こんにちは、文LABOの松村瞳です。
今回は昨日に引き続き、呪いについて。
私は生徒に言葉を教える際、漢字の成り立ちを考えなさいと良く言います。普段何気なく使っている漢字ですが、これは表意文字。つまり、形ひとつひとつに、意味が含まれている文字です。
『呪』という漢字を分解すると、口偏に、兄、と書きます。これを見ると、呪い、という言葉の語源は、もしかしたら弟や妹が、兄の事を口にした。お兄さんの悪口を言ったことから、この意味に成ったのだろうかと思えてなりません。弟は、兄のことが嫌いだったのだろうか。恨んでいたのだろうかと考えると、少し切なくなってきます。
そんな風に考えると、怖い漢字のはずですが、何処か悲しみすら漂ってくるから不思議です。
キリスト教の聖書のなかでも、人類最初の殺人は、アダムとイブの息子である、兄カインが弟アベルを殺したものです。
人が人を呪う。それは、もしかしたら、近過ぎる距離感のせいで、相手に対しての感情がコントロール出来ずに、振り切れてしまったからなのかも、しれませんね。
【身近な人の言葉ほど、呪いの力は強い】
昨日のエントリー効果は確実 現代に蔓延る呪いの恐ろしさでも書きましたが、現代の呪いは、別に藁人形を作って深夜に五寸釘を打ちつける、なんてものではありません。ある意味、これはとっても解りやすく、また対策も簡単です。悪意がある人の対策は、いくらでもとれるものです。
本当に怖いのは、身近な人の言葉です。両親、友人、先生、恋人。上から目線で強制する様な言葉だったら、反発も出来るでしょう。けれど、厄介なのは、自分にとって、とても大切な人々の言葉です。
優しい人の言葉は、つい耳を傾けがちになってしまいます。それから、この人の言う事は聞かなきゃいけない、と思っている相手の言葉は、特に要注意です。善意で言われた言葉で有ったとしても、それは自分を縛る糸になる可能性があります。
例えば、あなたが野球(サッカー、バレー、etc)が好きだったとします。出来るのならば、プロに成りたい。叶わなくとも、何か野球に関わる仕事に付けたら良いと、日々頑張っているのに、こんな言葉が耳に入ってきます。
「そんなに一生懸命やったって、どうせプロになんてなれるわけがないし、学生のうちだけの遊びにしておきなさい。本気でやったら、辛くなるだけなんだから」
例えば、あなたが本を読むのが好きで、勉強が好きで、ただ純粋に頭がよくなりたい。知識欲を満たしたいと思って、日々勉強を楽しんでいたとします。けれど、ふと、こんな言葉が耳に入って、頭にこびりついて離れません。
「そんなに勉強したって、二十歳を過ぎればただの人だし。人生、ほどほどが一番よ」
「そんなに頑張って勉強を続けたって、どうせ上には上がいる」
「そんなことやったって、どうせ無駄じゃない?」
「それよりも、こっちをやった方がいいよ」
「そんなことしているより、もっとやるべきことがあるはずでしょう?」
「いい加減にしなさい。現実をちゃんと見て、普通に将来のことを考えて」
好きな事をやっていて、言われたこと。あなたは有りませんか?
