こんにちは、文LABOの松村瞳です。
今回は、その文章の簡潔さ、そして描写の正確さから、「小説の神様」とまで評された志賀直哉の作品。「城の崎にて」の解説を取り上げます。
【日々の平凡さを描き出そうとした、天才】
この「城の崎にて」
高校1年生の授業で読む人が多いと思いますが、小説、と言うよりは、一人の青年が生死の境をさまよう体験をし、その後「人の死」というものに対して再度考え直す、という思考の過程を書き表したもの、とも言えます。
何か物的な証拠を根拠とした論文、というわけではなく、さりとて架空の世界観の中で、明確な物語があるというわけでもない。
静かな、淡々と、まるで日々の毎日の時間の流れのように、平易な文章で書かれているこの小説。生徒に解説をする時も、「良く解らない」という質問をされる小説、第一位と言っても良いほどに、彼らの心に刻まれるものは少ないようです。
それも当然で、この志賀直哉という小説家は、徹底的なリアリズムを追及していました。殊更わざとらしく取り上げることも無く、特別な何か大きな事件が起こることも無く、作られた、作為的なものではなく、日々の人間の思考は淡々として、起伏も無くて、激しい波の渦中にいたとしても、本人の意識はむしろ感動的なドラマティックなものではなく、むしろ淡々としている物だという意識で、志賀直哉の小説は色取られています。
この、作為的でない。つまり、私たちが日々使っている言葉を当たり前のように同じように使っていることが、逆に言うととてつもなく凄いことなのだと、当時活躍していた他の小説家は志賀直哉を絶賛していたのです。
どうしても、人前に出てしまうと普段の自分ではいられないのが、人間と言うものです。文章を指導しているからか、私自身も本当にそうだなと思うのですが、自分を飾ってしまう傾向があるのです。違う人間を演ずる、とまではいきませんが、ほんの少し良い自分を見せようとしてしまう。余所行き顔を、見せよう。相手に良く思われたい。カッコつけよう、失敗しないでおこうという意識が働いてしまうもの。
その、変にこわばった自己顕示欲のような部分が、志賀直哉の文章にはない。人に読まれることが前提の文章で、素のままの、丸裸で居られるというのは、同じ文章を生業にしている他の小説家からは稀有な才能に見えたのでしょう。そして、だからこそ、常に戯曲的に、演出された舞台を描いてきた太宰治は、この志賀直哉を嫌い抜いていました。志賀直哉も太宰は嫌いだと言ってますしね。(志賀と太宰の犬猿の仲は結構有名ですよね。)こういう神様と呼ばれる小説家の人間臭いエピソードが大好きだったりします。
けれど、平易な文章で書かれているからこそ、起伏が無いので高校生には少し、つまらなく感じられてしまう。
つまらない⇒解らない⇒読む気がわかない⇒テストの点が酷いことに⇒国語大っきらい……
という方程式が働かないように、解説は解りやすさに努めたいと思います。哲学好きな人は、この「城の崎にて」は面白いかもしれません。
【冒頭 死に直面した主人公】
山の手線の電車に跳ね飛ばされてけがをした。(本文より)
小説「城の崎にて」は、こんな一文から始まります。
というか、この冒頭の一文を読んだだけで、「えっっ!??」と思いませんか?
いや、そんな貴方。あっさりと物凄いこと言っていませんか?電車に跳ね飛ばされたって、どんな状況だよ??その事故に対する説明は? というか、一体どこにけがを負ったんだ??
これが太宰だったら(引き合いに出すと、太宰に怒られそうですが……)、延々とこの電車事故の詳細を事細かに、念入りに描き出しそうなものですが、志賀直哉はこの後、けがに対して数行しか描写してません。
医者から2、3年、脊椎カリウス発症しなかったら、大丈夫だから。まぁ、そんなことも無いと思うけど、と言われたから、用心のために温泉に来た。3週間以上から、5週間ぐらいは養生で滞在したいなぁ、ぐらいのことしか、書いてない。
おいっっ!!
と、突っ込みどころ満載な冒頭なのですが、けれど、ちょっと考えてみてください。
【自分の体験は、結構あっさり喋るもの】
皆さんの周囲で、酷い事故に遭ったり、例えば一歩間違えれば死んでいたかもしれない体験をした人などは、そのこと自体を克明に話したりすることはあるでしょうか?
