文学の仕事 解説その3 一人の少年の運命が全体の運命に繋がる意味

文学の仕事

「文学の仕事」解説その3

人生の意味とは何なのか。人生の目的を決めるとは、何なのか。

それを決めることに文学の意味があり、価値があると述べている筆者の主張の根幹に迫ります。

そこに、一つのキーポイントとして現れるのは、文学で語られるのは、やはり個人の人間だということです。

複数の登場人物は存在しますし、優に主要な人物だけでも100人を超す作品なども存在しますが、やはり集中して語られるのは数人に絞られてきます。そして個人の人間の生き方や、在り方が描かれるのが文学なのですが、その人物たちは物語の中で何を、どうしようとしているのか。

その意味に迫ります。

前回の解説はこちら

前回までのまとめ

前回の解説で、弟子たちの考え方が常識で普通の考え方、と説明しました。

この、常識。言葉の定義として考えると、「私たちが生活の中で正しいと思い、行動すべきだと考えられているもの」とみなすことができます。

この「べき」という言葉は要注意です。古典でも「べし」の意味が受験生の頭を悩ませますが、文語の「べき」の意味は、「こうすべき」という強制の意味合いが入ります。

けれど、強制されているもの、ということは逆を言うのならば、「強制されなければできないこと・もの」であるという意味も、同時に含んでいます。

つまり、常識=普通の考え方=正しいと思われているもの・正論、というのは、総じて「強制されなければできない理想論」であるということが、暗に示されています。

孔子の弟子たちの「苦しんでいる牛を全部解放しなかったら、一頭だけ助けても意味がない」という発言は、このエピソードを取り上げた「実現不可能な理想論ばかり言ってないで、さっさと自分で動け!!」という強烈な筆者からの皮肉であったりするんですよね。

大概、口だけ出してくる人って、なんにも行動しませんからね……

そんな理想論に振り回されて何も行動しようとせず、自分に都合のいい理屈に安住せず、正しいとされている社会常識にとらわれずに、「自分のやりたいこと」「自分がどのような存在としてありたいのか」「どんなことをしたいのか」を考えて、更に実行に、行動に移していくことが大事だと筆者は続けます。

そのために、出発点。つまり、原点に帰れと言っています。

この出発点とは、現実的に達成可能な目標であり、物理的に行動できることです。

それを探せ。その場所に戻れと、筆者は言っているんですね。

それでは、本文の続きを読みましょう。

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【第6段落】

一人の人の命の価値

一人の人の命が大事でない人は、ただ抽象的に何百万人の人の命のことをしゃべっても、それはただ言葉だけであって、本当の行動につながっていかない。

一事が万事=一つの小さなことに見られる傾向が、他のすべてのことに現れる」という言葉がありますが、まさしくこれです。

目の前の一人を救えない人間は、きっと誰の命も大事ではないし、そんな人間の言う言葉には、人を助けたいという情熱など感じるわけもありません。

だから、抽象的なこと。つまり、主語が大きな文章を口にすると、どこか空々しく響く。この人、本心で言っているのかなと、思わず疑問に思ってしまうのは、その人が一人の人を救おうとしていないからです。動かないから、本気度が伝わってこない。

みんなのために、とか主語が大きくなって許されるのは、精々特撮ヒーローやゲームの中の主人公で、その言葉に感動できるのも、年齢制限がありますよね。

つまり、国民の為に、と話している政治家の言葉がどこか胡散臭く感じるのは、ある意味みなさんの勘が正しく働いている、という証左でしょう。

行動につながる情熱

行動につながるのは、やはり情熱がなければならない。その情熱の引き金はやはり一人の人間、よく知っている人たちの存在です。

人が行動に移すときは、どんな時なのか。

当たり前ですが、「本気でかなえたい」と心の中に情熱。つまり、やる気がある時。本気な時です。

で、その「やる気」「本気」を引き出してくれるのは、抽象的なふわふわした、主語の大きな存在。具体的に言うのならば、「みんなやってるよ!」(日本人だけには効くそうですが……汗)「みんなで頑張りましょう」「すべての人の頑張りが大切です」とかではなく……

自分の傍にいる、具体的な実在する「誰か」の存在なんですよね。

実際、中高生が勉強に本気になるときは

  • 「頭のいい友達(憧れの先輩etc)と同じ学校に行きたいから」
  • 「成績が伸びたあいつに負けたくない」

などなど、身近な存在が私たちの行動に影響を与えています。それは決して主語の大きい抽象的な言葉ではなく、具体的な、身近な、目の前にいる、存在する「誰か」の行動であったり、言葉であったりします。

