夏目漱石「こころ」19〜Kの自殺・後篇〜


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「こころ」解説その19。Kの自殺の詳細を解説していきます。

そして、遺体の第一発見者となった「先生」の心の動き。何を思い、どんな思惑で行動をしたのか。

人は、とっさの時にその本性があらわになると言います。

先生の本性はどうであったのか。彼にとって、本当に大切なものは何だったのか。それが明らかになるシーンを読んでいきましょう。

【いつもと違った枕の位置】

本当に自殺をしてしまう人は、何の前触れもなく、突然死んでしまう、ということをよく聞きます。「死にたい」なとど口にしない。何時もどおり変わったところはなく、誰も予期などしていない状態で自殺をしてしまう。

Kもそうでした。誰も、彼がそこまで思いつめていたなどと気が付かなかった。気が付かせなかった。

いつも東枕で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かもしれません。(本文より)

今はベッドで寝る事が多い現代人ですが、時代は明治。布団で眠るのが通常です。なので、寝る前に部屋を片付け、布団を押し入れから出して畳の上に敷くのですが、大体毎回同じ方向に敷くのが習慣性の強い人間という動物です。

この東枕というのは、Kの部屋との仕切りに対し、足を向けて眠る敷き方です。

それが西枕ということは、Kの部屋の仕切りに近い場所に、頭があったということ。

恐らく、Kの様子を気にしていた先生は、知らず知らずのうちに彼の様子を探ろうと神経をとがらしていたのでしょう。だからこそ、彼に何かしらの動きがあったらすぐ気が付けるように、眠っている時も気付きやすいように、姿勢を変えた。

それが皮肉な形で功を奏します。

【先生に背を向けて突っ伏しているK】

私は枕元から吹き込む寒い風でふと目を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室との仕切りの襖が、この間の晩と同じくらい開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。(本文より)

この間の晩。つまり、Kが夜中に話しかけてきた時の晩です。二尺=60センチほど、襖が開いていた。(参照⇒小説読解 夏目漱石「こころ」13〜深夜の問いかけ〜)

不思議な符合です。

夜中。Kとの部屋の間の襖が開いている。

なんとなく、何かに導かれるように体を起こし、先生はKの部屋を覗き込むと、Kは布団の上で先生の部屋に背を向けて突っ伏していた。つまり、向こう側に頭が倒れていました。

何だろうと、この前のことを思いだして、先生は「おい」と呼びかけます。夜遅くまで起きている事が常だったKは、それだけで大概返事をした。けれど、今回は返事がありません。

私はすぐに起き上って、敷居際まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗いランプの光で見回しました。(本文より)

そして、彼が死んでいる事を確認します。

それが疾風のごとく私を通過した後で、私はまたああしまったと思いました。もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。そうして私はがたがたと震えだしたのです。(本文より)

彼の死に気が付いた時、先生は衝撃に震え出します。取り返しがつかない事だと。

そして、注意深く読むと、とっさの時に彼が何を考えているかが、この表現からもよくわかります。

友が亡くなってしまった悲しみでは、ありません。

先生の心の中を占めるのは、自分が失敗をしてしまったこと。そして、自分の将来が暗い光に覆われたこと、です。

Kの命では、ありません。

【自己保身に走る先生】

それでも私はついに私を忘れることができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に目をつけました。(本文より)

私が私を忘れる事は出来なかった。

これは、先生が自分の利益を守り、自己保身に走るエゴを捨て去ることは、Kの死であってもできなかった。友が亡くなってしまった悲しみよりも、その死の責任が自分にあるということを糾弾されないかどうかが、頭の中を占めたのです。




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とっさの時に、人の本性が現れる。

つまり、この先生の本性は、自分だけが可愛い、自分が何より第一である、自己中心的人物である、ということです。その本心を良心と偽善で包み隠し、善良な人間であると見せかけていた。

その本性が、仮面を壊しておもてに出てきたのです。

机の上には、Kの遺書が置いてありました。そして、先生はそれを慌てて開き、中身を確認します。

私は私にとってどんなにつらい文句がその中に書き連ねてあるんだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの目に触れたら、どんなに軽蔑されるかもしれないという恐怖があったのです。(本文より)

友が死んだ瞬間も、自身が軽蔑されることを一番に考えていることが、この表現からもよく伝わってきます。

私はちょっと目を通しただけで、まず助かったと思いました。(本文より)

助かった、と言うことはどういうことなのか。

それは、自分の罪。Kの本心を知りつつもそれに対して誠実な態度で受け止める事をせず、それを上手く利用して時間を稼ぎ、その間にお嬢さんとの結婚の話を勧めてしまったという、卑怯であり、Kの信頼を裏切った自身の行動を、これで誰にも知られることなく済む。罰せられずに済む、ということです。

最低だと、この先生を罵ることは簡単です。けれど、よく考えてください。この先生というキャラクター。そんなに悪の限りを尽くしているような人物でしょうか?

