可能無限 解説 その1

可能無限
geralt / Pixabay

今回から、脳科学者として有名な、茂木健一郎さんの「可能無限」の解説をします。

高校二年生で使われる、現代文B 上巻の最初に掲載されているこの評論文。

脳科学者らしい、脳が感じる無限性。人間が持っている脳の能力の無限性を取り扱った内容です。

英語の格言で、Nothing is impossible.という格言がありますが、not×notをすることで、強い肯定の意味を出すこのことわざ。

「不可能な事など無い」=「何でも可能になる」という意味。

そんな人間の脳の能力を説明した評論文を、高校二年生の最初に課題として出すには、評論文を読み解く能力を養う以上の意味があるのでしょう。

当たり前のように使っている、知っている筈の「無限」という言葉。その言葉の意味を、脳という未だ未知数の人間の身体の一部分を研究している学者の視点から、読み解きます。

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【第1段落】

地球は大きい。(中略)その上で、私たちは夢見て、愛し合い、時にはいがみ合う。(本文より)

第一段落は、対比表現から始まっています。

地球と言う、極端に大きいものを出し、その上で生活している、人間達の日常が小さいことを想像させる。

今から語ることが、概念的な、形而上のものであるが故に、筆者である茂木さんは、物理的な形の解りやすいもの。想像しやすいものを例示としてあげました。

【第2段落】

私たちの生は地球が提供する多様性に包まれて「今、ここ」にある。数限りないさまざまな組み合わせ、出会い、成り行きがあるからこそ、私たちの生は豊かとなる。(本文より)

この地球上で行われる様々な多様性に包まれて、私たちの生は豊かなものとなる、と書いてある、物凄く解りやすい文章なのですが、全体から考えるとこの文章。結構本質を付いています。

「今、ここ」にある。という、印象的な言葉ですが、これはこの「可能無限」が入っている著書。「疾走する精神-「今、ここ」から始まる思想」の、タイトルに思いっ切り入っている言葉です。

人間、生きていると日常生活にまぎれてしまい、「自分がここに居る感覚」。「今、自分が何をしているか」なんて、ちょっと哲学的な考え方なんか、している暇なんかあるわけがない(笑)

「ああ、今自分はスマホでブログ読んでいるんだなぁ……」なんて思いながら、読んでいる人はいないし、そんな生徒が居たら不気味です(笑)そんな心境になっているんだったら、ちょっと危ない人だから、「相談聞こうか?」と声をかけたくなるのですが(笑)、普通の人間が気付かないところに神経が引っかかるのが、評論家や学者という人達です。(そうじゃないと、研究論文なんか書けるわけがない!)

けれど、多様性に私たちの生活が包まれていることを、私たちはすぐに「当たり前」だと思ってしまって、忘れてしまう。

だからこそ、逆に言うと、多様性に包まれているということは、常に私たちの周りの世界は無限性に溢れている。その方向に、筆者は読みやすい冒頭で導いてくれています。

【第3段落】

どれほど地球の恵みが偉大であるとしても、自分の日々の生活など陳腐でつまらないものであると思う人もいるかもしれない。しかし、数学的に言えば、「無限」は私たちの生活の至るところにある。(本文より)

評論文を読み解くポイントとして、「しかし」という接続詞はとても重要な役割をになっています。

「しかし」以後は、筆者の主張。そして、本音です。一番言いたいことが凝縮されている部分。

なので、読み解く時や、解釈をするとき、重要視しなければいけないのは、此処です。

数学的に言えば、「無限」は私たちの生活の至るところにある。というこの部分。

まず、数学的ってどういうこと? 生活に存在する、数学的な部分って何でしょうね? と思わず考えると首を傾げてしまいます。

これは、恐らく数学が「机上の空論」と呼ばれる学問と言われる理由と直結しているのですが、空想的なもの。目に見えないものを考える、考え方のことです。

なんのこっちゃら解らない、という人に、具体的な私たちの生活に、「ゼロ」って、存在しますか?

そう。存在しないこと=「ゼロ」なので、実生活の中では数学で大事な「0」という概念は、「ない」ということになるんです。マイナスも実生活では有り得ないし、ケーキとかだったら1/2とかあり得ますが、人間の1/2なんか考えたら、スプラッタのホラー映像です。

同じ様に、数学ってとても便利な学問なんですが、高等数学を勉強して、関数だの、ベクトルだの、シグマだのなんだのを勉強していると、「これ……勉強する価値、あるのかな……」と思う人は多いはず。(私がそんな人間でした……参照⇒数学のススメ ~数学偏差値学年最下位だった私が、高等数学をやり直したわけ その1~)

それぐらい、数学って具体化、抽象化、記号化、図形化、一般化、演繹、帰納、様々な考え方で物事を捉えられるのですが、全てに共通しているのは架空性。空想性、ということ。

脳内で考える、ということです。

誰も、誰かの脳の中身を見ることは出来ないし、何を考えているのかを全て知ることは不可能です。

それ位、脳内で考えていることは、見えないもの。精神的な、形而上のものであり、数学的な思考は、その捉え方が様々な方向に広がっているが故に、「無限」である、と。

精神的で、形而上なもの、見えない思考だからこそ、それは「無限性」に満ちている、という切り口から、本文は始まっています。

「無限」ってどう言う事なのか。

たとえば、朝。学校に行く時の天気って、晴れで有る確率。それも、晴天である確率ってどれくらいだろう。そして、それに掛け算として、自分の体調が良く、気分も良く、宿題なども全て終わっていて、忘れものの不安も無い日って、確率的にどれくらいかな?と考えたら、同じコンディションの日って殆ど無い。二度と繰り返さない日を、毎日毎日過ごしている、と考えると、日々のちょっとした現象も、捉え方や考え方しだいで、無限性に満ちている、と言うこと。

そんな、めんどくさいこと、考えたことも無い。

という人、居ると思います。そして、そういう受け止め方の方が、大多数で、殆どの人がそんなことに気が付かない。

だからこそ、この文を読む価値があるのです。

筆者、茂木健一郎さんがどのように「無限」をこれから語るのか。

続きを、見ていきましょう。

今日はここまで。続きはまた明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

続きはこちら⇒ 可能無限 解説 その2

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