小説読解 魯迅「故郷」その1 ~暗い風景描写が指し示す意味~


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こんにちは、文LBAOの松村瞳です。

中学校3年生で読む、魯迅の「故郷」

この小説は、とても暗く、淡々とした内容がずっと続いたり、あまり好感を持てない人々がキャラクターとして登場することもあって、中学生たちには難問な小説になるのですが、難しいと言う事は、これが読めると実力が付くと言う事です。

受験対策として、この「故郷」の問題は非常に記述式の問題が多くなります。それも踏まえて、読解解説をしますね。

見ているだけで寒々しい……そんな空ってあるものです。

【冒頭の情景描写】

まず、冒頭です。

「故郷」は教科書に載っているものが、全文です。そして、小説家が何よりも気を使うのは、冒頭の文章表現だと言われています。

当然と言えば、当然ですよね。最初に面白いなと思ってもらわないと、続きを読んでくれません。読者はそんなに親切な存在でも、暇でもないので、結構シビアです。だから、冒頭を印象的に書き出すことが出来れば、後は自分の思い描いた物語を形にする物理的な作業だと言いきった小説家まで居るほどです。

なので、冒頭は本当に情報の宝庫であり、主人公の性格や人格、背景、物の考え方、捉え方などを知る、貴重な部分です。

だからこそ、冒頭は読み飛ばさず、丁寧に読みとることが必要になります。

出来るのならば、ただ、文字面を読むだけでなく、その場所に、仮に自分が立っていたらと想像してください。

「山」とあったら、ちゃんと自分が思い描く「山」を頭の中で見るような感覚を持つ。

「えー、そんなことして何の意味があるのー?」と質問がきそうですが、ちゃんと理由があります。

人って、「想像してみて」と言われると、自然と映像を思い描けるものなのですが、国語が苦手な子の場合、このひと手間を嫌います。文を情景に頭の中で変換させることを、していないだけなんです。

例えば、数学だったら、グラフの座標(-2.5)を通る直線で……と言われたら、なんとなく頭の中でグラフを描いてしまう人が数学で点が良いように、(数学苦手な子は、物理的にグラフを書くまで頭の中で想像できなかったりします)、想像力って色んな物を省略させてくれる力を持っているので、それが身に付くまでちょっとの我慢。

少しだけ時間を取りましょう。

【天気は登場人物の心を映す鏡】

何度も小説読解で書いてきていますが、風景描写は、それを見ている人物の心の写し鏡です。暗いように空が見えるのならば、心が曇っているからです。

雨模様だったとしても、それを喜んでいるのならば、人物の心が明るいからです。

寒さ、暑さ、心地よさも全部そう。

心地いい場所に居たとしても、何らかの不安が人物の心にあれば、「居心地が悪い」「早く、違う場所に行きたい」なんて風に、描写されているはずです。

そこを落とさないようにする。

-本文-

厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰った。

もう真冬の候であった。そのうえ故郷へ近づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい風がヒューヒュー音を立てて、船の中まで吹き込んできた。苫の隙間から外をうかがうと、鉛色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。覚えず寂寥の感が胸に込み上げた。

-解説-

有名な冒頭です。

もう、間違いなく、気分が落ち込んでいる主人公の気持ちがこれでもかと、羅列されています。

故郷に近付くにつれて、暗くなっていく空。冷たい冬の風。温かみなど何もなく、凍えそうに肩をすくめて縮こまっている姿が想像できてしまいます。

更には、外を見るとわびしい村が活気も無く、そこにある……

つまり、人の動いている気配がない、と言う事です。

冬の寒さが厳しい場所であったとしても、温かな家庭の火が見えれば話は別です。けれど、そんな雰囲気が全くない。感じられない。

そして、主人公の胸には、「寂寥の感」がこみ上げます。




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寂寥=さびしいこと、です。

-寂しさは満足できない心の現れ-

ここで、記述のポイントです。

問 何故、主人公に寂寥の感。ものさびしい思いが、込み上げてきたのか。

もの寂しい、という感情は、埋められない何かがある、という事です。ぽっかり胸に穴が開いた、というようにも表現されますが、その表現の通り、胸に穴があいているのです。埋められない何かがある。

寂しさの正体は、それです。

いささかの活気も無い村々を見て、何かが埋められない。何かが抜け落ちていると思った、と言う事は、何があれば、主人公の心は埋められたのでしょうか?

