こんにちは、文LABOの松村瞳です。
今回は言葉の力について。
日々何気なく使っている言葉ですが、成功者の本を読むと、ある共通項が見えてきます。それは、「本気で自分の人生を変えたかったら、使う言葉を変えろ」という事。
先日からお話している通り、言葉の影響力は絶大です。けれど、私達はその力の大きさを解っている筈なのに、使い方を学ぼうとしません。知ったつもりになってしまっている。自分は知っている、と思い込んで、無自覚に自分を追い詰める言葉を毎日言い続けています。
文章を教えていると、本当に毎日これを実感します。余りにも無防備に、そして自分が無知で有ることを知らずに、私達は言葉を使い続けている。
もし、今あなたが何かで追い詰められている。苦しい、毎日が辛い、と感じているのならば、是非、自分の口グセをチェックしてみてください。
【自分を追い詰める言葉『なぜ』】
なぜ、こうなってしまったのだろう。
なぜ、上手くいかなかったんだろう。
なぜ、解ってくれないんだろう。
なぜ、もっと上手く出来ないんだろう。
なぜ、私がこんな目にあわなくちゃいけないんだろう。
なぜ、なぜ、なぜ……
これらの言葉。あなたは使っていませんか?
人間、自分の力が及ばないと思い込むようなことが起こってしまった時。どうしても原因を知りたくなります。
なぜ、こうなったのか。なんで、上手くいかなかったのか。あんなに頑張ったのに。ギリギリまで、やったのにと、口には出さなくても腹の中にぐるぐると渦巻く様に、疑問が沸き上がってきます。
この感覚は、誰もが体験したことがあるものでしょう。もしかしたら、今、振り返ることすら辛くて、立ち上がれない人も居るかもしれない。全部を放り出して、「もう、やめた」って言い出したくなるような気分かもしれない。
けれど、この「なぜ」という問いかけ。使えば使う程、あなたを追い詰め、悪い結果を導き出す言葉だと知ったら、どうしますか?
【『なぜ』は、過去に焦点が当たっている言葉】
受験用の文章を読み解くときでも、この「なぜ」という疑問詞はとても大事なものです。
接続詞で言うのならば、「なぜなら」は、その後に原因を導くとても重要な言葉です。解答を得るためにはとても大事な言葉で、決して見過ごしてはいけないのですが、それが自分に向けられると、心をずたずたに切り裂く魔の言葉になります。
『なぜ』と問い掛ける内容は、必ず起こってしまったもの。過去の、もう結果が出てしまったことに対しての問いかけの言葉です。
物事に因果関係があることは、誰もが知っていることです。原因があるから、結果が出る。種をまいたからこそ、実りがある。当たり前の自然法則です。だからこそ、私達は何かしらの結果が出た時。それが悪いものであれ、良いものであれ、自然と原因を頭の中で探してしまうのです。
そして、この原因探し。
成功した時は気分良く考えられるし、頻度も低く、繰り返すことはありません。
けれど、失敗した時は、もう止めろと人から止められても、延々、ずっと繰り返しやり続けてしまうのです。それこそ、自分が病んで、心を壊してしまうまで、自分で自分の心にナイフを突き立てているかのように続けてしまう。眠っている時も休まることはありません。脳が眠ることはないので、殆どエンドレスです。
なぜ、なぜ、なぜ、と、何をしていても、どこに居ても、常に自分に問いかけ続けてしまう。こうなってしまった原因探しを、躍起になって繰り返し探してしまうのです。それこそ、自分が傷付いてボロボロになっていると解っていても、止められない。
皆さん、心当たり。有りませんか?
