可能無限 解説 その9 まとめ


スポンサーリンク

脳科学者・茂木健一郎さんの「可能無限」

今回は、まとめとなります。

【全体の分割】

この評論文は、四つの部分から形成されています。

その1 数学的にとらえれば、日常生活は無限に溢れている
その2 無限の種類 可能無限の説明
その3 脳の性質 脳の可能無限性
その4 無限の可能性を生かすか殺すかは、私たちに委ねられている

全く関係のない地球の多様性という話から、日常が無限の多様性に充ち溢れているという無限性を示し、そこから「無限」という言葉の定義。そして、私たちが無意識に使っている無限とは何かを示し、脳の性質と結びつける。

筆者、茂木さんが言いたいことは、たった一つです。

脳は無限の可能性に充ち溢れている、と言うこと。そして、その分野は知的分野において、とてつもない可能性を秘めている、ということです。

-評論家がめんどくさい説明を沢山する理由-

だったら、それを最初に書いといてくれればわっかりやすくていいのに!!

と思うかもしれませんが、人ってクライマックスだけ見せられても、全く何の事だか分からないですよね。

漫画とかゲームとか、映画でも小説でもそうですが、その作品を知らない人からしてみれば、ファンの人から「これ、面白いんだよっ!!」と勧められても、全く興味がわかず、「へ~、そうなんだ……」とテンションが下がる。

クライマックスの面白さって、それを楽しむための過程がどうしても必要なんです。どうしてこの二人が対立しているのか。どうして戦っているのか。なんでそんなことになったのか。

それを全部説明しようとするなら、膨大な時間がかかりますよね。大概、そんなのは読めよ!! やれよっ!! と言って作品を押しつけることに繋がっちゃうのですが、一言で自分の好きな作品をまとめられて語られてしまうと、人間ってカチンとくることが多いんですね。

それって、その作品で感動したり、はらはらしたり、面白いと思って夢中になった自分自身も、一言でまとめられちゃうような気がしてしまうから。

評論家だって同じです。

言いたいことは、まとめてしまえばとっても単純なことなのかもしれないけど、評論家にとってそれは、とても大事なことなのです。

分かりやすく伝えたい。理解してほしい。だってこれを知る人が多くなり、脳の使い方を具体的に知れば、能力がないと苦しんでいる子の助けになるかもしれない。(私たち全員には何かしらの才能があります。それを知りたい人は⇒「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説 その1)

だって世界は無限に満ちているのだから。

でも、そうやって言い続けても、人って証拠や実証がなければ信じないものです。

なら、どうやったら信じてもらえるのか。

それは立証、実証例を示すことで可能になります。

けれど、研究結果を並べ立てても、それを読んでもらえなければ意味がありません。だから、評論家は日常生活の、具体的な例示を選び、それを提示して読者をひきつけようとする。読みやすくしようとする。(この時点で、評論家が選ぶ事例や具体例、言葉自体が難しくなってしまうのは、皮肉ですかね……(笑))

とすると、結果的に・・・膨大な文章量になっちゃうんですよね。これが(笑)

だからこそ、結論が解ったら、筆者の考えの筋道を逆算で見てみる。

この作業を一旦しておくと、すっきりと思考がまとまります。テスト勉強などを通して、一度この作業が身についてしまうと、模試などで初めて読んだ文章であったとしても、するっと頭の中に入ってきやすいです。

何故ならば、文章の構造はパターンが決まってしまっているから。

今回の茂木さんの評論文も、身近な具体例⇒検証・分析⇒概念化⇒筆者が本来考えてほしい具体例の分析・概念化⇒結論という、過程を踏まえています。

脳は無限性に満ちている。

このたった一言を説明するために、これだけの過程が必要なのは何故なのか。

そう。私たちが知らない知識が膨大にあるからです。それを説明し、新しい知識に導こうとしている。その為には、分かる所から始め、徐々に知らない場所に進んでいく過程がどうしても必要になる。