『永遠と一日』

目の前にいる牛だとか私の知っている少年とか、アンゲロプロスの自伝的な感じのする映画「永遠と一日」に出てくる偶然町で出会った見ず知らずの少年です。

ここで、「永遠と一日」という作品が出てきます。

病に侵された詩人の主人公が、警察に追われているアルバニア難民の少年を、自分の財産を投じて、命がけで助けます。

孔子の牛と基本的には同じです。

助けたいと思ったから、助ける。出来るのならば、難民すべてを救いたい。けれど、そんなことは現実的に無理だから、今目の前に居る少年だけでも助けたい。

では、なぜ助けたいと思ったのか。それは、この主人公が助けたいと思った人を助ける人間でありたいと自身のアイデンティティを決めたからです。

そういう人間でありたい。この少年を助けたいと思った自分を否定したくない。自己犠牲とも、欺瞞とも言えるのかもしれません。けれども、そんな自分の信念に基づいた一日を過ごせたのならば、「私は人を助けられる人間だったのだ」と生涯、誇れます。たった一日の出来事が、その人のアイデンティティを確立し、自信を持たせ、誇りをもって、それを書き留めることができる。他者に伝わればそれは伝説となり、永遠にもなりえるかもしれません。

けれど、そうなるにはまず、「こうしたいんだ!!」という情熱が湧かなければ、意味がない。

たとえそれに自己犠牲が伴おうとも、地獄の道であろうとも、その情熱を胸に人は行動に移していくんです。

逆転的に言うのならば、情熱がなければ何も行動に移せない。行動しているように見えても、それは強制的にさせられているだけです。

学校で、試験か課されない部分の、現代文や古文、漢文の教科書の単元を読みますか? また、読んだことのある人は、どれくらいいるでしょうか。

胸に手を当てて考えてみてください。要するに、そう言うことです(笑)

一人の少年の運命=アルバニア人全体の運命

だから「永遠と一日」では、主人公の男は危険を冒して一人のアルバニアの少年を助ける。どうしてかというと、一人の少年の運命は、アルバニア人全体の運命と同じだからです。そこから事は始まるということを、アンゲロプロスは言っている。

孔子の弟子たちならば、こういうでしょうね。

  • 「アルバニアの難民たち全員を助けられなければ、意味がない」
  • 「一人だけ助けたって、全体に対する影響などあるわけがない」

一見、正しく聞こえてきてしまいます。

けれど、これは理想論です。

理想論で人は動かない。なぜかと言うと、現実的ではないからです。

現実的なのは、目の前の生きた少年の存在です。

その一人を、全力で助けることが、全体に働きかけることに繋がっていく。

こういう時は、逆の状況を仮定して考えてみましょう。

多くの人を助けられる人。多くの人の心を動かすことのできる人は、どんな行動を起こすでしょうか?

これは文章指導をしていて思うのですが、多くの人に刺さる言葉や印象に残る文章を書くコツは、ただ一つです。誰か一人の心に刺さるように書く。ただ、それだけです。

そうすると、一人の心に届いた言葉に当てはまる人間が、何人も出てくる。ただ、それだけの事なのです。

多くの人の心を動かす人は、たった一人を全力で救う人です。

その人の行動を見て、周囲の人々は「この人だったら助けてくれるかもしれない」と希望を抱く。それが色んな人に伝わっていく。

人の心を動かすのは、何時だって現実的な行動しかないのです。

文学の目的=孔子の言葉=アンゲロプロスの共通点

文学の目的はそういうことがわかるためにあると思う。

孔子の言葉とアンゲロプロスの共通点は以下です。

全体を助けようと理想論を言い、何も行動しないのではなく、目の前に存在する、具体的な実在する存在を、情熱を持って、現実的な行動を起こして助ける、という事です。

目の前に存在する他者のことを必死に考え、社会情勢や状況などに振り回されずに、自分がやりたいこと。アイデンティティを確立していく、その術を文学は疑似的な人生を語ることで、教えてくれている。

逆に言うのならば、

文学作品の主人公たちがどう考え、何をしたいと思い、それを実行に移せたのは、社会常識や状況に振り回されずに、自分がどうしたいのか。どのような存在で生きたいのかを問い続け、それを考えるだけでなく、目の前の存在に対して動き続け、行動し続けたからである。その行動そのものが、彼らのアイデンティティを形成していく。

もし読者である君たちが、自己のアイデンティティを確立したのならば、それを文学から学び取れと、筆者は語っています。

文学とは、自分で考え、生きていくための意味を見出すもの、という定義に、ここでつながっていくのです。

まとめ

文学とは

  • 自ら考え生きていくことの意味を見出すもの=人生の意味・目的=自己のアイデンティティ
  • 主人公たちがアイデンティティを形成していくのは、目の前に存在する現実的な存在に働きかけ、行動し続けているから。
  • 一人の人間に働きかけることが、やがて全体へとつながっていく。(全体を動かしたかったら、個人に働きかけろ。まずはそこから)
  • それを文学から学び取れ。

この内容は続きの部分でも同じ内容が見た目を変えて語られます。

評論文ってどれだけ例示が多くとも、基本的には同じことしか語っていません。

見た目が変わっているだけです。なので、それを解っていると、冒頭で論旨を読み取れば、あとはただの確認になっていくだけです。

さて、その確認を続けましょう。

今日はここまで。

読んでいただいて、ありがとうございました。

続きはこちら

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