可能無限 解説 その8

可能無限
geralt / Pixabay

「可能無限」解説、その8

脳の「可能無限」を生かすためには、長生きが必要。

そう筆者が主張しているのは、脳は常に「次」のステップを課題として用意し、学ぶことを続けていく性質を持っているからです。

どれだけ成長しても、脳は次のステップを見つける。終わりがないということは苦しいと受け取る人も居るかもしませんが、学ぶ楽しさを覚え、新しいことに挑戦し続けることを喜びと受け取れば、生きていることはとてつもなく楽しくなります。

逆に言うのならば、成長を続けること。新しいことに絶えずチャレンジしていかなければならないことを苦痛と感じてしまうのだったら、生きることは苦痛であり、苦行であり、希望もなにもない、と言うことになります。

脳は可能無限の性質を体現している機能。それは一見、良いことのように思えます。

けれど、物事には、良い面と悪い面がある。

脳の機能を、限りなく良い面という風にとらえれば、この世は喜びと生きがいに溢れています。けれど、その機能を否定すれば、生きていくことは限り無く苦痛となる。

そこが、難しい。

さて、続きを読んでいきましょう。

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【第28~33段落】

-可能無限を生かすか殺すか-

私たちが退屈してしまったり、絶望を感じたり、自分の人生など取るに足らない、大したことは起こらないと思ったりしてしまうのは、生の中に満ちあふれている可能無限をうまく生かすことができないからである。(本文より)

物事には両面があります。

脳は常に「次」の課題を造り出す。

退屈するのは、「次」の課題が見つからない時。
絶望を感じるのは、「次」の課題を乗り越えられない。または、無理だと挑戦することから逃げてしまった時。
自分の人生を大したことは起こらないと思ってしまうのは、日常のなかに溢れている無限性を、自分の生活につなげられない時。

それぞれ、脳の性質を上手く生かし切れていない為に、起こることです。

ならば、逆に言うと、脳の性質や機能を良く理解し、生かし切ることが出来れば、人間の人生はどれほどの可能性に満ちているのか。

-パプロ・ピカソの例-

スペインの画家。パプロ・ピカソの名は、美術を全く知らない学生でも、耳にしたことは有るでしょう。

学校で習うピカソの作品として最も有名で、歴史の教科書に載っている作品は、恐らく「ゲルニカ」でしょう。

ナチス・ドイツの攻撃によって壊滅した、スペインの古都「ゲルニカ」。その美しい街が、空爆によって火に焼け、崩れゆくその様を描いた、ナチスに対する強烈な非難として、とても有名な作品です。

その生涯で、油絵を約1万3500点。その他にも10万点の版画も残しているピカソ。

その凄まじいまでの作品数を産み出した原点は、彼の作風が年齢とともに変わっていたことに起因します。

要するに、コロコロころころ作風を変えたピカソ。その時代時代に流行った作風を上手に取り入れて(真似して(笑))作品数を伸ばしていった彼。

けれども、時代に対応し、これだけの作風を残したことは驚異的です。

「青の時代」「キュピズム」「新古典主義」など、目まぐるしく変貌したその多彩な作風の開花は、脳の中のダイナミクスにあふれる可能無限を生かし切った結果だといえる。(本文より)

それを、筆者茂木さんは、脳の可能無限性を生かし切った結果だと述べています。

つまり、天才と呼ばれる偉人たちは、脳の使い方に長けていて、その能力をいかんなく発揮した結果だと言うのです。

脳がどのような性質を持ち、どうやってその性質、機能を生かすことが出来るのか。その方法を知っていて、生かし方を実践したならば……ちょっと、考えるだけでワクワクする内容ですよね。

人間、やはり生きていることが楽しい状態でありたいものです。そして、何かに取り組んでいるのならば、その上達や技術向上。知識の獲得など、望む筈です。

この文章が掲載されているのは、高校二年生の教科書です。

進学校に進み、順調に学力を伸ばしている子よりも、中々上がらない成績に苦しんでいる子の方が多いはず。

そして、それらの苦しんでいる学生たちが、脳の機能を生かし切れていないのならば、逆に言えば、使い方を覚え、工夫を心がければ、勉強という面において、これほど心強いものも有りません。

茂木さんは、脳の機能や性質を多くの人に知ってもらい、人生に活かしてほしいと願い、この評論文を書いているのかもしれません。

-可能無限の問題点-

微視的な可能無限を、いかに人生の豊饒さ、多様性に生かすことができるのか。(本文より)

微視的とは、顕微鏡で見ないと分からないぐらい、小さな物質。そこから転じて、誰も気に留める事など無い、些細な物事の意味。

これは、冒頭の例示。コーヒーとミルクの混ざり合う模様や、速度。濃度の違い。かかった時間など、厳密に見れば毎日違う筈なのに、人間はそれを毎日同じだと受け取ってしまう。

