「こころ」解説その6です。
Kのお嬢さんにたいする恋の告白を受け、狼狽する先生。その先生のその後の考えや葛藤、動揺などを描いたシーン。Kを一種の魔物=得体の知れないもののように捉えているシーンでもあります。
幼いころから共に過ごし、その人の事をきちんと知っていたはずなのに、いきなり知らない人にでもなったかのような恐ろしさを感じる。その人が、違う存在に思えてならない。
そんな、不安と動揺を抱えた場面です。
大修館書店発行現代文B 185P下段の句切れ~
筑摩書房発行精選現代文B 155P下段~
の部分です。
【自分の気持ちをKに打ち明けない先生】
私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が遅れてしまったという気も起こりました。(本文より)
はい、先生の葛藤です。
「私もお嬢さんが好きなんだ」と、Kに打ち明けられない先生。
時機、はチャンスや機会を指す言葉です。チャンスを逃してしまった。遅れてしまったから、もう出来ない。少なくとも先生はそう感じています。
でも、チャンスって何だろう……と思っちゃいますよね。別段、言えばいいんじゃないのかなと思うんですが、なぜか先生はそうしない。と言うよりも、Kの告白を聞いた時は本当に想定外すぎて、自分も同じ気持ちなのだということを言うかどうかなどと、考える冷静さが無かった。
だから、Kと共に昼食を食べ、自室で一人になった時に後悔が襲ってきたのです。
説明しているように、この先生。自分から何か行動を起こす人ではありません。特に、このお嬢さんの事に関しては下宿当初から。そして、お嬢さんがもしかしたらKを好きなのではないかという疑いが出てからも、二か月も放置していた人です。
そういう意味では、酷く臆病な人だったとも言えます。
-成功しかしてこなかった弊害-
なぜさっきKの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常に手抜かりのように見えてきました。せめてKの後に続いて、自分は自分の思うとおりをその場で話してしまったら、まだよかったろうにとも考えました。(本文より)
逆襲……つまり、Kの告白は襲われるようなものだった。それぐらい衝撃だったのでしょう。
というか、後悔しているのならば今行った方が良いのでは……とも思うのですが、先生は動きません。
そう。この人、失敗した時に改善をして行動に移せる人ではなかったのです。
だって、今まで、大きな失敗から学ぶ、という経験をしてこなかった人なので。
だからこそ、本当の意味で失敗をしたとしても、それを後悔し、振り返り、反芻し続けるのですが、何一つ変えようとしないのです。
叔父との関係も失敗と言えば失敗ですが、あれは先生の中では未成年であったこともあり、どうにもならなかった。信じた自分が駄目だったのだとしていますが、ではどうやったら人を信じられるのか、という改善の一歩は踏み出さず、唯優しい奥さんやお嬢さんとの生活で心がいやされただけです。
改善をする。訂正をする。やり直す。自分から動く勇気を持つ、と言うことがとことん苦手だったのです。
Kの自白に一段落がついた今となって、こっちからまた同じことを切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺られてぐらぐらしました。(本文より)
先生にとっては、という前置きを置きたい部分ですが、相手の言い分を全て聞き終わってから自分の気持ちを告げる行為は、別段特別でも何でもありません。変でも何でもない。
急な告白だったので、動転していたから言えなかったのだが……と、話を切り出せばいいだけのことです。
けれど、先生にはそれが変に思えた。
何故なら、話を再度Kに切り出すとしたら、先生はKの告白の場面で動揺し、冷静に対処することが出来なかったということを露呈しなければなりません。
そう。その場で自分も気持ちを打ち明けられなかった=失敗の露呈です。そして、この先生は何より失敗が大っ嫌いです。失敗をするかもしれないのならば、いっそこの気持ちを捨てた方が良いと思うくらい、絶対の保証がなければ動きだせない人です。
そんな人が、自分の失敗を自分で認めて、それを他人に曝け出す、などということは、自分のコンプレックスに打ち克つ作業でもあります。それがすぐに出来るわけもない。
だから、不自然さを感じ、それを克服する術を思いつけなかった。
-取り戻せない失敗-
一度やってしまったものの時間は戻ることはありません。そのどうしようも出来ない状況だからこそ、失敗を認め、改善することに意味に気付けるのですが、この先生は、どうにかそれを取り戻そうとして動けなくなります。
私はKが再び仕切りの襖を開けて向こうから突進して来てくれればいいと思いました。私に言わせれば、さっきはまるで不意打ちに会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前中に失ったものを、今度は取り戻そうとする下心を持っていました。(本文より)
おもわず、「自分で行けよ!!」と突っ込みたくなる部分ですよね。
Kだって自分の気持ちを告白するのは、先生が躊躇し、葛藤し、ためらった気持ちを全て乗り越えて、勇気を出しての行動のはずです。その勇気に立ち向かうなら、同じ勇気がないといけない。
けれど、先生は、徹底的にKからのアクションを待ちます。
そして、自分の失敗を、Kからの行動によってチャンスを貰い、取り戻そう。無かったことにしようと、考えているのです。
襖を開けばいる相手に、です。距離にして、たった数メートル。声をかければすぐそこにいる存在です。なのに、動こうとしない。
