小説読解法 中島敦「山月記」解説 その1~主人公を嫌な人間にする理由~

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今回から、中島敦の「山月記」を解説します。

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センター試験や、模試で実力を発揮するために、じっくり解説を読んで、小説の読解を理解したいという人は、↓へどうぞ。

孤独の象徴。夜の闇の中で、月以上に明るいものはない

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【「山月記」について】

-何故人気が高いか-

高校生の授業を担当していると、三年間で一番心に残った小説は何かという質問に、皆口をそろえて、この「山月記」を挙げます。

人が虎になってしまうという「人虎伝」から、作者中島敦が着想を得、人が発狂して虎になってしまうというファンタジー要素が入っているお話なのですが、その実、人間の脆さや弱さ。そして、人の心を動かすには何が必要なのかを鋭く指摘している、名作です。

とくに解説をせずとも

「何となくこの話は、引っかかる」

「面白い」

「文は難しいけど、惹かれる」

という子達が多く、解説をし終わった後だと、例外なく少し面白い現象が起こる小説でもあります。

-読者に嫌われる主人公-

この小説。主人公は李徴(りちょう)という若者なのですが、最初に読むとき。高校生たちはこの李徴を嫌います。

「嫌な奴だなぁ」

 

「友達になりたくない」

 

「不幸になって、当たり前じゃない?」

ぐらいに思う程度には、冒頭はかなり最低な描かれ方をしています。

けれど、読み終わり、解説を受け終わった後は不思議なことに、この李徴を嫌いに成りきれなくなってしまうのです。

-小説は、主人公の変化を見抜く物語-

文学作品はこの傾向が多く見受けられるのですが、主人公が冒頭のままに最後の結末まで過ごすことは殆どありません。

何かしらの出来事が話の中で起こり、それを乗り越えるよう足掻く姿や、乗り越えて何かを手に入れたり、もしくは失敗して失ったり。

そんな「変化」が主人公に訪れて、何かが変わっていく。

それが、良いことに向く時もあれば、破滅へと向かってしまうもの。もう後戻りが出来なくなってしまう時も、あります。

問題になる時も、この変化を説明せよと問われるものが殆どです。この根幹を理解すると、小説の読み方が解ってきます。

-主人公の何が変化するのかを掴む-

「嫌な奴」が「嫌な奴」で終わってしまったら、それは小説になりません。

何故、彼は「嫌な奴」なのか。李徴の何が私たちを苛立たせるのか。

このお話は後半になると、李徴自身の口から、「何故、自分が発狂して虎になってしまったのか」の原因を追及・分析するシーンがあります。

表面上に見えている部分と、その見えない内面が乖離していることは、ままあること。私たちは自分が思うほど強い存在ではなく、強そうに見える人間にも、弱さや脆さを抱えています。

その弱さや脆さに、李徴自身が気づいていく過程を描くために、最初は「優秀だけれども、最低な奴」という人間像がエピソードとともに描かれています。

-嫌な奴から、理解できる人間に変化する読解-

中島敦は、李徴を冒頭で嫌な人間にする必要がありました。

何故ならば、周囲から嫌われている人間が、心の奥底で何を考えているのか。不器用なその心の内。表面に見えている部分とは、心の中では全く真逆の心の動きがある。それを表現するために、彼を冒頭で嫌な人間にする必要があったのです。

そのために、元ネタとなった漢文には書かれていない彼の性格を、詳細に中島敦は描いています。

嫌な奴だと周囲に思われている人間は、そう振舞うことしかできない理由があった。

要するに、小説は、冒頭。

主人公が相当に嫌な人間であったのならば、後半はそれを反省し良い人に。
前半が良い人間・普通の特徴のない人であったなら、後半は悪いことを行ってしまう人に。

その変化が大抵、描かれています。
違うのは娯楽作品ですね。娯楽系・大衆小説は最初から最後まで主人公は大概良い人です。けど、文学作品は違う。別物として認識してください。

大概最低な人間像が描かれていたら、読み進めるにつれて心の鎧がとれ、彼の弱みや脆さが見えてきて、感情移入してしまうような場面が待っているはずです。

その段階を、小説の部分を取り上げながら、数回に分けて解説していきます。

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-普遍的に嫌われる李徴の人間像-

さて、私たちが「こいつ……嫌な奴だな……」と思う人間とは、どんな人物像でしょうか?

