「こころ」解説、その8。小説での番号表記39段から。
筑摩書房発行 精選現代文B159ページからの部分になります。
大修館書店発行の教科書には抜粋されていませんが、ここでもKと先生のとても大事なやり取りが垣間見えます。そして、夏目漱石が何故この小説のタイトルを「こころ」としたのか。その意味が見えてくるのもこの部分です。
では、続きを読んでみましょう。今回は、というか、今回から、先生が主人公らしからぬ事を散々やっていきます。
ある意味、この小説が難解なのは、先生の眼を通した遺書だからでしょうね。きっと、奥さんである静さんの視線や、それこそKの視線であったのならば、全く違う雰囲気の小説になったことは、先ず間違いないかと。
それぐらい、この先生の思考や物の見方には、非常に強烈なバイアス(偏向性)がかかっていることを頭に置いておきましょう。
【Kから話が聞けず、いらつく先生】
Kの生返事は翌日になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現れていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色を決して見せませんでした。(本文より)
お嬢さんへの恋心を先生に告げたK。誰にも話せず、一人で抱えきれなくなって、思わず友達に吐露した、という流れですが、Kは再度話を聞かせてくれと言いだした先生に対し、全く反応しません。
生返事ばかりで、するとも、しないとも言わない。Kは嘘を吐けない男なので、気色を決して見せなかった、と本文にあるように、単純に気分がのらなかったのか、話す必要がもうないと思っていたのか。
話す必要がないとKが決断していたなら、先生はもうどうすることも出来ません。一旦決意を固めてしまったKは、それがどんなに困難であったとしても、勝手にさっさと自分で行動を起こしてしまいます。そこに、先生の説得は無意味です。
だから、Kが相談の必要を感じない=心が決まっている=もう行動に移している=お嬢さん、または奥さんに告白した? となってしまい、先生は気が気でないわけです。
そして、全く明確な対応をしないKに段々とイライラする先生。
人間、イラつく時ってどんな状況の時でしょうか。
そう、自分の思い通りに物事が進まない時です。予定通りに進まないと、人はいらっとする訳ですね。
だから、先生の頭の中では、自分が話を聞きたいと言い出せば、Kは応ずるはずだとどこかで思っていた。とにかく、Kが心の奥底で何を決めてしまったのかを、彼が行動に移す前に知りたいと思っている先生としたら、Kののらりくらりとした対応は予想外の出来事のはずです。
思い通りに何一つ進まない状況に、先生は段々とイラつき始めます。
そのいらつきが、常に受け身で、自分から行動することなど無かった先生が動く切っ掛けを与える事になります。
【先生の観察】
その結果初めは向こうから来るのを待つつもりで、暗に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。(本文より)
やっとか……という感じですが、遅すぎる決心のような気もしますよね。それに、ここに至っても、「折があったら」つまり、「都合が良いチャンスが巡ってきたら」という条件付きでの決心です。
ここまで追い詰められないと、動くことも決心出来ない人だった。それが解ります。本当に、受動的で、その場の環境に流されやすく、自分の意志を保てない。先生の性格が良く分かるシーンです。
けれど、同時にここで、先生はKから情報収集出来ないのならばと、違う場所から情報収集を必死に行うことに。
同時に私は黙ってうちのものの様子を観察してみました。(本文より)
つまり、Kの様子だけでなく、奥さんやお嬢さんの態度を、観察し始めたと。観察眼が鋭い人ほど臆病な部分を性質として抱えていると言われていますが、(サイコパスは別)Kの意志の強さの前に萎縮し、その強靭な精神を誰よりも知っているが故に、自分の利益を害する存在だと分かると、とたんに相手が怖くて仕方が無くなってしまう。
そう。Kを怖いと思っているからこそ、その行動を見つめ、観察し、彼が何を考えているかを推測するようになっていきます。そして、それはお嬢さんや奥さんにも向けられました。
Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差異が生じてないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、また通じていないのは確かでした。そう考えた時私は少し安心しました。(本文より)
そして、観察から手に入れた情報は、奥さんとお嬢さんの態度が、普段と全く変わっていないことに気付き、そこから恐らくKの告白は自分だけに為されたものであることら確信を得ると、先生は安心します。
この安心したのは、何故なのか。
これは、記述のポイントとして、真逆の状態。つまり、先生を不安にさせていたことはどんな事なのかを考えると、解りやすいと思います。
不安な状態が観察によって解消された。だから、安心した、と記述の順序を持っていく。
多くの小説の記述に共通するテクニックなので、是非理由や原因を書く時には、参考にしてください。
ここでの理由は、
となります。
不安な状況は何だったのか。その原因と、どうやってその不安が解消されたのかを、合わせ技で書くこと。どちらが欠けても減点です。
【人間のこころの在り様】
私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに表れているとおりなのだろうかと疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な機械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字を指し得るものだろうかと考えました。要するに私は同じことをこうも取り、ああも取りしたあげく、ようやくここに落ち着いたものと思ってください。(本文より)
他人の言葉や態度、動作などから、相手の心を読む。相手の本当に考えている事を、推測する。
今で言う、コールドリーディングをここで先生は行ったわけです。
そうして、特徴的な表現であらわされている、人間に装置されている複雑な機械ですが、これは「こころ」ということです。
人間が胸の中に持っている、複雑な機械=こころ。
このこころが、明瞭に。つまり、解りやすくその人がどんな感情を持って、何を言っているのかを、こころ=言動に直結して現わされるものなのだろうか、と疑ったわけです。
