古典を勉強するコツ 古典嫌い克服方法その2


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古典を勉強するコツ その2です。
新学期が始まり、特に新高校生になった子たちは、この時期。非常に辛い時期ですよね。
何せ、数学や英語の授業レベルが跳ね上がるし、塾などの春期講習で準備が出来ている子は良いですが、それが出来ていない子は恐らく、地獄を見ることになることと思います。というか、今が、地獄の真っ最中かな?
そんな中で、勉強方法なんかない国語とか古典なんか気にしていられるか!!
と言うのが本音だと思いますが、この4月の過ごし方が、結局のところ1年間の勉強の仕方を決定づけることになります。

その1はこちら⇒古典を勉強するコツ 古典嫌い克服方法その1

辛い時は下を向きがちだけど、上を見れば明るい場所がある。

今回は、古典を楽しんで学べる方法その2です。
楽しんで学べて、更には結果的に勝手に成績も上がっていて、苦手という気持ちがどこかに飛んで行ったら、それは中学や高校時代ではなく、一生使える読書の技術となります。
まぁ、そんな長い話だけではなく、今、読む古典の授業が楽しい時間になったら、単純にお得ですよね。それで成績も勝手に上がって行ったら、楽だな~ぐらいの下心ありまくりな気持ちで構いません。
動機なんて不純で良いんです。不純だからこそ、頑張れるし(笑)
と言うことで、固定概念を潰す、知識の凄さを提示します。
多分ね……この記事を読み終える頃には、皆さま古典を読む時のモチベーションが変わると思います。(知っていたら違いますが……)
ちなみに、私はこれを知ってから、古典を読みながら笑いをこらえることが多くなりました。ええ、本当に。

【古典が面白くなる背景】

-知識が想像力をかきたてる-

古典を読んでいると、「をかし」「あはれ」「うつくし」「かわいらし」「はた言ふべきにあらず」etc…など、美に対しての言葉や、心が動く時の表現が山ほどありますが、良く解りませんよね。
それを、授業中に「これは筆者が良いと言っていますね」と言われても、良く解らんわけです。

で、良く解らないものに対して、「興味をもて」と言われても、持てるわけがないし、強制力が働くものにはむしろ意地でも無視したくなるのが、人間ですよね。

それで、「想像力が無い」と言われても、「知らんがな」って思うのは、当然です。

「感性が無い」「感覚が無い」「教養が無い」

そんなの言われて、「頑張って身に付けなきゃっ!!」って思う子がいるはずがない。諦めるだけならまだいいですが、それで古典に対して苦手意識や読むことに拒絶反応を持つことの方が、後々の悪影響が強くなっていきます。

けれど、この感性や想像力って、それらを支えているのは、結局基礎知識です。

言葉を知らなければ表現なんかできないし、知識を持っていなければ、藤原道長は文字としての名前や、いっても肖像画の中の人であるだけで、とっっってもふてぶてしい戦略家の、おねいちゃん大好きシスコンで、更には甘え上手だけど、敵と判定した人には容赦なかった、まぁ、良くあるダークヒーロー系のキャラクターなんて出てこないわけです。

感性や教養は、生まれつきの先天的なもの、と思い込んでいる部分があると思いますが、違います。それを支えているのは、知識です。そして、読んだ経験です。

知識は、知らなければ、知ればいいだけの単純な話です。

-現代と決定的に違う美意識-

昭和が約60年。平成が約30年。

新元号が令和と決定し、現在「平成最後の~」とか「平成の事件簿」みたいな見出しが連日メディアで取り上げられていますが、たった100年前後。平成の初期から考えれば、30年でも全く美的感覚や流行ったもの。言葉、場所など、変化があります。

ならば、1000年前の平安時代の美的感覚が違っているのは、当たり前ですよね。

さて、どんなふうに違っていたのか。

-太っている事が、美しかった驚異の事実-

美しい……って変わるんです。

平安時代、美しいと言うことは、太っている事でした。

これを話すと、皆が「ええっっ!????」という顔をします。
なので、女性の顔つきや容貌。プロポーションなんて、着物や扇で全て隠していたんですから、今の感覚で判断していたわけではないんです。

