徒然草「花は盛りに」をわかりやすく解説その1~花見の仕方であなたの人格がばれる~ 

徒然草
Capri23auto / Pixabay

 

「花は盛りに」

徒然草の中でも、芸術論として傑作と言われているこの段。

「えーっ、芸術論??」

と大概芸術関係になると皆眉をひそめるのですが、芸術=わかりにくい、という印象が強いんでしょうね。

なので、今回は分かりづらいこの段を、出来る限り現代語で分かりやすく、解説していきます。

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【物を見る時の態度を教えてくれる段】

と言うよりも、本来この段は難しくもなんとも在りません。むしろ、芸術論として一級品ですし、内容的には現代で語ったとしても全く色あせない指摘です。

お花見の時期。そして、これから訪れる観光シーズンや、何かしらを見たいと思った時。それだけに限らず、人付き合いや恋愛まで。自分の態度を振りかえる時に、読み返したい内容となっています。

物事を楽しむやり方を指摘してくれる兼好法師の言葉は、時に「ぐさっっ!!」と胸を突き刺す鋭さがありますが、人間、分かったら直せるものです。

きっと、兼好さんが生きてたら、「インスタ映え」とか見ながら、おんなじようにこの文章書くんだろうなと、想像してしまうぐらい、ちょっと興味深い内容。

-ざっくり第1段落あらすじ-

要は、お花見とか、綺麗なものを見る時、「わー、綺麗!!」と、喜ぶだけならまだしも、自分ひとりだけで楽しもうと場所を必要以上に確保したり、他人の迷惑考えずに占領したり、じろじろ眺めまくったり、散ってたら、「ああ。もう価値ないね」と、見向きもしないような態度。取っていませんか? って事です。

では、見ていきましょう。

文法上は、敬語が少ない文章なので、動詞の判別や助動詞の勉強を中心に書いていきます。

満月は確かに美しいけれど、それだけを有難がるって、なんか違っていませんか?

【第1段落】

-第1文目-

花は盛りに、月はくまなきをのみみるものかは

(訳)
桜の花は満開だけを。月は曇ったところが何一つもなくはっきりと見える時だけを見るものなのだろうか。(いや、そうではない)

(文法)

のみ/  副助詞 意味は限定「~だけ」と強意「特に~」がある。今回は、限定の「~だけ」英語のonly

みる/ マ行上一段動詞「見る」の連体形

もの/ 体言

かは/ 係り結び助詞。疑問と反語。今回は、反語で取る。

動詞の判別の仕方が解らない!! と言う人は……

ズルして楽して過ぎ去るのもいいですが、自分で判別する力がつかずに後で困るのは、貴方ですからね。今のうちに、とっとと身につけてしまいましょう。身に付けた方が、楽です。その程度の知識ですから。

(解説)
満開になると、お花見って行きたくなりますよね。実際、今年もお花見をした人は多いんじゃないでしょうか。

けど、そこで待ったを掛けるのが、兼好さんです。

と言うよりも、兼好さんもそうですが、文章で大概残っている人って、「皆が何にも考えずそれをやっているけど、それってホントにいいことなの? 正しいの?」って、世間と真逆の意見を書き表した人たちの方が、残っているんですよね。

ここでのポイントは、「かは」

反語の係助詞です。疑問ではなく、反語です。

-読解ポイント 疑問と反語の違い-

古典は疑問と反語はほぼ見た目は変わりません。どちらも兼用している語が殆ど。なら、どうやって見分けるのか。

見分けるポイントは、とても簡単です。

それは、

その言葉を言っている、書いている、喋っている本人が、解答を知らないのならば、「疑問」

解答を知っているのならば、形だけの疑問で、「いいや、違う」と自分で否定しているわけだから、自分の中に答えは存在している形になる「反語」

随筆は、兼好さんが唯一人でだらだらと取り留めもないことを書いている文章です。だから、自分の知らないことを書くはずがない。なので、「反語」決定です。(と言うか、問題になるものって、殆ど反語ですよね。はっきり言って…(笑))

