小説読解 夏目漱石「こころ」12 〜先生の卑怯な行為とKの覚悟〜

こころ

「こころ」解説、その12。

今回は

大修館書店発行では、192p上段~
筑摩書房発行では、165p下段~
小説の段落番号 42のシーンからです。

居直り強盗のごとく、開き直ったように見えたK。そのKが続くシーンでどのような会話を先生と交わしたのか。

そして、先生はどんな卑怯な行為を行ったのか

続きを読んでみましょう。

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【先生の卑怯さ】

「精神的に向上心のない者は、ばかだ。」という言葉をKにぶつけた先生。彼の心にあるのは、Kと真摯に向き合おうという意識ではなく、もっとちがうものでした。

その時の私はたといKを騙し打ちにしても構わない位に思っていたのです。然し私にも教育相当の良心はありますから、もし誰かが私の傍へ来て、御前は卑怯だと一言私語(ささや)いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。(本文より)

良心とは、善悪を判断し、正しい行いをしようとする心です。

つまり、正しい行いをしようとする良心から考えれば、今自分の行なっていることは卑怯であると、客観的に忠告してくれる誰かが居たのならば、その卑怯さに気付けたかもしれない、と書いていると言うことは、その時は全く気が付けなかったということです。

そして、先生の言っていることは、物理的に実現不可能なことになります。

なぜなら、誰も先生の本音。お嬢さんを好きだということを、知っている人は居なかった。先生が打ち明けていなかったからです。その状態で、先生の心の内を正確に読みとり、その言葉をKに向かって言うことは「卑怯だ」と指摘出来る人間など居ません。そう。自分が何をしているのかを理解している、先生本人でなければ、そんなこと不可能です。

卑怯とは、勇気がないことを指します。目の前にある問題に正面からぶつかる勇気が持てず、正々堂々としていない事。

この場合の正々堂々は、Kの告白に対して自分も素直に自分の恋心を打ち明け、どちらがお嬢さんの心を掴むことができるのかを、Kと戦うことです。

けれど、女性に好まれるのはKの方だと思い込んでいた先生は、「きっと自分はKに負けてしまう」と勝手に思い込みます。

先生の性格は、失敗が怖いあまり、どうしても挑戦できない人です。だから、挑戦をする代わりに、確実に勝てる方法を取った。

それは、過去のKの発言から、恋を、真理の追求の邪魔だと一刀両断した言葉を使い、彼が何のために人生を掛けてきたのかを思い出させることで、Kにこの恋を諦めさせようとしたのです。

正面からぶつからず、自分の本心を押し隠し、Kにとって本来の生き方を示す、ある意味ではとても友人思いの仮面をかぶりながら、その実自分のエゴを何よりも優先し、その為にはどれだけKが傷付こうが涙を流そうが、どんな思いをしようが構わなかった。

自分の手は一切汚さず、Kに全ての決断をさせようとしたのです。

それが卑怯な行為です。

その後、Kが恋心を諦め、ほとぼりが冷めたころに自分がお嬢さんに奥さん経由で結婚を申し込み、結ばれて彼から非難を受けたとしても、「えっ? あの時勝手に諦めたのは、お前じゃないか?」と、Kに全てを責任転嫁できる。

それぐらい、Kと戦うのが先生は怖かった。そして、絶対に勝ちたかった。負けたくなかった。だから、戦わずに勝つ方法を選んだわけです。

そして先生の悲劇は、それを自分自身で正当化出来ないところに、有るのかもしれません。古代の優秀な策士が聞いたら、自軍に損害を与えず、相手を自滅させて勝つ方法を思いついたわけですから、「立派な判断だ」と言われそうですが、そう言われても、先生はそれこそこの時の行為を後悔し続けます。それこそ、一生悔やみ続けたのです。

ですが、その時は、全くそんなことになるとは露ほども思っていなかった。

やってしまってから、人は自分の行った行為の罪深さに気付くもの。

解っていても、その瞬間は自身のエゴが勝った。ある意味では、先生自身も相当追い詰められていたのでしょう。

ただKは私をたしなめるにはあまりに正直でした。あまりに単純でした。目のくらんだ私は、そこに敬意を払うことを忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して、彼を打ち倒そうとしたのです。(本文より)

「そこ」という指示語が、三回続いています。

指示語は直前三行以内に書いてあることを指し示す時が多くあります。

この場合は、Kの正直さと単純さ。

たしなめる、とは、反省を促す事を指します。

つまり、Kは先生に反省を促す事が出来るほど、嘘吐きでもなければ、複雑でもなかった。

Kは嘘の吐けない正直な男です。そして、考え方が非常にシンプルでした。少なくとも先生はそう認識していました。そして、Kが正直で単純であることを利用して、単純な、お嬢さんと出会う前のお前に。恋心を抱く前のお前本来の姿に戻れと促し、自分の恋敵の存在そのものを消し去ろうとしたのです。