自分で動かない。動けないのです。先生は、決して自分の失敗を自分の力でどうにか出来る人ではなかった。
全体を通して、酷く重要なポイントです。
いったん言いそびれた私は、また向こうから働き掛けられる時機を待つよりほかに仕方なかったのです。(本文より)
そして、待つしかない。Kからの行動を待つしか、出来る事は無かったのです。
そう。動けない人は、失敗を怖がっているから、というのは、前回からも何度も出てきた部分です。
Kに話すことが出来なかったという失敗。不手際をした、という表現から、先生がそれを後悔しているのは明白です。
そして、失敗を怖がっている人が失敗してしまった場合。大概はその失敗を無かったものにして、問題を先送りします。
けれど、この問題ばかりは、先送りが出来ない類のものでした。
【理解できない魔物】
-解しがたいK-
居ても立ってもいられなくなった先生は、家を飛び出します。そして、正月の街を歩きながら、考えるのはKのことばかりです。
そう。いつの間にか先生の頭にはお嬢さんではなく、Kの存在が頭を占めるようになりました。何故、そうなったのでしょうか。
それは、彼が「解らない存在」になってしまったからです。
私の頭はいくら歩いてもKのことでいっぱいになっていました。私もKを振るい落とす気で歩き回るわけではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついていたのです。(本文より)
咀嚼、とは物を噛み砕く事です。転じて、文章や物事、問題などを反芻しながら、理解を試みる事になります。
そう、先生は今まで知っていた存在のはずのKの心を理解しようと、必死に足掻いていたのです。
彼がどうやってお嬢さんに恋心を抱き、それを育て、そして何故今、自分にそれを打ち明けたのか。あの告白にはどういう意味があったのか。何の目的で相談をしたのかを、理解しようとした。
けれど。
私には第一に彼が解しがたい男のように見えました。(本文より)
解しがたい、とは理解できないということです。
先生が理解できないのは、次の三つのポイントです。
・先生に告白するぐらい、どんな理由でその恋が強まっていったのか。
・恋など学問への邪魔になる存在で、する者は精神的に向上心のない、馬鹿ものだと言っていた普段のKはどこに行ってしまったのか。
それらが、疑問として頭の中をめぐりました。
-強く真面目なK-
私は彼の強いことを知っていました。また彼の真面目なことを知っていました。(本文より)
恐らく、この「強い」という表現は、肉体的な強さの事ではないでしょう。精神的なのです。
Kは猪突猛進であり、決めてしまったら誰が何と言おうとも。たとえそれが自分に不利になるような選択であったとしても、やり遂げる意志の強さがあった。
つまり、精神的に先生よりも圧倒的に強かった。
そして、真面目だった。
真面目、と言うことは、逆に言うのならば不器用だということです。
不器用でも、不格好でも、とにかく行動を続けていく。そんな武骨さがKにはあった。
両方とも、先生にはない。明確に、Kよりも自分が劣っている部分です。
-Kをどうすることも出来ない先生-
しかもいくら私が歩いても彼を動かすことは到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり、私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久に彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました。(本文より)
彼を動かすことは到底できない。
こう言い切るのは、先生が過去、何度もKを説得しようとした時に、それが全て叶わなかったことや、言い合いになったり、議論になった時でも、彼の意見を変えさせることが、先生には出来なかったことが数多くあったからでしょう。
こうと決めたら、梃子でも動かない。
そんな意志の強さを持つ相手が、恋をした。
絶対にKは恋などしないと思っていた先生にしてみたら、「お前は一体誰なんだ?」と問いかけたい心境でしょう。自分の知っているKならば、絶対にそんなことは言わないし、そうならないはずだと。
だから、一種の魔物、と表現したのです。
-敵ではなく魔物という描写-
友達が、そう見えてしまったのです。
そして、ここでポイントは敵ではないということ。
敵は、対等です。対等な立場で、戦う相手です。けれど、先生にとってKは敵ではなく、一方的にこちらを傷付ける魔物だった。
祟る、という言葉がそれをいっそう印象付けます。
祟る、とは神仏や怨霊から悪い報いを受ける。自分の犯した悪行に対し、悪い結果が訪れる事、の意。
確かに苦しいでしょう。自分もそうなのだと言うない日々は、確かに心の平安とは遠い気がします。けれど。
-Kという魔物に祟られる-
それがまるで、Kに祟られているようだと。しかも、永久、と言っています。
未来永劫、Kに祟られる。
普通、そんな言葉がぽろっと出てくるでしょうか。
出でくるとしたならば、先生はKに永久的に祟られるような、何か悪いことをしてしまったことが、有るのでしょうか?
祟られる人は、祟られるような原因を自覚している人、とも言われています。
何を、先生は自覚していたのでしょうか。
今日はここまでです。
続きはまた明日。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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