さて、何故、兼好さんはそんな世間と真っ向反対のことを言いだしたのか。

-第2文目-

雨に向かひて月を恋ひたれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

(訳)
雨が降っている夜に、見る事のできない月の姿を恋しいと思い、(理由があって)部屋に閉じこもり、春が過ぎ去ってしまうのを全く知らないでいるのも、やはりしみじみとして趣が深いものだ。

(文法)
むかひ/ ハ行四段「向かふ」の連用形(「て」の上は必ず連用形)

恋ひ/ ハ行上二段「恋ふ」の連用形(「恋はず」、とはなりません。要注意。正しくは、「恋ひず」)

たれこめ/ マ行下二段「たれこむ」の連用形(「て」の上で連用形⇒め(e段)なので、下二確定)

しら/ぬ ラ行四段「知る」の未然形+打ち消しの助動詞「ず」の連体形

それぞれ、要注意のポイントを書いておきました。判別のヒントとして、参考にしてください。良く間違えるポイントです。

(解説)
雨で月が見えない時でも、「見えたらいいなぁ」と思うこと。

何か理由があって(古典の場合は、おもに物忌み期間(閉じこもらなきゃいけない縁起の悪い時期))春の間、全く外に出れなかったんだけど、その間に春が過ぎ去っていて、「ああ、勿体ないことした!!」と気付いた瞬間が、とても良い、と言っています。

「はぁっ?? 何で???」と思うかもしれません。月の例示はまだ分かるけど、春の例示は勿体ないこと極まりないじゃん! と思うかもしれません。

けれど、見えない。体験できない。できなかった、と残念に思う気持ちは、それだけ、自分が好きだと言う気持ちの裏返しだと、兼好さんは言いたいわけです。

月が見えない時に、「見たいなぁ」と思える人は、月がとても大好きな人。
春が過ぎ去ってしまったことを残念に思える人は、「春が大好き」な人。

だから、それを味わえない事を残念だと思う気持ちそのものが、好きにならなければ味わえないものだから、「いいな」と兼好さんは言っているわけです。

逆に、「ああ、こんなに好きだったんだな」って、分かる切っ掛けにもなるから、残念とか寂しい気持ちも、自分の価値観が解っていいよね、と。

これって色んなところに応用可能な考え方ですよね。

新学期とか、新社会人とか、色々頑張っている人が多い春と言うこの時期。

へこむ事って沢山あるし、上手くいかないし、頑張ってもテストの成績散々だし、ってことは山ほどある。

けど、それで「あ~あ……」って思うって事は、結局、どう考えていようとも、「それが欲しい」「それが大事だ」ってことの裏返しなんですよね。

だから、「残念だ」「勿体ない」「あ~あ」って思っちゃう事って、「それだけ自分はこれが好きなんだな」と言う気持ちが違う形で見える瞬間なんですよ。

だからこそ、「趣深い」と、一言の許に言ってのける兼好さん。深いです(笑)

-第3文目-

咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ

(訳)
満開に咲き誇っている桜よりも、今にも咲きそうな桜の梢や、逆に満開をもう過ぎ去ってしまって、散り萎れてしまった庭などの方が、見どころが多いものだ。

(文法)

咲き/ カ行四段「咲く」の連用形

ぬ/ 強意の助動詞「ぬ」の終止形(確述用法)

べき/ 推量の助動詞「べし」の連体形(確述用法)

※確述用法※
「つべし」「めべし」など、強意の助動詞「つ」「ぬ」と連続する「べし」は、推量の意味となり、「きっと~だろう」「今にも~しそうだ」等の意となる用法のこと。

散りしをれ/ ラ行下二段「散りしをれる」の連用形

たる/ 完了の助動詞「たり」の連体形

こそ/ 係助詞 (強意 結びは已然形)