その恋心を、K自身に諦めさせることによって。

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【先生の思考の原点】

どう考えても、確かに正々堂々という態度ではない。嘘付きで、卑怯で、そして先生の考えは、複雑のように見えて、実はとても単純です。

この人は、誰にも悪く思われたくないのです。

人に、周囲の人に常に良い人間として認識されたかった。奥さんからも、お嬢さんからも、そして、Kからも善良な人間だと思われたかったし、自分の恋心が叶った後も、Kとの友人としての関係を続けたいと思ったからです。

つまり、このままの状態を維持しようとした。

Kが大切な友人で、お嬢さんは自分と結ばれるべき人で、奥さんはそれを応援してくれる人。その関係を、未来まで続けようとしただけです。

正面からKと向き合えば、自分の恋心が叶おうが、Kの恋が叶おうが、少なくとも友人で居続ける事は難しくなります。

そして、友人関係が壊れた状態で、下宿を共にすることは、難しい話になるでしょう。出で行くのは、下宿代を払えないKです。そして、また経済的に困窮する状態にKを叩き落とす事になる。

そんなことは、先生は避けたかった。耐えきれなかった。道徳的な心で言っているのではありません。自分が助け、救世主になったのに、それが痴情のもつれで友人を下宿先から追い出したと、評判が回ったらどうなるでしょう?

そう。先生の評価は下がりますよね。そんなことは、出来なかったのです。決して、正面からKと戦い、友情を壊すことは出来なかった。けれど、Kに負けたくなかった。

エゴの塊のような、シーンです。

この利己心の為には、人間はどんな卑怯なことも、どんな卑劣な事も平気でやってのける。そこに、反省など何もなく、むしろ嬉々として、やってしまうこともあると、人間の心の弱さと醜悪さを、漱石は描き出そうとしたのでしょう。

【恋をやめる覚悟】

そして、悲鳴を上げたのはKの方でした。

もういい。この話は止めようと先生に言いだします。

けれど、先生は攻撃の手をゆるめませんでした。

「やめてくれって、僕が言い出したことじゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君がやめたければ、やめてもいいが、ただ口の先でやめたって仕方があるまい。君の心でそれをやめるだけの覚悟がなければ。いったい君は君の平生の主張をどうするつもりなのか。」(本文より)

君が君の恋をやめる覚悟がないと、意味がない。

彼は迷っている。進んでいいのか、退いていいのかで迷っているという相談だったはずです。なのに、何故その恋をやめる覚悟がなければ、意味がないという話になっているのか。

これは、先生は、「Kがお嬢さんへの恋を自分から諦め、捨てさせること」が、この会話の目的となっているからです。

だからこそ、強引にでもKの昔の主張を引っ張り出し、決断を今させようとしています。

Kが発言したことは必ず守る男だと知っているからこそ、「この恋を捨てる」と言わせたかった。「学問一筋に、精進に生きる」と、彼に今、言わせたかった。

だから、追い打ちをかけるように、酷い言葉を浴びせました。

Kは、先生の言葉に萎縮するように、背を丸めます。それを見て、ようやく先生は安心するのです。

よし、自分の攻撃は確実に効いている。Kは傷付いている、と。

あとは、Kの口から明確な決意を引きずり出すだけです。「諦める」という、決意を。

【Kの覚悟】

けれど、Kはそこで急にがらりと雰囲気を変えます。

すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだなんとも答えない先に「覚悟、――覚悟ならないこともない。」と付け加えました。彼の調子は独り言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。(本文より)

卒然、とは突然。急に、一瞬で起こることです。

ここで、ポイントです。

先生の発言にあった「覚悟」は「Kが自分の恋心を諦める、または忘れる覚悟」の事です。

けれど、このKが突然言い出した「覚悟」という言葉。そして、「覚悟ならないこともない」つまり、「覚悟はある」と言っているわけです。

このKが言った「覚悟」とは何か。

それは、小説の中では語られません。先生も、Kが何に対して「覚悟」と言ったのか、解らなかったのでしょう。

何の覚悟だったのか。

このKの言葉は、独り言のようで、そして夢の中の言葉のようだった、と先生は語っています。

つまり、先生に対して発せられた言葉ではなかった。では、誰に対して発せられたのか。

独り言は、自分ひとりしかいない場所で、自分に語りかける行為です。聞く相手がいない。目の前に先生がいるのに、先生に向かって発せられていないということは、KがK自身に語った言葉、と言うことになります。

ここは解釈が分かれるところになりますが、今はこのままにしておきます。

全てが明らかになるのは、最後まで解説をしてから。

ただ、「Kが何かしらの覚悟を既にこの時点で決めてしまっている」ということだけは、きちんと覚えておいてください。

Kの性格は、一途で、正直で、単純です。思い込んだら、とにかく突き進む人です。

そのKが胸に抱えている覚悟とは、一体何なのか。

今日はここまで。

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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