「ファンタジー・ワールドの誕生」解説、その4
今回は、前半部分のまとめとなります。
【第1~第4段落まとめ】
評論文の特徴として、具体例の分析をし、そこから見える真理や真実の指摘をした後、更に考察にはいり、そののちに筆者の主張に繋げる形が多いのですが、この文章もそれ。
具体例で「食人族ツアー」を提示し、そこでの西欧人の奇妙な行動。
写真撮影と、「値切る」という行為が付随した買い物が具体例として挙げられ、それぞれの分析が行われました。
こうして具体的に見ていくと、差別意識って本人達が全く自覚していない時に起こりえるものであり、またその方がとてつもなく、辛辣なもの。簡単に言いかえるなら、えぐいものになるのかなと、ちょっと考えてしまいます。
現地人にしてみれば普通に生きているだけなのに、珍しいものでも見るようにばしゃばしゃと写真を撮られ、撮影者は背景から切り離され、勝手に撮影者のSNSなどで、その人の旅行の思い出として同じ西欧人達のなかでシェアされ、「いいね」をもらう道具(=無色透明のアイテム)となります。
けど、それはもしかしたら余りにも違う環境を訪れた西欧人が、自分達を守るためにカメラを構えている、怯えの表れなのではないか、という興味深い指摘もあったりする。
更に買い物は、自分達の発展のすごさを実感し、満足するために、わざわざ民芸品の価格を値切ってまで、自分達の経済的価値に換算し、その差を数字として明確にあらわして、楽しむわけです。
強烈な西洋批判なのですが、けれども彼らだって最初からこうだったわけじゃない。そして、現地のニューギニアの人達は、そんな西欧人達をどう見ているのか。
それらを見ていきましょう。
【第5段落】
-印象的な「値切る」行動-
金を無限に持っていそうに見えながら、現地の民芸品を買いたたくこの観光客たちの印象的な行動を、ひとりのニューギニア人がフィルムのなかで不思議そうに語っている。(本文より)
そう。
現実的に考えれば、この行為はとってもおかしいのです。
どう考えても、経済的に豊かなのは西欧人です。なのに、観光で、遊びで訪れた場所で、彼らはお金を使わない。むしろ、払わないように。いかに少なく払うかに、努力を注ぎ込んでいる。
普通、これはお金を持っていない人間の行動です。金持ちは無駄遣いをしないから。金持ちはケチだから金持ちに慣れたんだ、という意見もあるでしょうが、だったら何故、値切るのでしょうか?
買うから値切るんですよね。ケチなら、買わないという選択肢もあるのに、彼らはそうしない。というより、ケチならまず、このツアーに参加しないのでは? という疑問すらある。
でも、彼らは「値切る」
その行為に対して、ニューギニア人はこう言います。自分達は、観光客に対して売った代金で、現地のストアに行って買い物をするけど、値切ったことなんかない、と。
売り手に最初に提示された金額で、買う。それが原則で、当たり前の常識だと思っていたから、西欧人の行動は、ただただびっくりだ、と。
文化的「差異」を経済的「差異」に置きかえて、その差に満足する。と書きましたが、文化的に高いと感じているということは、現地人が下だと思っているということ。
けど、よくよく考えてみてください。
彼らが下だと思いこんでいる現地人の方が、売り手の提示した価格で買い、値切る行為はしていない。
かたや、有り余るほどの金を持っていても、観光地で民芸品を買う時に現地人から値切る西欧人。
かたや、裕福ではないけれども、売り手を尊重して値切る、ということすら考えていない、ニューギニアの人々。
文化的教養、人間性、という面において、下なのは一体どちらの行動でしょうか?