【善意の言葉が一番厄介】
呪いは悪意の言葉の方が、かかることは難しいです。
ああ、この人は自分のことが嫌いなのだと解っていれば、拒絶することも、呪いの言葉を吐かれたとしても、気にすることも有りません。悪意に満ちている言葉は、何となく解りますからね。防御することも、自分の耳に入れないことも、忘れることも、容易いです。怒りは湧き上がるかもしれませんが、それさえ落ち着けばさほど影響も有りません。
けれど、厄介なのは善意のアドバイスです。
「そんなの止めておきなよ。無理だよ」
「あなたのために、それはやらない方が良いと思う」
何かに挑戦したり、無謀だと思える様な行動を起こそうとしたりしている時、大概周囲の人達は、それを止めます。
例えば、偏差値40から東大を狙ったり、部員数がギリギリなのに甲子園を目指してみたり。人や環境によって目標とすることは様々ですが、それを口に出した途端。大切に思っている人ほど、あなたのためを思って止めに入ります。
そうして、そう言った親身なアドバイスをくれる人は、大概あなたの周囲にいる、とても優しい人達です。頑張ったって叶うわけない。成功するのは一握りなんだから、現実的な、安全な道を行きなさい、と実際言われたことがある人も、いるかもしれませんね。
【何故、身近な人の親身な言葉が、呪いに成りうるのか】
人は、全く無関係な人の言葉よりも、身近な人々の言葉を頼りにする傾向があります。(これは実際、客観性という観点から言えば、皮肉なことに真逆です。)
自分を良く知ってくれているし、安心感もあるし、何より信頼できます。だから、多少耳に痛い言葉でも、聞きいれようとしてしまうのです。
そして、人はピグマリオン効果。期待された通りに、成長する論理から言うと、「無理だ」と言われ、それを自分でも受け入れてしまった場合、本当に無理になってしまうし、描いた夢は実現する時は永久に訪れません。
信頼できる人の言葉だからこそ、「そうした方がいいかな」と思った瞬間に、言われた姿。つまり、自分の能力を伸ばす方では無く、普通で良い。皆と同じ様な成長で構わない姿に、成ってしまうのです。
マスコミが年代別に解りやすいように、キャッチフレーズをつけてあらわすことがありますよね。団塊の世代やゆとり世代。今の十代はさとり世代と呼ばれています。上昇志向が無く、きつい仕事よりもそこそこの仕事に付ければそれでいい。平均的な勤務体系で、楽な仕事を望み、辛いことをしてまで成長を選ぶ人はいない、と言われていますが、これも一種の洗脳という呪いに近いです。
ゆとり世代であっても、礼儀正しい子は居ましたし、さとり世代でも、学者に成りたい。政治家に成りたい。お金持ちに成りたいと言う子は、います。自分は怠け者だから、敢えて厳しい環境に行かないとサボるからと、自分からきついプログラムに参加する子だっている。けれど、何度も何度もそうやって君たちはさとり世代だからと聞かされていて、ふと「ああ、私達の世代は、そうやって生きるのが当たり前なんだ」と思った瞬間。呪いは発動していきます。
実際、今人気のユーチューバー達の多くはゆとり世代です。社会に出たらどうなってしまうんだと言われ続けた彼らは、自分の表現の仕方を試行錯誤で作り上げ、新しい情報媒体で生き残る術を構築しています。既存の考え方では有り得なかったやり方を作り上げた彼らは、ある意味この呪いを返す。所謂、オカルトチックに言うのならば、呪詛返しを行ったのでしょう。
勝手に俺たちをひとくくりにするな。ゆとりで何が悪い! と、文字通り言い返したわけです。
【呪いの発動ポイント】
呪いのポイントは三つ。
1 身近な善意ある人の言葉で有ること。またはメディアで何度も聞く言葉。
2 そのアドバイスや言葉(例え否定的な内容であっても)に従う事が正しいと思えてしまうこと。
3 自分自身に言われている言葉を、最もだと納得して受け止めてしまうこと。
この3つが同時に働いた時、呪いは発動します。無自覚に、無意識に。長期間をかけて、あなたの夢や人生を砕く言葉に成ってしまいます。
では、呪いを受けない方法です。
アドバイスを聞かない、受け取らない、と言う事ではありませんからね。そこは、きちんと区別しましょう。
人からアドバイスを受けた時。その殆どはあなたが悩みを抱いている時になります。受験時期や、将来が掛かった試験の前。そして、選択に迷ったり、何か新しい事に挑戦したりしている時。大概、人は不安になり、迷い、誰かの励ましが欲しくて悩み事を打ち明けます。
