可能無限 解説 その7

可能無限
geralt / Pixabay

「可能無限」解説その7

脳が、常に「完成型がない」存在である。必ず次の発展段階があるという脳の性質をあげ、脳が可能無限をそれこそ実現しうる存在であると、筆者はこれまでに述べてきました。

脳は常に成長し続ける。

これはとてもびっくりな理論です。

人はどうしても、誕生⇒成長⇒完成⇒衰退⇒滅亡、という過程を経て、サイクルを繰り返すのが自然の摂理であると思い込んでいますから、どうしても完成や、衰退を出来る限り少なくして、良い状態を引き延ばそうとしますが、脳はそんな次元の考え方を最早していない。

常に成長し、常に学び続けることが出来る存在だと、筆者は言っているのです。

そして、その成長の分野が特に顕著に表れるのは、精神活動。そう。思考活動。要するに、学び。勉強の分野で、脳の成長は最大化されるのです。

此処で言う勉強、という言葉は、学校の五教科だけにとどまりません。日常生活や、仕事、そして趣味や、創作活動における、精神活動の全般を含むものです。

その学び。勉強が、脳に可能無限を実現させているのか。

続きを読んでいきましょう。

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【第23~27段落】

-因果関係の整理-

だからこそ、学ぶことには限りがない。(本文より)

「だから」という接続詞は、その前に原因が書いてあることが殆ど。

原因⇒「だから」⇒「結果」という構図になっている事を、必ずチェックします。この因果関係をしっかり確認することが習慣として身についてくると、記述の答を探すことが困難ではなくなってきます。

この場合、段落22のラストに原因がきちんと書いてあります。

「次がある」という点で、脳は可能無限を体現している⇒「だから」⇒脳は学ぶということに関して、限界値など無い。

という、論理構成になっている事を見抜く。

こうして、頭の中を整理整頓しながら進みます。

-限界値のない脳の学び-

どんな美食家とはいえ、口にすることのできる食べ物には限りがある。一方、学問には限りがない。どれほど学んでも、満腹になることはない。(本文より)

ここで面白い対比が行われています。

美食家と勉強家を対比。

一方は、人間である限り、一回の食事には胃袋、という量の物理的限界値がある。ギャル曽根さんだって、絶対に限界値は有りますよね。(あれだけ食べられるのって、物凄く羨ましいけど……(笑))

けれど、勉強家にとっては、限界値って無いんです。内容的に「もう駄目!!」「ついていけないっ!!」というレベルは存在しますが、容量的に「もう詰められない」ってことは、無いはず。忘れることは有るけど、それでも学べば学ぶほど、次が知りたくなるのが人間です。好奇心を刺激され、もっと!!と思ってしまう。

勉強すればするほど、分からないことが沢山出てきて、勉強するのがもっともっと楽しくなる、というのは、大学教授の皆さんが良く発現されていることですが、これは個人的な体感でも、思います。

あれほど読みこんだ筈の源氏物語や枕草子、論語や、今、このブログで書いている、様々な評論文の解説も含め、やればやるほど以前は気がつけなかったことに気が付けたり、違う例示を思い出したり、違う角度から受け取れることもしばしばで、それを知ると「あれってなんだったっけ?」と脱線して調べ物をすることもしばしばあります。

それ位、知識って探していくと果てがない。

勉強すればするほど、本を読めば読むほど、自分が何も知らないんだなと思えて、新しい知識に触れる瞬間はワクワクします。

おそらく知識というのは、円のように広がっていくのでしょう。

まだ何も知らない時は、円は小さいし、円の弧の部分が新しい知識に触れる瞬間だとしたら、知識が増えれば増えるほど、新しい部分に触れる弧の長さはどんどん増えていく。

そして、また新しい知識を得て、知識量が増えると、また新しいものに触れる部分が大きくなっていく。

知識が増えるほどに、学びに限界がない。

なんとなく実感が沸かない人は、こんなイメージを持ってみてください。

-論語に見る可能無限-

本文に引用されている、孔子。論語の一節。

暗唱している人も多いかと思います。

吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。(本文より)

大人になる、ということは、完成されてしまう。成長仕切ってしまうというイメージを抱きがちですが、孔子はむしろ、「この年代になったら、こんなことができるようになった」という自身の成長をまとめています。

どんなに人間として成長しても必ず「次」のステップ、課題が立ち現れるのも、すなわち、人間の脳の学びに終わりがないからである。(本文より)

成長すれば成長するだけ、今まで気が付かなかったことに気が付けるようになり、新しい課題も見えてくる。

それを乗り越える事で、また新しい課題と向き合える。

それは、脳の学びが終わらないからこそ、次のステップが見えてくる。学び続けているからこそ、新しい課題が目の前に見えてくる。

それを延々終わらない地獄、ととるか、新しいことがまだあるんだと、わくわくするか。

可能無限を体現するためには、長生きをしなければならないと筆者は書いていますが、長生きできる考え方はどちらなのか。それを考えると、わくわくして新しいことに挑戦し続けている人が、高齢者となっても常に若い脳を保ち続けているスーパーエイジャーの秘訣なのかもしれません。

今日はここまで。

続きの明日は、まとめです。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

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