多けれ/ 形容詞ク活用「多し」の已然形(係助詞「こそ」の結び)

形容詞の判別は、動詞に慣れてしまうと思い浮かびにくいものです。変だな~と思ったら、「~し」の接続を基本形で試してみるのも一つの手段です。
この、変だな~という感覚も、自分で判別しようと思わなければ形成されません。間違えるのにも、感覚を養うためには必要なので、考えてみてください。
当たるばかりがいいことではありません。間違えて、訂正できる力を養うと、試験で力となってくれます。

(解説)
2文目の内容が解ってると、3文目の理解がとても楽。

なので、疑問に思ったところはガンガン質問してください。こういうところで分かったふりはしない。

「ああ、もうすぐ咲くなぁ」
「ああ、もう終わっちゃったなぁ」

好きな物の、良い時期を待って、わくわくする気持ち。

逆に、盛りを過ぎ去ってしまって、名残惜しいけど、その残念さは好きであることの強さの証であり、好きだからこそ味わえるもの。

両方とも、前提にあるのは、その物事を「好きだ」という気持ちです。

その気持ちがあるからこそ、花は満開を見たいと願うし、それを逃すと残念だなと思う。月もくっきりと姿を見たいのは、その美しい姿を見たいから。だからこそ、見れない時も、「見たいな」という気持ちが強まってくる。

月なんかどうでも良い人は、そもそも月が存在している事すら気にかけないし、花も同じです。

それを残念がる心は、好きであることの証拠だから、趣深いと言っているのです。

-第4文目-

歌の詞書にも「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、「さはることあり、まからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へる劣れることかは

(訳)
和歌の詞書にも、「花見に行ったのですが、考えているよりも早く散ってしまっていたので、それを歌にしました。」とか、「都合の悪いことがあって、花見に行くことができず、家にいた気持ちを歌に詠みました。」といったように書いてあるのは、「花を見て歌を詠みました。」と言っている歌より、情緒が劣っていることがあろうか、いやそんなはずはあり得ない。

(文法)
まかれ/ ラ行四段「まかる」の已然形

り/ 完了の助動詞「り」の連用形(※さみしいの「り」完了)

ける/ 過去の助動詞「けり」の連体形

※さみしい「り」かちゃん
さみ⇒サ変の未然形
しい⇒四段の已然形
「り」⇒助動詞「り」
か⇒完了の意味

一連の特殊形を全部繋げると、「さみしい」となるので、それに「りか」ちゃんとつけて、「り」は完了の意味合いになるよ、とまとめて言っています。

受験必須の文法です。

あり/ ラ変「あり」の連用形

言へ/ ハ行四段已然形

る/ 完了の助動詞「り」の連体形(※さみしいの「り」)

劣れ/ ラ行四段「劣る」の已然形

る/ 完了の助動詞「り」の連体形(※さみしいの「り」)

かは/ 係助詞 反語

(解説)
はい。文法が、もう三回連続「さみしい」の「り」!!

こんだけ出てきたら、もうお腹いっぱいですよね(笑)そう。この段って、「さみしい」の「り」を練習させるのに、とっても良い段なんです。なので、ここが試験課題に出たら、もう「さみしい」は必ずと言って良いほど出ます。と言うか、ここ出さないで、どこ出すの? ぐらいの勢いなので(笑)

で、内容は、兼好法師お得意の比較です。対比と言ってもいい。

和歌の詞書。つまり、「こんな雰囲気の時とか、こんな状態の時に詠みましたよ~」という、説明のようなものです。

今でも、流行歌や人気の歌なんかでも、「別れの時に歌う歌と言えば」とか、「卒業ソング」とか「恋愛の歌」なんていう、ちょっとしたキャッチコピーみたいなものがつきますよね。それと詞書って同じ事です。