偉そうな人間? それとも、怒鳴り散らすような人間でしょうか? 感情のコントロールが効かず、絶えずイライラして人に当たり散らし、人を見下して自分のストレスを解消するような人間。

「山月記」李徴の性格は、まさに人から嫌われる人間そのものを凝縮したような存在です。

李徴は博学才頴。つまり、超天才です。勉強が良く出来、そして容姿も豊頬の美少年、とまで表記されるほど素晴らしいものでした。

今風に言うのならば、めちゃくちゃカッコ良いイケメンで、秀才。東大を首席で入学し、入試はすべて満点。テストというテストに負けたことはなく、むろん出世も思いのままの、超難関な国家試験。科挙に合格を果たします。

けれど、彼には大きな欠点がありました。

それは、人づきあいが、とても下手だったのです。

人前で喋ることが出来ないわけではありません。性格は大人しい、物穏やかな人物ではなく、むしろ逆でした。性格は激しく、好き嫌いをはっきりと表に出し、正論を振りかざす。かたくなで、人と交わろうとせず、自分と同レベルの人間などいない。そんなものは存在しないと思うぐらい、自分の能力が優れていることに自負を持っていました。

だからこそ、周囲と交わることをしなかったのです。

周囲を見下し、絶対の自信が自分にあり、また誰もが出来ない事を次々と達成していったことも、長い目で見れば李徴にとって禍になったのでしょう。

彼の自信は異様に高くなり、そうして、「お前らには出来ない事をやってやる!」と、役人として出世街道を目指すのではなく、仕事を辞め、山奥にこもって詩作に耽るようになります。

何もかもが上手くいった自分だからこそ、ただの役人で終わるのではなく、100年以上も名を残すような詩人になる。いや、ならなければならないと、詩を作ってばかりいるのですが、一向に成果は出ません。

そうして、ここから李徴の転落人生が始まります。

-段々と追い詰められていく李徴-

まず、詩が全くと言っていいほど評判になりませんでした。要するに、李徴の作った詩は人気が出なかったのです。そうこうするうちに、日々の生活が苦しくなっていき、李徴は人生で初めて挫折を味わいます。

おそらく、ここまでお金に困った経験は、李徴にはないはずです。高位の役人として働いていたわけですから、お金がなくなる経験は体験したことが無く、そうして本当にお金がないこと。生活が苦しくなる、ということがどういうことなのかを、李徴は初めて知っていくことになるのです。

一人ならば自分で選んだ人生ですから、責任も自分ひとりでとれば済みます。けれど、李徴には妻と子供がいました。

だから、二人を餓死させてはならないと、詩を諦めてまた役人になります。

ここで、李徴は二つの大きな挫折をしています。

一つ目は、詩作を諦めたこと。おそらく、全く売れなかったのでしょう。そして、誰も自分の作品を読んでくれない現実に、絶望したからこそ、詩を書くのを彼はやめてしまいました。

二つ目は、また再び役人になったということです。自分でやめた職に、また就かねばならない屈辱。けれども、古代中国の世界では、科挙試験に受かった人間の権力は絶大です。けれど、若い時とは違い、中央勤務ではなく、一地方の公務員、官吏の役割をまかされます。体の良い左遷です。

更には、ここでも李徴を不幸が襲いました。

自分が詩作するために山にこもっていた時間。自分が見下していた人間たちが、身分がはるか上の方です。もちろん、李徴もそれに従わなくてはならない。

詩人になるという夢を打ち砕かれ、食べるのに困って働き始めたら、どう考えても自分より無能な人間の言うことを、上司命令として聞かなければならない状況です。

彼は、どんどん病んでいきます。病んで、顔の表情などげっそりとやせ衰えているのに、瞳だけは爛々と光り輝いているのです。

そんな人間の周囲は、どうなるでしょうか?