簡単に言うと、「嫌いだ」という言葉がひとつ、有るとします。
けれど、その「嫌い」という言葉。言葉だけの意味で取れば、その対象とされたものを気に食わないと思う気持ちの事です。けれど、多くの小説やドラマ、映画などで表されているように、「嫌い」という言葉が、本当にその相手を「嫌っている」ことを指すわけではない場面も、数多く存在します。
時と状況によっては、「嫌いだ」ということを表すことで、その人への好意を示す言葉になる時もある。逆も亦、しかりです。
だからこそ、注意深く観察し、その複雑な機械が正確に作動しているのかどうか。違うように表面化するのは、どんな時なのか。演技なのか、嘘なのか。また、偽るのならば、その理由は何なのか。
そんなことを考えながら、人を、周囲を観察していた。
漱石は、この先生というキャラクターに、こころ=人間の胸の中にある複雑な機械、という表現をさせていますが、先生にとっては機械、だったのでしょう。また、機械であってほしかったのでしょう。
機械は決められた通りに動きます。常に一定で、同じ結果をはじき出す。人間の心もそうであるのならば、どれだけ楽かと思いますが、残念ながら、そうではないから、私たちは人間なのです。
だからこそ、先生は正確な結果をはじき出す、機械のようであってほしかった。だから、観察をし、ああでもない、ここでもないと考え、唯一はっきりとわかる、態度の変化が全くないということから、Kは一切恋心をお嬢さん本人に告げていないと結論付けるわけです。
こころは、見えないもので、でも確実に存在するものです。
見えないものだからこそ、理解しようと努め、解りたいと願う。けれど、見えないから誰もはっきりとわかることなど出来るものではない。
【先生のエゴ】
Kが何を思っているのか。お嬢さんは、奥さんは何を考えているのかを、観察すればするほど、解らなくなっていったのでしょう。ほぼノイローゼに近い状態なのではないかと、少々心配になるのですが、それぐらい、神経をすり減らしていたと言うことです。
そんなにすり減らすんだったら、とっとと告白してしまえばいいし、Kに自分の気持ちを正直に言えばいいのに、と思うかもしれませんが、私たち読者は他人事で、客観視線だからそうやって簡単に言えるかもしれませんが、先生にしてみたら死活問題でもあったのです。経済的な事ではなく、人間関係の、死活問題だったのです。
先生が臆病なのは、奥さんとお嬢さん、そしてKとのこの優しい関係を壊したくないからです。自分が動けば、自分の願いがかなうにしろ、叶わないにしろ、今のままではいられません。変わっていかなくてはならない。
その変化を、先生はとことん拒んだのです。今の関係が、とても心地いいからこそ、それを守ろうと必死になった。その優しい関係のままで過ごせる自分の時間を、徹底的に守ろうとしたのです。
それこそ、自分のエゴを丸出しにし、追い詰められていく。その過程が、ここから続きます。
【Kへの質問】
そして、ある日いきなり先生は登校途中の道端で、Kに質問を投げかけます。
ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているのかの点にあったのです。私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で決めなければならないと私は思ったのです。(本文より)
ここで、おかしいと思ってくれたあなたは、国語上級者です。
この質問、Kの立場からしてみたら、どうしてそんなことを聞くんだと、眉をひそめる質問ではないでしょうか?
「もう、お嬢さんには君の気持ちを伝えたのか?」だったら、解ります。
けれど、先生が聞いたのは、「私だけに告白したのか。それとも、二人にはもう言ってしまったのか?」というたぐいのもの。
どうして、そこに先生の存在が介在しているのか。普通だったら、変な質問なのです。Kの立場だったら、「何でそんなことを聞く必要があるんだ?」と先生に訊き返すはずの質問です。しかも肉薄なので、「鋭く問い詰める」の意味です。
そんなに問い質さなければいけない質問でしょうか?先生の立場からしてみれば何が何でも知りたい情報でしょうが、Kからしてみたら訳が解りません。
答える必要など無い質問のはずですし、不信を抱いてもおかしくない質問のはずなのに、Kはあっさりと先生に答えます。「他の人にはまだ誰も話していない」と。
それを聞いて、内心嬉しがる先生。
自分の予想が当たったことへの達成感と充実感、そして、自分の利益を侵害するような行動をKがまだ取っていない事に、安堵したからです。
【エゴ丸出しの質問】
おかしな質問は続きます。
恐らく、先生は自分がおかしい質問をしている事にも気が付いていない。先生の事情を知っている読者は、どうしても先生目線で考えしまうので、どこにもおかしい部分は無いと思いがちですが、冷静に第三者の立場で考えたら、とてもおかしい質問をしています。
質問の内容は以下の二つ。
・「自分に対して隠し事をしないでほしい。すべて思った通り話してくれ」
つまり、これからその恋心をどうやって発展させていくつもりなのか。告白するのか、しないのか。この時代は、付き合う=結婚する、と同義語だと思って考えてください。
つまり、お嬢さんに結婚を申し込むつもりがあるのかないのか。それを包み隠さず、全て私に教えてくれと問い質されるわけです。
学生同士のふざけたじゃれあいのような雰囲気の話ではありません。半分ノイローゼのように人の行動を観察しまくっている男が、いきなり道端で鋭く問い詰めてくるのです。
何でそんなことを答えなきゃならないんだと、なって当然のはずなのに、なぜかKは「君に隠す必要なんか何もない」と答えます。
けれど、恋をどう発展させていくかについては、Kは黙りこくったままです。
思った通りに話してほしい先生の質問の意図は、簡単です。
Kの心の内を詳細に知ることによって、自分の対策を練ろう。今後の行動を決める、判断材料にしたかったからです。
そう。先生はあくまでも自分の利益の為に動いている。エゴで、動いているのです。
そして、思い通りの言葉を返してくれない、質問しても答えないKにいらついているのです。
そんな膠着状態が、一気に動き出す瞬間が訪れます。
上野の散歩のシーンです。
今日はここまで。続きはまた明日。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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