スポンサーリンク


その過程を具体的に振り返ってみましょう。

【まとめ】

私たちの世界は、多様性・無限性の塊である

-その1 1~9段落 日常に潜む無限-

地球の多様性、無限性から話は始まり、日常へと話は移っていきます。

地球には多様性が溢れており、無限の可能性がひそんでいる、と言われれば人間納得できますが、いきなり、私たちの日常には多様性が溢れており、無限の可能性がひそんでいる。なんて語られても、「はぁっ?」と眉をひそめる人が殆どです。

なぜ、地球の無限性、多様性は信じられても、日常生活。つまり、毎日の生活に多様性があると言われると、否定してしまうのか。

それは、私たちが地球全てを知っているわけではない、ということと、自分の日常の出来事は全て把握している、という認識の差の為です。

けれど、それを「数学的に物事を捉える」という、違う視点で日常を見ると、確かに毎日違うんですよね。

ダイエットをしてて、毎朝体重をはかっている人なんかは分かると思うのですが、毎日同じようでいて、ちょっとずつ体重は違っています。

毎朝、食べるものも、数学的に言えば同じパンでも別の個体です。それの水分量とか油分とか、バターを塗る量とか、口に入れる時の温度とか、硬さとか、違う部分を言おうと思えば、いくらだって言い表すことができます。

けれど、そんな違いに誰も気付けない。気付けないけど、そう言ったところに日常の無限性はひそんでいる。

取るに足らない一人の人間の人生にも、無限と多様性は確かにあるのです。

けれど、この「気付けない」、というのが大きなポイントです。私たちに課せられた課題と言ってもいい。

気付ければ、この無限を自分の生活や人生に活かせます。

けれど、気付けなかったら、この無限性は何一つ意味を為さないものとなる。

言葉を変えれば、それはアイデアや発想、とも言えるのかもしれません。自分の周りに溢れている無限性に気付き、それをどうやって活かそうか。それは私たち自身の努力にゆだねられています。

事実として偏在している無限を、いかに生の充実に結びつけるか。(本文より)

ここが難しいと、冒頭で結論をほぼ言ってしまっているんですよね。

そして、その無限性を活かす為に、無限とは何か。そして、脳が何故この無限性を活かせる性質を備えているのか、という説明に移っていきます。

-その2 10~17段落 可能無限とは-

言葉の定義の説明です。

この定義付け。評論文では、本当に良く出てくるワードです。何故なら、私たちの認識。認知、と言うものは、一人ひとりずれているから。

同じものを見ても、同じ様には思わない。

同じ映画を見ても、面白いと感じる人もいれば、つまらない、とする人もいる。

味覚でも、辛さが平気、苦手。甘味が大好き・頭痛がするほど嫌い、耐えられない、って人がいるぐらい、私たちのものの認知というのは、千差万別です。

脳科学者である茂木さんであるが故に、それを統一しておきたい。今から私がいう、「無限」という言葉は、こういう意味だと表記しておきたい。

このように特別な部分を使って筆者が定義付けを行う場合は、しっかりとその意味を確認しておく必要があります。

ここで為されている定義は、「無限」という言葉の意味。

無限は、可能無限と実無限のふたつに分類されますが、実無限は私たちに扱うことができない無限です。

今回、定義付けされるのは、「可能無限」の方。

この「可能無限」は常に、「次がある」と思える無限のことです。

「次がない」と思うと、人間は切羽詰まります。受験の直前なんか、まさにこの状態です。で、余裕がないと楽しむことなんかできない。目に見える成果って、楽しみの中から生まれてきます。これは、本当に毎年、受験生を教えていても実感として持つものです。

それは一つの甘い忘却であるかもしれないが、その忘却ゆえに無限の幻想を抱くからこそ、人間はゆったりと精神活動を営むことができるのである。(本文より)