男性も同じです。

それどころか、男性の方が顔を晒して仕事をしていたので、より太っていなければ宮中でも尊敬されることはありませんでした。

つまり……平安京の紫宸殿。今で言うのならば、国会みたいな仕事場にいる男性達は、全てがお相撲さんレベルの体型だったと言うことです……

(今、これを書いていてふと気付いたのですが、日本の国技である相撲の力士たちがあの体型なのも、当時の美意識から考えたら、当たり前なのではと納得してしまいました)

-美しいと富が合わさっていた平安時代-

それでは、何故平安時代。

太っている人が美しかったのか。

当時は、美と富が密接に絡みついていました。

今でも、お金持ちは羨望の的であることは変わりありませんが、当時は富を持っていること=美しい、という感覚があったのです。

けれど、いくら貴族でも「僕、お金持っているだ~」と自分で言う馬鹿はいません。

けれど、それを立証しなければならない。証拠がなければ信じないのは、現代と一緒なんです。

じゃあ、どうやって証明するのか。




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当時、お金よりも価値が高いものは、すばり食糧。お米でした。更に、今で言うお菓子にあたる甘い食べ物は、とっっっても価値が高く、砂糖やお酒なんて、超高級品。

この高級品という価値感は、江戸時代まで続きます。

その高級品を気軽に口にできる人は、結果。どうなるでしょうか?

そう。太るんです。

ちなみに十二単も同じ考え方。

衣も超高級品です。

そのたっっかい高級品を、12枚も重ねて着ることが出来る。それが出来ること自体が、富の象徴。お金を持っている事の証拠だったので、皆競って着物を重ねて着たんですね。

なので、その人がどれだけお金を持っていて、どれだけ富を保持していたのか。どんな人なのかを評価するために、貴族が一人出てくると、その人の着物の種類や色、装飾にいたるまで、事細かに書いてあるのは、「ああー……この人、お金あるんだなぁ。美しいなぁ」という気持ちが裏側にあるわけです。

今でいう、ファッションチェックみたいな感じでしょうか(笑)インスタ映えの文字版ですね。

もし、今歴史や日本史の教科書や参考書があるのならば、奈良時代や平安時代の庶民と、貴族の食事の比較を見てみてください。

貴族はあの量を毎日、時間をかけて全て食べるわけです。で、女性にいたってはずっと座りっぱなしで、動かない。そりゃ、太るし、今で言うのならば糖尿病やメタボまっしぐらで、平均寿命が30代だったのも、納得ですよね。(縄文時代の方が平均寿命が高いんですよ……)

-それを踏まえて源氏物語を読むと……-

その知識を持った上で、源氏物語の冒頭。光源氏の君が生まれた場所を読んでみましょう。

世になく清らなる玉の男皇子さえ生まれ給ひぬ。

「清ら」という言葉は、源氏物語の中でとても特徴的です。

意味は、「信じられないくらいに美しい」という、最上級の誉め言葉で、源氏物語のなかでは、光源氏の君やヒロインである紫の上などにしか使われいない言葉です。

で、美しい=太っている、という構図をここで当てはめて源氏物語を読むと……

うん。。。

とっても暑苦しい構図がちょっと思い浮かんだし、丸丸太ったそれこそ肌もつやっつやな源氏が出てきますよね。

単なる知識が一つ入っただけで、こんなに違います。しかも、興味も出るし、面白いから印象も深くなる。

きっとねぇ……今のイケメンだと言われているそれこそジャニ○ズ系の人達が平安時代にタイムスリップしたら、「なんとあの貧相な、見た目の貧弱な悪しき見た目よっ……」と扇越しに言われるだろうなぁ~。太っている貴族達に(笑)

【まとめ】

-知識が入るだけで受け止め方が変わってくる-

とても単純なことなのですが、知識が一つあると、人間はものの見方や印象がとても変わってきます。

それが普通なんです。

なので、古典が苦手なら、背景の「面白い」と思える知識を一つでも知ってみてください。

受け取り方がぐっと変わってくるし、次の古文を読むのが楽しくなります。

受験で必須の文法を身につけるのは、その後で十分間に合います。

先ずは興味を持つ。

持てないのならば、背景の知識を知ってみる。

ぜひ、試してください。

その3は、三大随筆筆者のそれぞれの背景です。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。


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