-不思議な行為-
その点からみても、観光客の執拗な「値切り」の行為は、現地人にとっていかにも不思議に映る。(本文より)
執拗とは、しつこいこと。自分の主張に固執し、相手の意見に従おうとしない行為のこと、です。
つまり、観光客は、現地人の意見に従おうとしない。相手の提示した値段に、納得しない。と言うこと。
これは、どう言う事なのか。
お金が勿体無い、という気持ち以上のモノがここに潜んでいる。何度も筆者が書くということは、重要なポイントになります。
西欧人は、現地人の意見に納得しない。
この現実は何故発生するのでしょうか。そして、西欧人たちは、自分の国ではそんなことをしないという事実も、合わせて考えると推測がしやすくなります。
そう。決定的に、同じ人間として認めていない。完全に「下」だと思って接している、という悲しい事実が浮き上がってきます。
【第6段落】
-奇妙な対比-
第6段落は、あるニューギニア人の意見だけで構成されています。
「学校に行っている私の子供がいうには、ああやってやってくる観光客はみな大金持ちなのだそうですね。彼らの祖先が莫大な財産をつくったから、彼らは自由に旅行ができる。一方金のない私たちは、村から一歩も出られないというわけです。」(本文より)
これは皮肉として捉えてもいいのですが、後半に繋がるとても鋭い意見を書いています。
彼らの祖先が莫大な財産をつくったから。つまり、金持ちになったから、自由に旅行ができる。
経済力は、単純に貨幣をたくさん持てる、ということだけではなく、選択の自由と移動の自由を与えてくれるものだと、指摘しています。
逆に、金がない。貧乏な自分たちは、村から一歩も出られない。移動の自由がない。自分で住む場所を決める選択の自由がない。
土着性。地元に根ざす、ということは、逆に言うと移動の自由が持てない、とも言えるわけです。
逆に経済力を持つと、自由に動き回ることが出来る。未開の地にも、観光に行けるわけです。
それは西欧人が大航海時代や帝国主義時代に植民地の人々を散々搾取したからじゃないか! ニューギニアの現地人が貧しいのは、お前たちの責任だろう。値切るなんて醜悪なことをせずに、金を払えよ!!
と、批判するのは簡単です。ええ、本当に簡単です。
けれど、評論文って面白くなく感じられてしまうのは、ある意味感情を排して文章を書いているからです。感情をぶつけるよりも、評論家は大事な事がある。それは、真理の追及。現実から見とおせる、論理を構築することです。
だからこそ、この何気ない言葉にも筆者は引っかかるのです。
貨幣は自由を与えてくれる。だから、西欧人はニューギニアに旅行に行く自由があるが、逆は無い。経済力とは、現代では自由を獲得出来る術なのだと。
【第7段落】
-素朴な言葉が真実を言い当てる-
この現地人の素朴な理解から発せられる表現のなかに、「植民地主義」と「土着性」をめぐる文化の政治経済学に関する真実が偶然にも巧みにいい当てられていることに、わたしたちはおどろかざるをえないのだ。(本文より)
はい、来ました。評論文にありがちな意味ありげな表現。
大事なんだろうなぁ、とは思うけど、よく解らないよ。真実ってなんだよ、って悲鳴が聞こえてきます(笑)
こういう部分をすっとばすか、丁寧に理解しようとするかで、全然現代文の理解の深さが変わってくるし、点数にも、ひいては受験にも関わってきます。
解らなかったら、立ち止まる。で、理解出来るまで、そこに拘ってみましょう。
大抵解らないのは、言葉の意味が解らないからです。
なので、一つ一つ、確認を。
-「植民地主義」と「土着性」-
「植民地主義」とは、国家主権を国境外の領域や人々に対して拡大する政策活動のこと。
要するに、自分の国以外も、権力を使って自分達の好きなように支配することを指します。方法は、殆どが実力部隊=軍隊を使っての、強制的な支配です。
そして、正当化をして、行動し続けることを指します。
植民地を作ること。他者を支配して、言うことをきかせることを、良しとして正当化する政策。書いてて、胸が悪くなってきますね。
具体的な政策としては、資源、労働力、そして市場を経済的に支配すること。物・人・金の動きを支配することを指します。これを支配された人。権利を奪われた人のことを何というのか……そう。奴隷です。
植民地主義って、奴隷制度を近代的な耳当たりの良い言葉に言いかえただけなんです。なんで言いかえたのかって?