で、その和歌の出来不出来。要するに、良い和歌か、駄目な和歌か、なんて、条件に左右なんかされないよね。「花を見て」歌った歌でも駄目なやつはあるし、逆に、「物忌みでいけなかったんだ……」と、溜め息吐きながら詠んだ歌でも、「ああ、分かる。その気持ち……」と納得できる素晴らしいものがある。

だから、見たか見ないか、なんていうのは、どっちだっていい。そんなものに、左右はされない。大事なのは、そのいけなかった。見れなかった、と言う時に感じる、人の気持ちそのものなんだと、言いたいわけです。

-第5文目-

花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことかたくななる人、「この枝、かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。

(訳)
花が散ってしまう姿や、月が西の空に傾いていく様子を、名残惜しく感じてしまう風潮はもっともなことであるけれども、特に教養のない人ほど「この枝も、あの枝も、散ってしまった。今はもう、見るところなんか何一つない。」などと、言ってしまうようだ。

(文法)

さることの「さる」 これは、とても要注意文法です。

さる/ 「さ」+「あり」=さり ラ行変格活用「さり」の連体形

へ?? と、これを説明するたびに生徒の目が開くのですが、ラ変って、「あり、居り、侍り、いますがり」の四語だけ、のはず……なのですが、複合ラ変動詞、というものがありまして……(笑)

他にも、
「かく」+「あり」=かかり
「しか」+「あり」=しかり
があります。両方ともラ変です。

ぞ/ 係助詞 強意 (結びは連体形)

は/ 係助詞 強意 (結びは通常終止形)
(※ 係助詞「は」は、係り結びにおいて特別な決まりはない)

言ふ/ ハ行四段「言ふ」の終止形。

める/ 推定の助動詞「めり」の連体形。(「ぞ」の結び)

「めり」は、推定です。

推量⇒証拠・根拠がない勝手な想像。
推定⇒証拠・根拠がある状態での想像。

の違いがあることも、チェックしておきましょう。

例えば、

写真を見て、美味しそうだと思う⇒推量。見た目と味は、関連性が薄い。根拠、証拠にならない。
お店に行き、美味しそうな匂いが漂っているから、このお店の料理は美味しいと思う⇒推定。匂いが証拠。

の違い、と言うことです。

(解説)

もちろん、花が散ってしまったり、月が西の空に沈んで見えなくなってしまう状態を惜しむ気持ちは、理解できるとフォローしています。

けど、「あーあ、見るとこ何にもないじゃん。つまんない!!」としてしまう人は、場所がつまらないのではなく、その場所を面白いと感じる事のできない貴方自身に問題がありますよね。そういう人のことを、教養がないって言うんですよねと、にっこり笑顔で兼好さんが語っている姿が想像できるですよね、これを読むと。(ああ、怖い・・・)

「見るところがない!!」とわめいている人は、自分で自分のことを、「私は教養がない、要するに馬鹿な人間で―す!!」って、大声で宣伝しているようなものだと言うことに、気がついてくださいね、と。

だからこそ、推量の「べし」ではなく、推定の「めり」を使っているんです。

「散ってしまったら、桜なんか見るところないじゃないか」

この発言が、教養のないことの証拠。別段、何かを愛おしんでいる気持ちは全くない、風流の欠片もない人だと、確定になってしまっている。

だから、証拠のない推量ではなく、証拠がばっちりある推定の助動詞「めり」を使っているんですね。

 

兼好さん、地味に酷い・・というか、容赦ない(笑)

続きは明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

続きはこちら

コメント

  1. ken より:

    第五文目の解説で,
    「は/ 係助詞 強意 (結びは連体形)」
    とあり,たしかに文末は「言ふめる」と連体形になっているのですが,
    これは「この枝,……」の前「かたくなる人ぞ」の「ぞ」の結びであるとも考えることはできますか?

    • 文LABO 文LABO より:

      ken 様
      ご質問、ありがとうございます。
      ご指摘、感謝いたします。自分の勘違いとミスを発見できました。
      記事を訂正いたしましたので、参考になれば幸いです。

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