こんにちは、文LABOの松村瞳です。
突然ですが、皆さま、嫌いな人って居ますか?
いっつも嫌味を言ってくる人。正論ばっかり振りかざして、攻め立てる人。猫なで声ですり寄ってくるクラスメイト。媚を売る人。強者に阿る人。権力を振りかざして言いなりにさせようとしてくる人。様々ですよね。
社会と言う集団生活の中で生きている限り、人と接触することなく生きていくことは、絶対に不可能です。どれだけ自立している人でも、どこかでやはり人の世話にはなっている。むしろ、そうでなくては私たち人間は生きてはいけない存在です。
その中で、「嫌いだな」と思う人間が、私たちにとってどういう存在なのか。
それを考えることは、とても大事なことになります。
【登場人物は欠点だらけ】
小説家は、読者によりリアリティを感じて物語を読んでもらうために、物語に出てくる人間には、欠点を多く持たせます。なぜなら、完璧な存在などこの世のどこにも居ないからです。
どんなキャラクターであったとしても、欠点があります。と、言うよりも、自分が長所だと思い込んでいる部分も、見方を変えれば欠点になってしまうことも多々あるし、どうしようもないなと思っている欠点も、立場を変えてみれば誰もが欲しがるような羨ましい点になることも、現実として起こりうるのが私たちの社会です。
だからこそ、小説家は多くのキャラクターに欠点を持たせます。
しかし、この欠点。気をつけなければいけないのは、一人称視点で語られる小説の場合、あくまでも主人公の視線を通した欠点であるという点を理解すること。重要なポイントです。
誰もが、自分のことを知ることはとても難しいものです。自分には甘く。他人には厳しくなるのが世の常だとするのならば、この欠点も、主人公の物は見えづらく、他人の物は辛辣さが増して書いてある傾向があるのだと言うことを、しっかりと認識しておくと、読解が進みやすくなります。
実際、その3のエントリーでお話ししたように、この物語の主人公は目的が手段になり変ってしまったという欠点を持っていますが、本人は無自覚です。それを悪いことと捉えているというよりは、「両親が買ってくれなかったからね。拙い設備は恥ずかしかったんだ」と、まるで懐かしい話をするように、語っています。
そう。主人公の欠点は、見えづらくなっているのです。
【主人公の嫌いな相手の意味】
そこで役に立つのが、主人の嫌いな相手です。
主人公と共に物語を彩るキャラクターは数多く物語の中に登場しますが、その中には一定のルールが必ずあります。
まず大別されるのが、欠点が多い主人公に寄り添うように、心許せる味方。傍に居るだけで安心できる友の存在。多くはこの友が、私たち読者に変わって主人公の心の歎きや後悔、反省や成長などを聞く相手となります。山月記の袁傪がこの例に当たります。一応セリヌンティウスも、ここに入るかな。
一方、その心許せる味方の友とは、全く真逆の存在。主人公の敵となるような、嫌いな相手として登場する場合です。
やることなすこと、大っきらい。傍に居るだけでむかむかする。別段、相手はさほどのことをしていないはずなのに、それでも嫌い。最初から、居るだけで嫌い。
ここまで極端で無いにしても、最初は友だったはずなのに、段々と疎ましくなっていく相手や、助けてくれたはずなのに恨んでしまいそうになる相手となったり……。様々な理由で嫌いな人間になってしまった相手として、登場する人物の意味は別段話を面白くするだけの役割に留まりません。
これは心理学でも言われていることなのですが、自分が心底嫌っている相手というのは、自分が望んでも得られないものを持っている存在なのです。
「えっ!?? そんな、あり得ないっっ!!」
「そんなの、嘘だっ!!」
解ります。私も、それを知った時には「嘘だ」と思いました。けれど、よーく考えてください。
別段、その人の持っている全てが、あなたが欲しいと望んでいる部分ではないのです。一部分。とくに、自分が嫌い抜いている部分が、あなたの欲している物なのです。
例えば、ものすごく高圧的で嫌味な先輩がいたとする。
傍に来られるだけで大っきらいだし、一緒に時間を過ごすなんてとんでもないと思っていたとして……
あなたが欲しているもの。羨ましいのは、その高圧的に振舞える神経です。
きっと、あなた自身優しくて、つい人のことを考えてしまうのでしょうね。周りに気を使って行動しているから、人の事情も考えずに高圧的に振舞っている人間が嫌になる。そこまで威圧的に振舞っても許されている人間が、嫌で仕方がない。
けれど、逆の立場で考えてしまえば、人のことをずっと考えて行動するのは、気付かれしてしまい、自分の本当にやりたいことも我慢してしまう時が必ずある筈です。そんなときに、人の気も知らずに高圧的に振舞っている人間が居たら、「自由で良いな」と思う部分は、必ずある筈。
自分はこんな窮屈な思いをしているのに、どうしてあの人はあんなに無神経な言葉を使っていても平気で居られるのだろうか。先輩だから? 上司だから? 悔しい。むかつく、となるのです。
人に気を使う、ということは美徳かも知れませんが、逆に言えば人を優先してしまい、自分の本当にやりたいことをなかなか実行に移せない、とも言えます。自分が我慢して出来ない事をやっている人間が傍にいる。だから、むかつく。だから、嫌いになる。
逆に、これを利用すれば自分を良く知るきっかけにもなるのですが、今はそれは横に置いておいて。
一人称で描かれている小説の場合。主人公の嫌いな相手と言うのは、主人公の欠点の裏返し。そして、主人公が欲しいものを持っている、ライバル的な存在として登場することが殆どです。
だからこそ、主人公の無い部分を映す鏡としてその存在を受け取ると、読解が容易くなってきます。
【エーミールの存在】
主人公の隣の家に住んでいるエーミール。この小説で唯一名前のある人物です。
エーミールは先生の子供、という表記がされていることから、親は学校の先生なのでしょう。そして、彼は主人公曰く、悪徳を持っていました。非の打ちどころがないという、悪徳。つまり、欠点らしい欠点が無い子供だったのです。
それはどういうことを意味していたのか。欠点が無いというのは、あらゆる面で完璧だと言うことです。そして、この主人公の少年は、常に周囲よりも抜きんでて、何かを自慢したい。凄いと思われたいと願っていた子でした。
要するに、このエーミールには、主人公の勝てる部分がどこも存在しなかったのです。
彼の蝶の収集は小さく貧弱でしたが、綺麗で手入れが正確。
これと相対する主人公の収集は、同じように貧弱でしたが、エーミールの物と比較すると、汚く、手入れが雑だったということなのでしょう。
更にエーミールは壊れた蝶の羽を復元する技術まで、身につけていました。あらゆる点で模範少年、と語っているということは、自分が模範的な少年になりたくともなれなかったからです。
だから、エーミールを妬み、憎んでいたのです。
自分がなりたい姿。欲しいものを全て持っているから。その全てが羨ましかったから、だから、憎んだ。
さて、このエーミールと少年がどうなっていくのか。
続きは、また明日。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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