私たちの国は、他国を奴隷としてこき使ってます。って、あんまり大々的に言えませんよね。だから、言葉でカモフラージュ。イメージを良くしよう! ってこと。言葉のマジックって凄いですね。
そもそも植民地って言葉が酷いんです。民を土地に植える、って読み下せます。要するに、人民をその場所に固定・動けなくするために、経済力を奪うことによって移動の自由を制限し、搾取し続ける政策のこと。
人々は、植民地政策を取る宗主国(=植民地における支配国のこと)に、その土地にしばりつけられ。強制的に動けなくさせられているのです。
もう一つの言葉。「土着性」
「土着性」とは、その土地に長く住み着く性質。根付くこと、を意味します。
つまり、
「植民地主義」とは、人を強制的にその土地にしばりつけること。
「土着性」とは、人が自分の意志で、その場所に住みつくことを決めていること。
他者からの強制か、自主的な動きか、の違いがこの二つの言葉には、ある。
さて、本文にまた返りましょう。
-政治経済学とは-
「植民地主義」と「土着性」をめぐる文化の政治経済学に関する真実
さて。文化は、生活様式だということは、説明しました。
なら、政治経済学とは、何でしょう。第4段落で出てきた、文化経済学とは違う言葉です。(参照⇒ファンタジー・ワールドの誕生 解説その3)
イラつきますよね。なんだよ、同じ経済学で統一してくれよと思いますが、そうはいっても分けられて書いてあるなら、見なきゃいけないのが読み手の努力です。
政治経済学とは、経済現象を社会的な構造や諸制度、文化、政治体制などを含めた広い視野から分析する学問。と辞書ではなっていますが、ようするに、政治制度や社会現象が、どれだけお金の動きに影響するのか。それを分析する学問です。
ここで言うのならば、植民地政策を受けた土地は独立をしても貧しいままの状態であり、そこを訪れる観光客は支配国であった西欧諸国の人々で、移動の自由がある。その現象がどうしておきるのかを、分析する学問ということ。
これらを踏まえて、真実、という言葉が絡んでいる部分の解説をすると……
他者から政治的圧力でその土地にしばりつけられた人々と、その土地に自分の意志で住み続けている(と思いこんでいる)人々の違いをちゃんと調べてみると、その人々の生活や考え方というのは、政治的な環境・経済的な状況に影響されている真実が、見えてくる。
自分の意志でその場所に住み続けているのだと思っていても、経済的な自由が確保されていなかった(植民地時代の爪痕)ために、その選択肢しか無かった。
経済力は、行動の自由、選択の自由を与えてくれるものであり、その経済力を確かなものとしているのは、植民地時代の政治的政策の影響である。
経済力のあるものは、自由を手に入れ、
無いものは、その土地に縛りつけられる。
その経済力を産み出したのは、過去の政治政策(=植民地政策)である。
これを理解したうえで、第6段落のニューギニアに住む人の言葉を、もう一度読んでみましょう。
「学校に行っている私の子供がいうには、ああやってやってくる観光客はみな大金持ちなのだそうですね。彼らの祖先が莫大な財産をつくったから、彼らは自由に旅行ができる。一方金のない私たちは、村から一歩も出られないというわけです。」(本文より)
素朴な言葉だけど、真実を言い当てている。しかも、これは子供の言葉です。
大人よりも、子供のほうが、余計な知識がない分、真理を見通せるのでしょう。
さて、ここまでが、前半部分の第7段落までです。
後半はまた明日。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
続きはこちら⇒ファンタジー・ワールドの誕生 解説その5
コメント
プリミティヴィズムの意味が逆なのではないでしょうか?教科書の注には、「原始文化を現代文化よりも良いものだとする考え方。」とあるのですが…。
指摘、本当にありがとうございます。
派手に間違えていますね。
お恥ずかしい限りです。
訂正しました。