こうやって問いかけると、生徒はみな、「誰も近寄りたくない」と答えます。

李徴が傍にいたとしても、自分から声をかける人は少ないでしょう。

「こんなことも知らないのか?」

と侮蔑の視線を投げかけてくる彼の視線に耐えられない自信があります。

その彼が、とうとう日々の屈辱と、更には自分が望んできたことが叶わなかったとうたった一度の挫折で、ある夜発狂して山へと飛び出して行ったのです。

発狂しても、仕方がない。
これは自業自得の面もあったのでは……
性格が悪すぎたのでは……

と、色んな原因を考えてしまいます。けれど、よくよく考えてみてください。

嫌な性格の奴を嫌な奴だと決めつけるのは、とっても簡単です。けれど、そこから一歩踏み込んで、考えてみましょう。

どうして彼は、そんな振舞いしか出来なかったのてじょうか

(参考⇒現代文は、人からの説明を待つのではなく、自分で能動的に「何故、こうなったのか」ということを考えられる人が、点数を延ばしていきます。)

【今日のまとめ】

-小説主人公の性格設定-

小説は、様々な物事に出会い、変化する人間の心理や行動を描くもの。

なので、全体を通して、

嫌な奴⇒理解できる、同情できる人に
良い人、普通の特徴のない人間⇒悪行を働いてしまう人に

という変化が必ず有ることを、認識しておく。

-人間であった李徴の特徴-

・頭は優秀。
・容姿も素晴らしい。
・何もかもが優れていた故に、周囲を見下す傾向がある。
・全ての物事が、自分の思い通りになると思っている。

これらが全て、真逆に働いていきます。

・頭、容姿が優れているからこそ、転落がより一層はっきりと浮き上がる。
・周囲を見下していたので、壁にぶち当たった時に相談できる相手が居ない。
・全て思い通りになってきたが故に、困難の乗り越え方を知らない。学べていない。

これらすべてが、虎になる原因と直結していきます。

-何故そのような振舞いをしていたのかを考える-

何故、主人公が物語の中でそのような態度を取ってしまうのか。

その行動の背後に隠されている心理や、心の動きを推測し、予想することが、小説を読む上ではとても大事な行動になります。

何故、李徴は周囲の人々を見下していったのか。
どうして、プライド高く、威張っていたのか。

「嫌な奴だったから」ではなく、背後に明確な理由があるから、そう振舞っているのです。

それを予測し、考える。

人に説明されたことを理解するよりも、自分で能動的に考えてみることが、より早く点数に繋がっていきます。

李徴の行動の裏に隠された理由を、探っていきましょう。

では。この続きはまた明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

つづきはこちら

コメント

  1. 向野正弘 より:

    向野正弘/鈴木正弘と申します。私はだいぶ前に「人虎伝」について調べたことがあります。最近、中島敦をやろうと思い、山月記のことなど、眺めてます。「山月記」に興味を持っている方は袁傪について余り感心をもたない。当たり前のことなのです。実は袁傪は実在の人物なのです(中島敦も知らないことですが)。私は

    鈴木正弘「「人虎伝」の史的背景」(『異文化交流』14、1993)「袁傪の妻―「人虎伝」の史的背景理解のための一資料―」(『異文化交流』24、1995)

    などを書きました。小誌のために、知られていませんが、やっていて面白かったです。それでは李徴は実在の人物なのか?残念ながらわかりませんでした。

    • 文LABO 文LABO より:

      コメントありがとうございます。
      袁傪が実在の人物というのは、初めて知りました。教えていただいてありがとうございます。
      確かに、袁傪はお話しの聞き役としての役目があり、李徴が唯一心を開いた相手、としか表記が
      ありませんでした。盲点でした。

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