この、甘い忘却。無限の幻想を説明しろという問題が、テストでは多く出題されます。

ポイントは、主語の「それ」

前の文から「それ」の内容を探ります。指し示している内容は、「可能無限に浸ること」です。

では、可能無限とは何か。常に、「次がある」と信じられることです。

本当は違う。本当は「次は無い」人生を生きているはずです。だって、寿命は決まっているのですから。

けれど、それを甘い忘却。つまり、忘れる事によって、無限に「次がある」と幻想を抱けるのです。

まとめると、

人間の人生には寿命と言う限りがあることを忘れているがゆえに、自分の人生は永遠に「次」があり、永遠に続くものだと勘違いし、信じ込んでいるということ。

です。

確かに、甘い幻想かもしれない。けれど、自分が何時死ぬのか知っていたら、それこそ余裕なんかありませんよね。で、余裕がないと人間、焦ってしまい、何かを楽しむことなんかできなくなってくる。

精神活動をしたいのならば。勉強もここに当てはまりますが、余裕は絶対に必要だと、逆説的に述べられている気がしてしまいます。

-その3 18段落~27段落 脳の可能無限性-

筆者の分野。

やっと、脳の話です。これを話したいがために、ここまでの文章を筆者は書いたのでしょう。

脳は遺伝が全てを決めるわけではなく、それ以外の要素が多くを決定します。

何故なら、脳は生きている限り、学習をし続ける器官であり、完成型は存在しないのです。

脳細胞をつなぎ合わせるシナプスは日々つなぎ変わっています。だからこそ、新しいことに触れると、今まで繋がれていなかったシナプスが繋がっていく。

だからこそ、学習には必ず「次」が存在するのです。

この、学習には常に「次」が存在し、脳も必ず「次」が存在し続け、学習をし続ける。死ぬまでその機能は存在するのだから、可能無限の、「次がある」という性質と、本質的に繋がります。

脳は可能無限を体現した存在である。

学びの可能無限の喜び、とは、

どれだけ学習したとしても、新たな課題が次から次へと現れて、常に学び続ける事ができるという喜びのこと。

勉強が嫌な人にとっては、「げっ・・」と思うかもしれませんが、自分の大好きなゲームや漫画、映画、アニメが、無限に「次」がある状態ってどうですか?

ちょっとわくわくしませんか?

脳は、そんな世界を生きている器官です。だから、好きなことには反応する。飛びつく。

永遠に、「次」を望み続ける存在なのですね。

だからこそ、学びは、先がないし、果てがないから、続けるのが楽しいと松阪の商人たちは述べているのです。限りがあるものよりら、限りがないものを学んでいることは本当に好きなことならば、楽しいことだから。

-その4 28~33段落 可能無限の生かし方-

私たちの課題は、この日常に溢れているありとあらゆる無限に気付き、認識し、地球上にある多様性。つまり、私たちの日常生活と結び付けていくのか。

取るに足らないものだと、忘れ去ることも、見過ごす事もできる。けれど、自分の人生に大したことなど起こらないと思っているのは、自分がその可能無限を生かし切れていないからなのではないか。

ならば、気付き、結びつけるという、この難題をクリアしたら、世界は変わって見えてくるだろう、と筆者は結んでいます。

ないと思ってしまったら、何もない。

けれど、自分が気付いていないだけで、様々な無限性にこの世は満ちていると思ったら、色んな事に気が付ける

そして、気がついたなら、それを生かす事ができるのは自分自身だと認識し、積極的に行動を起こしてみてほしいと筆者は願っているわけです。

【評論文同士の連結】

こうして、一つひとつの評論文を深く読んでいくと、不思議と違う文章との連結を強く感じてしまいます。

「あれ? これ、どっかで読んだ気がする」というやつです。

自分の認識ひとつ。受け取り方ひとつで、世界は変わってくる。

生き方が変わってくる、というこの考え方。

書き方や切り口は違いますが、この評論文も著者のメッセージはとても似ています。(参照⇒「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説 その5 まとめ)
本文を読んだことがなくても、共通項に気付けると思います。

不思議なのですが、ひとつの評論文をしっかりと読みこみ、その構成や論の展開の仕方を理解すると、同じ様な書き方をした評論文で理解が深まります。

点だったものが、線に繋がっていく感覚。

これを身につけるためにも、先ず、点をしっかりと入れましょう。

それがいずれ、線になって、一つの円になっていきます。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 

 


スポンサーリンク



コメントを残す