むしろ、どこにでもいる、普通の存在です。私や、あなたと変わる所など、殆どありません。優秀な友達の才能を羨み、嫉妬し、けれどもその中で頑張り、更に恋をして、その人を誰よりも望んでいた。失敗するのが嫌で、自分の恥を曝け出す事が出来ない、普通の人です。

そんな普通な人が、最悪な、最低な振舞いを、環境さえ整ってしまえば行ってしまう。

その残酷な現実を、漱石は克明に描き出しています。

【Kの遺書の内容と意志薄弱】

手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は意志薄弱でとうてい行く先の望みがないから、自殺するというだけなのです。(本文より)

さて、Kの遺書の内容です。

彼が意志薄弱とはどういったことなのか。

Kの性格を考えてみましよう。

彼は真理の探究者であり、お坊さんよりもお坊さんらしい生活をしながら、精進という言葉に添うように、一心に学問に邁進した人です。

そして、猪突猛進タイプであり、一つのことを突き詰めて行う人でした。それ以外のものは、全て邪魔だったのです。また、そう生きると彼は決めていた。だから、先生の目の前で「友など一人もいない」と平然と口にしたのは、道を究めるためには、友の存在が不要だったからです。

けれどもその真理の追求を邪魔する存在が、現れました。

そう。お嬢さんです。

お嬢さんへの恋心が、彼の生き方そのものを揺らがした。一度決めたことは、曲げない覚悟を持って生きているKです。

だからこそ、違うことが頭の中に入ってきた。制御できない感情を抱えてしまった。それは、彼にとってはあまりにも見過ごせないことでした。あり得ない事でした。

一度決めたことを、貫き通す事が出来ない。真理の追究以外のことに興味を持ってはならなかったのに、興味を持ってしまった。彼にとっては、それだけで意志薄弱なのです。

一生、学問以外のことを考える事はないと決めた。その自分の誓いを守れそうになかった。だから、こんな自分に生きている価値はない。

そう、彼の遺書は告げているのです。

必要なことはみんな一口ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐにKがわざと回避したのだということに気が付きました。(本文より)

敢えて書かない事で、その存在が浮き彫りになる。排除したことによって、彼が何を一番書きたかったのかが、書かれていないからこそ明確に伝わってくる。

少なくとも、先生はそう受け止めたのでしょう。

【Kの覚悟】

ここで、おさらいです。

参照⇒小説読解 夏目漱石「こころ」12 〜先生の卑怯な行為とKの覚悟〜

上野の散歩のシーンでの最後のKの言葉。「覚悟なら、ないこともない」という台詞。

これは一体、何の覚悟だったのか。

しかし私の最も痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。(本文より)

これは、Kの本音のように思えます。

つまり、彼の言った覚悟は、何に対しての覚悟だったかと言うと、自分の決めた道を外れてしまったのならば、死ぬ覚悟で学問に望む、ことです。

恐ろしいまでの、覚悟。そして、自分の決めたことに対して、猪突猛進に、誰が反対しようがお構いなく進み続けるKです。だからこそ、己で決めた道を外れた瞬間、自分で自分が許せなくなった。どうしても、許せなかった。

上野の散歩の時に先生に言った覚悟は、「死ぬ覚悟」であったことが、ここから推測できます。

【Kの死すら利用する先生】

私は震える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆の目につくように、元とおり机の上に置きました。(本文より)

さて、Kの遺書を読み終わった先生は、読んでいないふりを装います。そして、最初にこの遺書を読むのは自分ではない人の方が良いと、判断しました。だから、奥さんに見つけてもらいやすいように、読んだことが解らないようにして、机の上に置いたのです。

何故、そんなことをしたのか。

とっさの時に、人は本性が出る、と何度も書きました。先生が大事なのは、自分の立場です。

そして、この状況すら、自分の価値を高めるために利用しようとした。

Kの死に際し、真っ先に遺書を確認する行動は、とても冷静な行動です。人の死に際して。特に、友達の死に際して、そんな冷静な行動を知るのは、何か知られたくない事情があるのかもしれないと、不信感を抱かれかねない。

そんな不安を、一ミリでも残しておきたくなかった。

そして、この遺書の内容は、一人ではなく、誰かと一緒に読んだ方が良い内容であり、自分の立場を危うくするものではないからこそ、むしろ進んで奥さんに読んでほしいと思ったからこそ、机の上に戻したのです。

きっと、ほんの少しでもKが先生を責める内容のことを遺書に書いていたとしたならば……先生はそれを机の上に置こうとはせず、自分の懐に収めて、遺書など何もなかったように振舞うでしょう。

だからこそ、Kの遺体ではなく、机に彼の視線が向いたのです。

友達の生死の確認ではなく、真っ先に自分の保身の確保に走ったのです。

【テスト的な解説終了】

さて、テストで出題されるところを中心的に、且つ、学校が好む解説を中心に、説明してきました。

虚構の世界の小説という、仮の舞台で、克明に描き出される醜悪な人間の姿。

人は、どんなに自分で善良だと思い込んでいたとしても、状況や環境、利害のぶつかりなどが起こってしまうと、簡単に道を踏み外してしまう。そんな、制御不可能な「こころ」を身のうちに抱えているのだと、漱石は表してくれています。

先生が最後の最後まで守り抜いたものは、自分でした。自分を守るために、エゴに振り回され、善良でありたいと願う思いが欲望に負け、醜く、醜悪な行動を繰り返し、最後は友人の死ですら「助かった」と思うようにまでなってしまう。

まるで、階段を転げ落ちるように、泥沼にはまっていく先生の姿は、読解が進めば進むほど、気分が重くなるものでもあります。

そして、テストではこの先生の心情を中心として問題が問われますので、そこを押さえて記述の練習をしてください。

 

そして、明日からは……試験に問われることはありませんが、「こころ」の読解はまだ続きます。小説の表現を追うのではなく、この小説が、漱石が描き出した明治時代から現代にわたって、多種多様な読解がされていること。また、どうしてそんな読解がされているのか。謎多き、「こころ」の解説を進めていきます。

この通り一遍の読み方で満足するには、謎が多すぎるんですよね。この「こころ」

そんな謎めいた世界の読解に、一歩踏み込んでみましょう。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 


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