そう、逆です。故郷の村々に、活気づいていてほしかったのです。

けれど、それが裏切られた。

ポイントをまとめましょう。

・主人公は、故郷の村々が美しく、活気づいていて欲しかった。
・けれど、目に映る現実の故郷はわびしく、寂れた様子から活気の欠片も感じられない。
・期待が裏切られた=胸に穴が開いた=寂しさ=寂寥の感がこみあげる。

これらを解答のサイズにすると、

解答 二十年ぶりに帰る故郷の姿は美しく、活気にあふれている事を期待していたが、現実に目に映る故郷の姿は自分の期待とはかけ離れていていたから。

という、形になります。

参考にしてください。そして、この「さびしい」という感情に対する答え方はほぼ共通しています。受験対策用に、頭の片隅に置いてくださいね。

【懐かしくない故郷】

-本文-

もともと故郷はこんなふうなのだ――進歩もないかわりに、私が感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。なぜなら、今度の帰郷は決して楽しいものではないのだから。

-解説-

期待を裏切られ、寂しい思いに空いた穴を、主人公は必死に埋めようと、過去の美しい故郷を。懐かしいと思う姿を思い出そうとします。けれど、それが思い描けない。思い出そうとしても、消えていく。

やっぱりこんなんだったかなと、諦めすら湧いてくる。

そして、その理由を主人公は自分で見つけます。

古典でも評論文でも、「なぜなら」という接続詞が重要であるのは変わりがありません。

きちんとそこをチェック。

楽しい帰郷ではない、と言う事は、「楽しい」の対義語は「苦しい」か、「つまらない」です。

ここでは、「苦しい」を選びましょう。「つまらない」は、楽しむ目的で何かしらの行動を起こした結果、「楽しくなかった」ことを意味する言葉です。ここでは、娯楽目的で帰郷しているわけではないので、選択肢として選べません。

苦しい帰郷。

懐かしいと思うはずの故郷に対して、苦しいという気持ちがわき上がってくる帰郷。

それは、一族が住んでいた場所を引きはらわなければならない。家も他人の持ち物になったと書いてありますが、何かで奪われたか、それとも、売りに出さなければならない、金銭的な理由があったからなのかは解りませんが、どちらにしろ苦しい理由です。

それらを全て飲みんで、主人公=「私」は、深いため息を吐いているのです。

そう。懐かしく故郷を思い出せる人は、きっと故郷に良い思い出があり、会いたい人がいて、自分が帰る場所だと思える人なのだろう。

自分には、それが何一つない。

だから、故郷を懐かしいと思えない、と書いているわけです。

【人は気分で見ている物の評価が変わる】

魯迅は、万人にとって故郷が寂寥の感をこみ上げさせる存在だと言いたいわけではありません。

人によって、故郷が懐かしく、美しく、良いものだと思える存在である人も、もちろん居ることでしょう。

けれど、故郷を思い出すたびに、暗い思い出までもがセットになって思いだされる人であるのならば、どうでしょうか?

常識とは、100人が居たら、99人が当然だと思うものです。故郷を懐かしいと思う人の方が、常識。つまり、大多数側です。この「故郷」を読んでいる貴方も、もしかしたらそうなのかもしれません。

けれど、同じ人間がどこにも存在しないように、常識どおりに感じられない、思わない存在も居る、と言う事を、小説は提示してくれています。

なので、自分の常識と照らし合わせて主人公を断罪するのではなく、「そう感じてしまうんだな、この人は……」と、少し自分とは切り離して読む事が、問題を解くうえではとても重要です。

小説を読む時は、自分の感覚が絶対なのではなく、主人公の感覚や感情を追いかける。そこを徹底し、本来ならば温かく思う存在ですらそう感じられなくなっている、評価できなくなっている主人公の気持ちを、常に頭の片隅に置いてください。

多分、この主人公。

相当人間不信で、昔の嫌な出来事をしっかり細部まで覚えているタイプです。覚えよう、と言うよりは、忘れられない生真面目な性質なのでしょうね。

続きは、また明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 


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