日本史上最大の怨霊の歌 ~和歌解説~


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出逢いと別れの季節、春。

受験も終わり、春休みもちょうど真ん中の四月一日。

この四月一日って、エイプリルフールでもあるし、これがそのまま苗字にもなる特別な読み方がある日付です。

ちなみに、四月一日で、「わたぬき」。

季節的に、温かくなって布団や羽織り物から綿を抜く時期だからという、季節的な由来を持つこの苗字。日付でもう一つ有名なのは、八月一日ですね。どう読むか、知ってますか? 興味がある人は調べてみると、きっと「へ~っ」って、皆から言われると思います(笑)(こういう無駄知識、大好きです)

そんな、心踊る春ですが、同時に出会いと別れの季節でも有ります。

新しい出会いをするために、一旦今の生活に別れを告げる。そうすることで、新たなものに出会えるチャンスに恵まれる。

新生活や新社会人、高校に入学したり、中学校、小学校に新たに通うことになるひとは、希望に満ちて、ワクワクしている時期ですよね。

けれど、同時に友達や家族と別れてしまう時期でもある。

そんな時期に読む和歌として、ぴったりのものがあるので、解説で挙げてみたいと思います。

【和歌は受験必須の知識】

大抵、高校生で古典の嫌いな子は、和歌を読むと、「げっ……」と、見事に顔をゆがめます。ええ、とっても(笑)

顔を歪めるのは、分からないから。理解不能だから。

「なんでこんな短い文なのに、解説とか意味とか、何でこんなに膨大になるのよ。意味わっっかんない!!」

まぁね。確かに、それは解るんですけどね。(笑)

日本人って、大事なことほど言葉を少なく表現することが、昔から得意なんですよね。

一つの言葉や、文で、色んな状況や色んな事を想像してしまう。

そんな性質や感性が、日本人には溢れていますよね。今でも、流行りの歌の歌詞って、そんなにつらつらと長くは有りません。

その短い歌詞で、君たちは色んなものをきっと受け取っているはず。色んな事を、連想する力があるはずです。だって、それを好きになったってことは、その言葉に何かしらの心が惹かれたということで、惹かれた心の原点は、君のなかに存在するのですから。

この和歌の理解が、受験で必須になっているのも、古文の知識や伝統的な和歌を残していこうとする趣旨があるからかもしれませんが、そんなことは横に置いておいても、理解できると千年前の人の気持ちを、少しだけ感じられるようになれます。

そして、和歌が人の心の何を歌っているかを理解し、感じておくことは、一見無駄に思えますが、今年のセンター試験問題で出題されています。

どうやら、受験で問われるのは、単純な知識的な部分では無く、情緒をどれだけ解することができるか。人の心をどれだけ読みとれるのか、という事も関わってくるのでしょう。

(参考⇒2018年度(平成30年度)センター本試験 国語 古文解説)

でも、そんな実質的なことを横に置いておいても、言葉って、凄いなぁ……と、和歌を読んでいると何時も思うんですよね。限られた言葉だからなのかもしれないけれど、一つ一つの言葉に、とてもエネルギーがある。

そして、馴染みのある和歌が一つでもあると、受験では心強いものです。偶に、面接で「好きな和歌は?」と聞いてくる大学もあるくらいですから、何か一つ。持っていてくれると、有利だし、何よりあなたの好きなものがひとつ。きっと、増えると思います。

教科書の堅苦しさは少し忘れて、別れの辛さを歌った歌をひとつ。読んでいきましょう。

 

【百人一首 77首】

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の 
われても末に 逢はむとぞ思ふ  崇徳院

-訳-

川の水の流れが余りにも早過ぎて、川の途中にある岩にせき止められた水の流れが、一時は二つに分かれてしまっても、それを通り過ぎれば又出逢う様に、私たちもまた、一時は別れたとしても、また再び会える日がくるはずだ。

大好きな和歌です。




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早すぎる川の流れ=時代の流れ、というように、たとえているこの和歌。

時の政治の流れに翻弄され、一時は敵対するようになってしまった相手に対し、けれどもお互いに別れてしまっても、憎らしいからそうなったわけではない。だから、時代がまた流れて、穏やかな時になったのならば、きっとまた、仲良く会える筈だと、未来に対する強い願望と、友と再び仲を戻したいという強い意志が見える、この和歌。

高校の文法的に言うのならば、逢はむの「む」が、意志の助動詞であるということが、とてもよく理解できる和歌です。

逢いたい。もう一度逢いたいと願っている、という意志がきちんと見える。

一覧表で文法を覚えるよりも、一つの和歌のイメージをきちんと作り、そこから派生する知識を添え付けて記憶する。その方が、脳は無限に新しい事を覚えてくれます。(参考(脳の無限性を解説した評論文)⇒可能無限 解説 その1)

-和歌の背景-

和歌に必要なのは、背景です。

大学受験の問題でも、和歌単体で出題されることは有りません。

その前後に必ず物語があり、状況や環境、話の流れが存在します。なので、この百人一首の和歌にも、背景がきちんとある。その知識を持っているか持っていないかで、この和歌の印象はがらりと変わります。

