事も、まず知るところから始まります。今知らないことは、罪ではありません。知らない事が罪なのではなく、学ぶことに背を向け、自分が知らないということに無関心であることが罪なのです。

人は、忘れたころや知らない事に平気で突っ込んでいき、とんでもない大惨事を招きます。

そして、今いじめで苦しんでいる子たちに、この知識が何かしらの考えるヒントになることを祈って。

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【意外な真実。いじめられっ子の方が上。いじめっ子の方が、下】

いじめの構造の意外な点。私たちは、いじめっ子が上、いじめられっ子が下、という風に考えがちですが、真実は逆です。いじめっ子が下、いじめられっ子が上、です。

立場のことを言っているわけではありません。容姿や、解りやすい学力、体力、学歴や運動神経、家の経済能力など。いじめっ子の方がどう考えても上じゃないか! というように言いたい気持ちは解ります。

けれど、ぱっと見の上下はここでは意味がありません。少なくとも、相手がいじめという具体的な行動を起こしている限り、あなたの方が上です。そのわけを、説明していきます。

【嫉妬と尊敬はコインの裏表】

ここで、嫉妬と尊敬、という感情についてお話します。

この二つは、もとは同じ状況から発露する感情です。なら、共通項ってなんでしょうか?

これは、自分の目の前に居る相手に対して抱く感情で、共通することは相手が自分より『上』だということです。
この『上』というのは、何でも構いません。解りやすい学歴や運動神経、経済力、容姿、その他、自分が欲しかったものをその子が持っている、なんてことでもかまいません。とにかく、相手が上。自分が下。そう何かの拍子に感じてしまった瞬間、人間の感情の選択は、次の二つに分かれます。

そう。嫉妬に行くか、尊敬に行くか。そのどちらかにしか、私たちの感情は振れないのです。

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【尊敬とは】

では、尊敬とはどんな感情なのか。

相手が上だと解って、自分が下であると認識した時。
「自分もああなりたい」「あの人のように成ってみたい」と、自己を変える方向。つまり、成長しようとする方向に意識が向くと、その相手を尊敬することが出来ます。
深く尊敬し、見習い、アドバイスを求め、教えてくれと頭を下げる。

相手が上、自分が下だと理解し、またそのことを恥じず、正面から受け止め、足りないところを補おうと行動できる人間が尊敬の心を抱けます。

成長しようと思ったら、まず自分が「出来ない」ということを受け止めなければなれません。「出来るもんっ!」と本当は出来ないのにそう言い張ってしまったら、良いアドバイスを受けても吸収することが出来ません。尊敬は、新しいものを得ようと、出来ない自分を許して認める勇気を持てる人間が、出来ることなのです。

尊敬とは、自分が変わろう。成長しよう、自分を上にあげようとする人が抱く感情です。

【嫉妬とは】

では、そのコインの裏。嫉妬という感情は、どのように発生するのか。

尊敬とは真逆に心が触れます。
相手が上、自分が下であると認識した時。
「くやしい」「自分の方がもっと凄いのに」「こんな奴に負けるはずがない」「私の方があの場所にふさわしいはずだ」と、自分の欠点には一切目を向けず、自分はそこから一切動くことも、変わることもしようとせずに、相手が「ずるい」と思ってしまう。

相手がその場所に到達するまでに費やした時間、努力、葛藤、苦しみ、工夫の数々を一切見ようともせず、まるで息をするように運良くたまたま偶然に手に入れているだけだ。その運が自分に来れば、あそこに立っているのは自分だったのに、と思いこみます。

そして、自分は一切変わろうとしないまま、自分よりも下に相手を下げようと動くようになります。つまり、相手を下げる行動をとる。

悪口や暴言、無視、傷付け、ボロボロにし、相手の欠点をあげつらい、攻撃をして、相手をとにかく下げる。自分よりも下だと思えるようになるまで、叩きまくります。

嫉妬とは、自分を変えようとは全く思わず、相手がうらやましいと感じてしまう自分の実情や欠点とは向き合いたくない、その勇気が持てない弱い人間が抱くものであり、自分が上位に立ちたいがために、大概は相手を蹴落とす行動に移ります。

この行為が、いじめに繋がる、切っ掛けとなってしまうのです。

【嫉妬は誰の心の中にもある】

人間の脳の恐ろしい構造は、この過程を一瞬で行ってしまうことです。嫉妬を抱いている人は、この手順を段階を踏んで進んでいる意識などありません。大概は条件反射に近い感覚で嫉妬の感情は湧きあがってきます。

誰の心にも、です。

これを書いている私自身の心にも、いつ、どこで嫉妬が湧き上がってくるかは、解りません。これを知る前は、本当にこの嫉妬心に振り回されていた経験があるがゆえに、知ったときには納得するのに時間がかかりました。今でも、嫉妬している自分に気がつくときは、多々あります。

けれど、構造を理解し、冷静に考えられるようになると、言葉にしたり、行動に移したりする前に気付いて立ち止まることが出来ます。

とくに、嫉妬に駆られているときは「自分の方が絶対的に正しい」と思い込んで、攻撃に移ってしまいます。「こんなにも正しいことをしている自分が下に居て良いはずがない」と自己正当化を人間は簡単に始めてしまうのです。悲しいことに。

自分は大丈夫、と思っている人が一番危険であることを、どうか理解してください。

【いじめへの発展】

これを話すと、いじめに苦しんでいる生徒たちは、『どうしても相手の方が「上」で、自分の方が「下」なのだけれども……』と、話してくれます。

けれど、この上か下かというものは、目に見えるはっきりとしたものではなく、本当に些細なことでも発動するのです。

たとえば、

どこからどう見ても完璧そうに見える人が、たまたま今朝、親に怒られてむしゃくしゃしていた時や、イライラしてたまらなかった時。たまたま目の前を通り過ぎようとしたあなたが、とっても楽しそうにしていた。

友達と喧嘩してしまい、落ち込んで次の日には謝ろうと思っていたのに、次の日に相手はけろりと違う友達と楽しそうに話していて、自分に対する態度が全く変わらず、喧嘩のことを気にしていないようだった……自分はこんなに傷付いて、落ち込んで、まともに寝られもせず、ずっと苦しんでいたのに、なぜあなたは平気なの? 

百点を狙っていたのに、ミスして99点。きっと、親にも先生にも怒られるだろうと思っていたら、80点を始めて突破したんだと笑顔で友達が喜んでいる……etc

「そんな些細なことで?」と思いがちですが、そうです。そんな些細なことで、嫉妬は発生するのです。

「自分の方が上なのに!」「引きずりおろしてやる!!」と、行動に移していきます。

誰もが嫉妬の感情を抱くことがある。ならば、誰もがいじめをしてしまう可能性がありうる、ということをまず理解する。

少なくともそれをするだけで、加害者ならば自分のみっともない行動にブレーキが。

そして被害で苦しんでいる子たちは、相手を観察出来る冷静な視点が戻ってきます。

この続きはまた明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

つづきはこちら

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