そして、現実的なアドバイスに、やっぱり自分の希望は叶わないんだと諦め、受け入れた瞬間に善意のアドバイスは自分の行動を縛る呪い。洗脳の言葉になってしまいます。
ああ、所詮自分はここまでなのだと。自分の未来に線を引いてしまうのです。
だからこそ、呪いを打開する解き方も、言葉の力を利用するのです。
【呪いの解き方】
ステップは3つ。
1, まず、他人のアドバイスを受け入れ、それを聞いた時の自分の気持ちに意識を向ける。
2, 気分がざわざわする。不快な気分になっていることに気が付いたら、一旦その意見を横に置き、自分のしたいことを、もう一度頭の中で考える。
3, 「○○(相手の名前)さんの意見は、~~~なのだ」と、主語をつけて、アドバイスを言い換える。自分の意見では無く、あくまで他人の意見だと、脳に言い聞かせる。
これを何度も繰り返せば、呪いは解けます。
脳は主語を判定できません。そして、日本語は主語を省略出来る言語です。なので、他人の意見を、まるで自分の考えの様に、私たちの脳は受け取ります。そして、筋トレしないと筋肉が育たないように、脳も今の限界を超える能力を身に付けるためには、ある程度、現在の限界値に挑戦することが必要になります。
そのチャレンジの時に、一歩を踏み出せるか踏み出せないかで、結果は変わってくるのです。
だからこそ、あくまでもこれは、○○さんの意見で、確かに今の自分だったらそうなるかもしれないけど、努力して実力をつけた未来の自分なら、出来るかもしれない。あくまでこれは「今」の自分に対する評価だと、自分で言い直してください。
そして、次の言葉を自分に言ってください。口に出しても、心の中でも構いません。出来れば即座に。否定的な意見を聞き、心がざわついた瞬間に、やってください。
「でも、やってみなければ解らない」と。
そう、自分に言ってください。
「そんなことしても、失敗するだけだよ」⇒でも、やってみなければ解らない。
「どうせ頑張ったって負けたらそれまでなんだから」⇒でも、やってみなければ解らない。
「今から東大? どう頑張ったって無理だよ。やめときなよ」⇒でも、やってみなければ解らない。
そう繰り返し、否定的な意見は、自分ではなく相手の意見だと、一旦区切りをつけます。
「ドジだ」と言われたとしても、「何を評価に、ドジなんだろう?」と、冷静に自分に問い掛けてください。一体、誰と比較されているのか。平均値は何処なのか。ドジなことが、悪い事なのか。それも一つも個性ではないかと。
もし、直したいと思う癖があるのならば、それこそピグマリオン効果と、呪いを自分に掛けましょう。勿論、良い意味で、です。
成りたい自分を想像し、その人が周囲にどう扱われているのかを、想像します。丁寧な人に成りたいのならば、丁寧な人は周りにどう扱われているのか。そして、「私は丁寧な人間だ」と自分に呟いてみるのです。
その後、丁寧な人間の行動を思い浮かべ、成りきって振舞います。意識して、自分の行動を自分の理想像に近付けていくのです。
環境や周囲の人々の態度は、自分一人の力で変えることはできません。けれど、自分で自分に言ってあげられる言葉は、幾らでも変えることが出来ます。
呪いは、使い方を間違えなければ、自分を変えるための強い味方となってくれるのです。
【言葉の使い方と力を知ろう】
言葉の使い方は、後天的に学びとるものです。そして、使い方やその力を知っていても、意外なほどに皆学ぼうとせず、無自覚にその強大な力に振り回されています。
無自覚に。そして、無意識に、です。
自分で悪い事をしたと思っている人は、悔い改めるチャンスが巡ってきます。それは「自分は悪意があって行動した」という自覚があるからです。
けれど、自覚が無い人は、直すチャンスすら与えられず、無意識にしゃべる言葉やその人のためを思って、よく考えて言ったアドバイスが、その人の将来を狭め、能力が伸びるチャンスを潰し、人を不幸にしているとしたら、それこそ背筋が寒くなる事実だと私は思います。
たかが言葉。されど、言葉。
その力を使いこなせば、人を生かしも殺しもする。そして、使い方を学んだ人は、自然と成功を積み上げ、人を惹きつけるようになっていく。
そんな言葉の使い方、意識をすれば簡単に手に入ります。
一緒に学んでみませんか?
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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