ああ、友達と別れちゃったのかな。それを川の流れにたとえたのかな。逢えたのかな? と、想像する人も居るでしょう。

百人一首の歌人たちは、その殆どが歴史の表舞台で活躍していた人達です。天智天皇、持統天皇、柿本人麻呂、紀貫之、紫式部、清少納言、西行法師、源実朝、そして、後白河院………

この「瀬を早み」の和歌を歌った崇徳院との、因縁の関係にある後白河院。実は、崇徳院の実の弟です。

この「瀬を早み」

恋の歌と解釈することもできますが、どうしても歴史的な状況を考えると、この後白河との因縁のことを歌っているような気がしてならないのです。

 

 

-日本史最大の怨霊と呼ばれる崇徳院-

この崇徳院。実は、日本史上、最大の怨霊なのではないか……とされている人なのですが、(他にも早良親王とか長屋王とか平将門とか様々居ますけれど、ここでは割愛で。いつか、取り上げたいです)、本人は和歌の内容が示す通り、とても優しく、穏やかな人だったと伝わっています。

えっ? 優しい人がなんで怨霊に????

と思うかもしれませんが、優しい人ほどキレると怖いって言いますよね。崇徳院はその典型です。

そして、付け加えるのならば、優しい人だからこそ、酷い仕打ちに堪えに耐え、耐え続けた結果。怨霊となってしまった。

崇徳院は、その生まれからして実の父に疑惑を持たれた人でした。本人の責任ではなく、問題が有ったのはひいじぃちゃんの白河院……

ちなみに、家系図的には、

白河院(曾祖父)ー堀河天皇(祖父)ー鳥羽院(父)ー崇徳院(兄)・後白河院(弟)

という構図。

話の元凶は、曾祖父のスケベじじい(げふん)白河院。

このおじいちゃん。孫の鳥羽院の奥さんが好きになってしまい、横取りをしようとした経緯があった為、崇徳院の父である鳥羽院は、ずっと自分の長男を、「もしかしたら、自分の子供では無いのかもしれない……彼は、白河院の子供なのでは……」と悩みに悩み、礼儀上はきちんと接していたけれど、やっぱり疑いは晴れず……

哀れ、崇徳院はお父さんに全く愛されず、ならば母親が愛してくれかといえばそうでも無く……

弟の後白河院はとても愛されるのを横目で見ながら、元凶の白河院はさっさと亡くなってしまってからが、更に地獄でした。

不遇の少年時代を過ごし、天皇から院となっても望んだ父からの愛情も、周囲からの信頼も得られずじまい。

自身の出世も、息子たちが帝位に付けられることもなく、全て弟の後白河院に鳥羽院の愛情は注がれていきます。

時代的にも平安末期のどたばたの時代です。武士が台頭し、権力を確立するために、あっちこっちで小競り合いが続いている。

崇徳はあまり政治力があったわけでも、強力なリーダーシップがあったわけでもないので、様々な人に利用され、結局どうすることも出来ないままに平治の乱に巻き込まれ、弟の後白河院と戦うことに。

結果は、平清盛と源義朝(頼朝のお父さん)を味方につけた弟の後白河にぼろ負け。そして、四国の讃岐に流されてしまうことになってしまいます。

けれど、そんな状態になっても、崇徳はとても礼儀正しく、恨みも見せず、「時代が悪かったのであろう」と、都の発展を願って、写経をしたためます。

この写経。

当時の流行りではあったのですが、書きあげるのにとても大変なもので、それを大量に書き続け、崇徳は都に送ります。

「割れても末に 逢はむんとぞ思ふ」の言葉通り、別れても、いつかは分かりあえるはずだと、願っていた。

けれど、その写経。

送られた後白河は、「気持ち悪い」と、そのまま送り返します。。。。。

蓋もあけず、手紙も読まず……

そして、我慢に我慢を続けた兄は、最後にキレた。

自分が何をした。私が何をしたと言うのだと、そこから穏やかだった崇徳は、髪も爪も一切切ることはなく、その指先を切り、滲みでた血で写経を死ぬまで続けたと言い伝えられています。

その呪いが、本当に怨念に成ったかどうかは分かりませんが、これは歴史の事実として、崇徳院亡き後。

後白河の味方をした平清盛は死に、一族は滅亡。後白河の血筋である後鳥羽院は、承久の乱で隠岐へ配流。更には、天皇家の支配が終わり、政治の中心は武士へと流れていきます。

更に、様々な経緯を経て、栄光を勝ち取ったとされる源義朝の血筋である源頼朝も、鎌倉幕府を開いた後。その血筋はたった三代で全て滅びてしまいます。

これだけ続いたら、まぁ……怨霊と言いたくなるのも、分かりますよね。

瀬を早み  岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ

再び会える日は訪れなかったけれど、それを願ってこの和歌を歌った崇徳の気持ちは、伝わってきます。

きっと、後白河のこと。羨ましくて、妬ましくて、でも、彼のせいでも無いのだから、恨みたくなくて。
それ以上に、このどうしようもないカラオケ(和歌の今様好きだった)好きの、遊び人の後白河のことが、好きだったんだろうなぁ。
そして、いつかは仲良くなりたいって、思ってたんだろうなぁ……

 

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

 

 

 


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