【過去は変えられない】
けれど、それを繰り返していても、心が晴れることは絶対に有り得ません。
確かに反省は必要です。原因を突き止め、自分が間違っている事を理解したなら、改善を施す。具体的な対策をする。それは絶対です。けれど、殆どの人はこれをせずに「なぜ?」と自分に問いかけます。
なぜ、合格出来なかったのか。
なぜ、勝てなかったのか。
なぜ、解り合えなかったのか。
大概、こういう問いかけの解答は一つではありません。けれど、自分が納得出来る完璧な解答を求めて、ずっと問いかけを続けてしまう。そうして、得られるものは常に不完全なもので有り、自分の思考の中で導き出した答とも言えないものは、視野が極端に狭まったものです。
そして、過去が変えられない事実で有る限り、原因を追及することは、常に変えられない過去を繰り返し見ていることと同じことです。
そうすると、現在が見えなくなる。そして、視野が狭まり、行動が狭まり、誤った選択をし続け、失敗を続けるようになります。
【「なぜ」から「どうしたい」へ】
過去は変えられません。これは、残酷な事実ですが、どれだけ悔やんでも反省しても、過去の結果が変わることはありません。
そして、その変わらない事実に「なぜ」と問い掛けることは、今の自分を確実に追い詰めることになっていきます。
あの時もっとこうしていれば。こうしたら、上手くいったではと自分の思考に埋没していくと、目の前の事に集中出来なくなっていきます。
だからこそ、「なぜ」と問い掛けたくなった時。もしくは口に出してしまった時、「どうしたいのか」と、言い換えてください。
【変えられるのは未来のみ】
何かしらの問題が起こった時。どうしても人は過去に原因を求めがちになってしまいます。けれど、幾ら考えても過去は変われません。
誰もがそのことを解っている筈なのに、中々抜け出せない。どうしても、なぜかと考えてしまう人は、沢山居ることでしょう。
なので、なぜ、と問い掛けたくなったら、止めるのではなく、気が済むまで問いかけてください。けれど、そうやって自分に問いかけた直後。「どうしたいのか」と自分に問い掛け直してみてください。
人の脳は、問いかけられて初めて答を探し始めると言います。
「なぜ」という問いかけは、過去にしか視線が向きません。未来の事を考えられなくなり、停止した時間の中で苦しみにもがくことと成ります。
けれど、「どうしたいのか」と問い掛ける言葉を変えるだけで、答は一変します。
理由は簡単。この質問は、過去ではなく、未来に視線が向いています。
確かに失敗をしてしまった。その過去は変えられない。けれど、それを経験としてあなたはこれから、「どうしたいのか」。
たかが言葉一つ、と思いがちですが、問い掛けというのは本当に大事です。
これからどうしたいのか。
何をしたいのか。どう、成りたいのか。
ずっとくよくよ悩んで、立ち止まっている人生を送りたいのか。それとも、違う気分で居たいのか。
長年、生徒を指導していると、センター試験で失敗をしたり、滑り止めも含めて全て試験に落ちてしまった生徒と出会うことがあります。
そして、その子達に、私は必ずこう問いかけます。
「あなたは、これからどうしたい?」と。
出てしまった結果はどうしようもない。その結果を痛かろうが受け止めて、次をどうしたいのか。どうなりたいのか。その為に必要な知識や行動、能力は何なのか。自分に足りない物は何か。それを確実に手に入れる為に、今、何が出来るのか。
それを生徒と一緒に考えていきます。
自分にコントロールできない、どうしようもないことに歎くのではなく、自分が動けば変わる結果もあるということに気づいてもらい、じゃあそれを達成するために何を今、していくのか。行動に移していくかを、考える。
受験は一つの結果でしかありません。
その結果を受け止めて、次の一歩をどう出るのか。結果的に落ちたという経験が、人間的な成長を促して、人が変わったように見違えた進歩を果たす子も居ます。
常に「どうするのか」「どうしたいのか」
視線を、過去から未来へと移していくのです。
【たかが言葉。されど、言葉】
たかが言葉一つ、と思われるかもしれません。けれど、この問いかけは、癖が付いている人は延々と繰り返します。それこそ、寝ている間も、です。四六時中、延々と聞き続ける。そして、出ない答を探し続け、視野が曇り、本当に今自分が大事にしなければならないことすら、考えられなくなっていく。
その癖を直せとは言いません。直せないからこそ、癖なのですから。
だから、具体的な手段を取りましょう。直せない、と理解して初めて、対策がとれるものです。直そうと短絡的に考える人は、人間の癖のしぶとさを理解していません。瞬間的に浮かんでしまう事は、どうしようもないのです。意志の力でどうこうできるようなものではない。そして、変化はゆっくりとした方が、結果的に抜け出せます。参考(「日々の1°があなたを劇的に変える魔法」)
言葉は、言い直すことが出来ます。
なぜ、と考えがちになっている事に気が付いたら、それを「これから、自分はどうしたいのか」と、すぐ言い換えてください。
答はすぐ出ないかもしれません。けれど、聞き続けることによって自分の願望が明確になっていく。少なくとも、過去の停止した時間の中で立ち止まることは無くなっていきます。
変えられるのは、自分と未来だけ。そして、未来を変えるために今出来ることを選択するには、まず進むべき未来を描かなければならない。
問い掛けてください。自分を追い詰めるのではなく、望んだ未来を手に入れる為に。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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