それ位細かな事象のなかに、可能無限は潜んでいる。

取るに足りない。つまらない。大したことない、とそれをスルーしてしまうか。

それとも、意味のあるものとして、日々の些細な変化を受け取り、考えるのか。

これを聞くと、どうしても数学を勉強している時に、生徒が、「生きるのに、こんなの勉強する意味があるんですかー?」と質問する時のことを思い出してしまいます(笑)というか、生徒だけでなく、私も現役の時に思ってました(笑)シグマとか、ベクトルとか、関数のf(x)とか、実生活で意味あんのかよ!!って(笑)

でも、茂木さんのように答えるならば、「君がそれを質問している時点で、君にとっては意味がないことなのかもね」という感じでしょうか。

意味があるかないかは、あなたがその知識をどう生かすにかかっている、と筆者は言っている訳です。実際、数学論理は、様々なところで思考を助けてくれるし、その場合分けや、条件、領域など、物事を考える物差しとして、とても有効なものです。

それを、ただの高校の授業で習う、テストの為の。受験のための教科のひとつとしてしか価値を見いださないのか。それとも、それを実生活のなかで活かして、物事をより合理的に、効率的に把握する一つの筋道と捉えるのか。

-滋味に満ちた課題-

この点にこそ、「スモール・ワールド・ネットワーク」でさまざまな地球上の地域が結びつけられる現代に生きる私たちの、最も難しく、そして尽きることのない滋味に満ち満ちた課題がある。(本文より)

滋味とは、栄養があって味が良い食物。料理のこと。そこから転じて、精神的に豊かな味わいのことを指します。

この、とっても小さい無限性を、どうやって人生に活かすことが出来るのか。

人によっては、「そんなことやって意味あんのー?」と馬鹿にしたり、価値の無いものとして扱ったりするもの。そして、そんなことは不可能だと諦めてしまう人も、居る筈です。

いいえ、私たちの大半がそうであるかもしれません。

けれど、では10年前に、誰がここまでスマートフォンが世界的に普及することを想像できたでしょうか?

殆ど手の平サイズのパソコンと同じくらいの機械が生まれ、ほぼ全ての人が持つなんて、それが可能にならなかった日々では、想像すらできなかった筈です。

10年前に、誰がテレビよりもネットの動画の方が良く見る人が多くなると予言したでしょう。ただの一般ユーザーが、テレビに映っている芸能人よりも認知度が高い人間に成るなんて、誰が想像出来たのか。

そう。

出来る、と思ったら、出来るのです。

逆に出来ないと思ったら、出来ない。

人は、人間の脳は、そうやって出来ている。そういう性質を持っているが故に、有り得ないことを全て可能にしてきた。

技術の進歩だけの話ではなく、知的活動全般に置いて、全て言い切れます。

けれど、日常に溢れている多様性。無限性に繋げることができなければ。脳の可能無限性を生かし切れなければ、脳はその能力を発揮することが出来ない。

それを活かせるかどうかは、私たち人間。ひとりひとりの課題なのです。ひとりひとりの脳が違う様に、物事の受け取り方はその人その人で違う。だからこそ、この問題点に気づき、活かせるように工夫をして欲しいと筆者は主張しています。

「今、ここ」のミクロな可能無限と、地球に広がる多様性を結ぶのは、たった一人しかいない、この「私」である。そのことに気づいた時、世界は今までとは違った光を放って微笑み始める。(本文より)

一瞬一瞬の時間の流れのなかにあるはずの、無限性。それと、私たちの環境を作る、地球の多様性とを結びつけるのは、「私」

つまり、どうミクロの無限性を、地球スケールの規模で考えられるかどうか。と言うことです。

スマートファンを例示に挙げるならば、まだスマホが無く、携帯電話しか無かった時代に、「手の平サイズで扱えるパソコンみたいな、ネットを気軽に観れて、簡単にどこでも移動するときに持ち歩けるものがあれば、良いんだけどなぁ」と、一つ一つは存在するものを掛け算でつなげたのが、スマホです。

インターネット×電話×電波を利用した無線のネット回線×パソコンの利便性×ラップトップの機動性・移動性×タッチパネル×カメラ機能×音楽再生機能×ビデオ機能……etc.

一個一個は既に存在した機能です。けれど、複合はなかった。

それらを全て持ち合せたものができれば、もっと良くなるのにと考え、誰もが「そんなものまでは必要ないですよ」と言って反対しても、聞く耳も持たずにやり遂げた人が、スティーブ・ジョブズです。

いやいやいや、そんなことまでしなくて良いよ!! と思う人達は、出来ない。

誰もが無理だと言う事に挑戦し続ける。もちろん、沢山失敗もするでしょう。心が折れる瞬間も、沢山経験するでしょう。けれど、その過程を経て、脳は次から次へと課題を出してくれ、成長を続けていく。死ぬまで、この性質は無くならないのです。

なら、あなたはどうしますか?

その性質に気付いて、世界を人とは違う様に受け取り、考えるか。

それとも、今までと同じ様な、つまらない日々の延長線上で、同じ風景として世界を眺めるか。

決めるのは、あなたです。

 

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 

可能無限のまとめはこちら⇒可能無限 解説 その9 まとめ

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