可能無限 解説 その2

可能無限
geralt / Pixabay

「可能無限」の解説、その2

第1段落から第3段落までは、導入の部分ですが、ポイントになるのは、「数学的な考え方」という部分。

数学、というと、超難しそうな印象で考えてしまいますよね(私がそうです(笑))

けれど、物事を色んな分野で分類して、様々な角度で受け止め、分析をするのが数学です。それに、通常空間では有り得ない筈の、ゼロという観念や、マイナス、という存在しない世界への思考など、全て人間の想像力が概念として生まれ、それを数字と言う記号で具体化したのが、数学という学問。

つまり、数学って思考の方法としては無限性に溢れているよね! という意味で使われているんですが、数学大っ嫌いな子は、「っんなこと、ねーよっっ!!」って言いたくなると思うけど、そこはぐっと我慢して(笑)

ポイントになるのは、多様性に溢れた世界に囲まれて暮らしている私たちの日常は、受け取り方しだいで無限の可能性を秘めているのだという、この本文の趣旨が冒頭に既に書かれている、と言うことです。

全然違うように見える世間話から始まっていても、結局評論文って冒頭に全てが詰まっている傾向は、どれも一緒です。

多様性に囲まれている⇒それを理解し、受け止め、思考の方法を覚えれば、自分達の意識次第で無限の可能性を秘めている、という変換。

どうして、そういう考え方になるのか。

結果を抽象的に提示した後。何故そういう論理になるのかを、筋道だてて評論家は読者が納得出来るように論理を導いてくれます。

脳科学者、茂木さんの論理の続きを、読み進めていきましょう。

余談ですが、本。特に、難しい文章を読む時。理解を助けてくれるのは、紙に印字されている字を読む感覚よりも、人。筆者が自分語りかけるように喋ってくれていることを意識すると、より理解が深まります。

人間って不思議なんですけど、無機質の文字よりも、その言葉が人の声に乗って、自分に話しかけ、説明してくれていると思う事で、脳が反応するように出来ているのだそうです。

なので、折角茂木さんはテレビなどでおなじみですし、教育番組にも多数出演されている方なので、その声や喋り方がイメージ出来ると思います。

ぜひ、彼が目の前に立って、自分に話しかけている、と思いながら読み進めてみてください。

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【第4・5段落】

話は、具体例としてBBC(イギリス国営放送協会。イギリス版のNHKみたいなもの)ラジオ番組の話に移ります。

「あなたたちの生活の中で、無限はどこにあると思いますか?」(本文より)

無限って、不思議な言葉ですよね。

良く学生が耳にする言葉では、「君たちの未来は無限の可能性に満ちている」というお決まりの言葉があると思うのですが、高校生ともなると、現実がうっすらと見えてくる時期だったりします。

行きたいと思った大学に行ける人は限られているし、経済的な問題だって考えなきゃならないし、男子だと自分はヒーローになれる体質では無いとか、努力にも限界値があるんじゃないのか、とか、色んな限界を感じている部分が存在すると思います。

現実は夢もへったくれも無い。

特に、高校2年生にもなってくると、うっすらと自分の夢が叶うのかどうなのか、頭の良い子ほど冷静に分析なんかしてしまったりして、何でも出来るポテンシャルに満ちているのに、努力を辞めてしまったり、努力をして駄目だった時が怖くて、必死に現実から逃げて遊んでしまったり(参照⇒不合格は失敗か それとも成長か)「無限なんかあるわけないよ」「そんな綺麗事、嘘っぱちだ」とか、色々ひねくれた意見を口にする子も、多くなります。まぁ、いわゆる高2病ってやつですね。(古いかな)

けれど、そのラジオの問い掛け。「無限とは、日常生活のどこにあるのか」という問いかけ。

「どーせ、どこにでもあるって言うんだろ。そんなもの、あるわけないのに」と瞬間的に思ってしまう人とは別に、ラジオの解答は実にあっさりしています。

「無限は実は身近にあります」(本文より)

ほら、きた。

どうせ、未来の可能性とか、ありふれた言葉が続くんだろう。うんざりだと、思いたくなるのも解りますが、やっぱり脳科学者。そこは、違う例示で責めてきます。

「たとえば、あなたがベッドから起きてそれからドアまで歩く、その道筋の可能性は無限にあるのです。」(本文より)

へっ???

よく先生が口にする、「未来に対する無限性」とか、それじゃない???

恐らく、ここで無意識に予想していた次の展開を裏切られた感覚を、多くの読者が抱くのではないでしょうか。

というか、ベッドからドアまでって、そんなものに無限なんかあるわけ無いじゃないか、と疑問思う筈です。だからこそ、茂木さんもこの何気なく流れてきたBBCラジオの内容を取り上げようと思ったのでしょう。

数学的に考えれば、日常は「無限」に満ちている。

そのことの意味が、ここから解説されていきます。

【第6段落】

二つ目の例示が示されます。

朝起きて、家族と「おはよう」という言葉を交わすタイミングも無限にある。(本文より)

中学校数学で、確率を勉強したと思いますが、これを日常生活と適応させると、朝起きてから「おはよう」という時間。(秒数まで)一番に会う相手。それに、自分が声をかけるか、相手の方が先に挨拶を言うか。その選択肢を色々考えていったら、組み合わせは確かに無限になります。

「そんなこと、考えたこと無いよ!!」

という、声が聞こえてきそうですが、そう。その考えたことがない領域に、考え方。受け止め方。思考の方法を転換させるのが、数学的な思考法。茂木さんの言う、「無限」です。

【第7段落】

ぼんやりしていると気付かずに通り過ぎてしまいそうなそんな小さな現象の中にも無限がある。(本文より)

日常生活の中では、全く気が付かない。当たり前の日々。生活の中の、小さな現象の中にも、無限が溢れている。

本文の例示では、コーヒーにミルクを落とす瞬間から、混ざり合うまでの模様の様子が挙げられています。

こういうときは、自分で違う具体例を考えられるようになっておく。試験や模試の時にいきなり「やろう」と思っても出来ません。

練習が必要なので、考えてみる。

自分の日常生活のなかで、どんな無限が考えられるのか。

学校に行き、毎日同じ道を同じ時間に歩いている様でも、実は少しずつ違います。誰と最初に目を合わせるのか。その相手も毎日少しずつ違っている。二度と同じタイミングで同じ相手に会うことは、実は不可能であり、違う組み合わせは無限にある。

そんなことを、例示として考えられるとすっきりします。

この例示。

筆者が出したもの以外にも、具体的な例示を出して、友達などと語り合ってみる。そこまでしなくとも、頭の中で例示を10個ぐらい挙げられるようになると、模試で全く初めて読む文章でも、すんなりと頭の中に入ってくるようになるので、お勧めの勉強法です。

10個。

日常の中に潜んでいる無限性を、考えてみてください。

今日はここまで。

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

続きはこちら⇒可能無限 解説 その3

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