現代で考えるのならば、東日本大震災等の災害や、自動車事故。様々な災害に巻き込まれた人は、その経験を自分から話す、というよりは淡々と話すことの方が多くないでしょうか?
聞いている周囲の方が、「えっ?? 本当にそんなことあったの?」と思うぐらいに、あっさりと、淡々と。
むしろ、本当に辛い思いをした人であるのならば、訊かれなければ。もしくは機会がなければ、その経験を話すことは稀です。(例:戦争体験など)
当事者、というものは、得てして自分の体験したことなので、別段特別なことに思えないのでしょう。ああ、そういえばそんなこともあったなぁ。というか、本当に事故に遭ったのかな? なんか、現実感がないんだけど……
当事者とは、得てして物事の渦中に居るために、自分が特殊な状況に居ると理解できないものです。その経験が滅多にないものであればあるほど、その傾向が強いということを、志賀直哉は見抜いていたからこそ、このとんでもない事件をあっさりと描いたのでしょう。ちょっと想像してみてください。「昨日、電車(車でも可)に跳ね飛ばされて、けがしてさ」と話されて、びっくりするのは聞いている方ですよね。言う方は、案外淡々としている物です。(逆に考えると、さも珍しいもののように話すことは、嘘だという事ですよね。)
【死を身近に感じる感覚】
頭はまだなんだかはっきりしない。物忘れが激しくなった。(本文より)
顔と背中に傷を負った主人公の青年。そんな青年が、ぼんやりとした頭で、散歩や読書、物書きをしながらゆっくりと周囲の物を見ていきます。
そんな中、主人公の思考は深く深く、沈んでいくことが多くなる。
冷え冷えとした夕方、寂しい秋の山峡を小さい清い流れについていくとき考えることはやはり沈んだことが多かった。寂しい考えだった。(本文より)
当然と言えば、当然かもしれません。
生死の境を彷徨い、可能性は少ないにしても、当時不治の病であった脊椎カリウスの危険性まで指摘されているのです。まだぼんやりとした頭で、豊かな自然に囲まれた土地で人としゃべらずに考えることは、明るい方面である筈がありません。
主人公の意識は、どんどん死へと向かっていきます。死を恐ろしいもの。異質なもの。自分とは、縁のないもの、という意識から、段々変化を遂げて行くのです。
しかし、それ(寂しい考え)には静かないい気持ちがある。(本文より)
寂しい考え=静かな良い気持ち
という、不思議な描写があります。寂しいことを考えているはずなのに、いい気持ちが湧いてくる。これはどういう事なのか。
寂しい考え、とは、けがのことです。そして、その怪我が元で、死んでいたかもしれない可能性についてです。
一歩間違っていたら、自分は今墓の下に居たのかもしれない。祖父や母が埋まっている墓の横に、もう話したりは出来ないけれど、埋まっていたのだろう。
そんなことを考えるのは、寂しい。けれど、不思議と嫌な感覚は湧かない。恐怖も、感じない。
一度死ぬような目に遭ったからなのか。不思議と、死が身近に感じられてきてしまう。異質なものに思えない、というのです。
人は、理解できないもの。理屈の通じないものに、恐怖を抱きます。解らないから、怖い、と感じてしまう。けれど、死ぬ瞬間という物を疑似的にでも体験してしまった主人公には、然程恐ろしいものとは感じられなくなってしまった。
むしろ、ここで大きな意識の転換が起こります。
【使命感を持てない現実】
九死に一生を得る、という体験をすると、人間。死生観や生きることについての意識が変わっていくものです。
あれだけの体験をして、生き残ったのだから、何かしらの生きている意味が自分にはあるのかもしれない。神や、超越的な存在から、「生きろ」と言われているような気がする!! そんな使命感を得たりする人も、いるのかもしれません。
けれど、この小説の主人公は違いました。
自分は死ぬはずだったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ、(略)実は自分もそういうふうに危かった出来事を感じたかった。そんな気もした。(本文より)
感じたかった……という表記の通り、そういうふうに感じたい、考えたい、そんな風に思いたいのに、実際は全く別だったというのです。
しかし、妙に自分の心は静まってしまった。(本文より)
そんな高揚感も使命感も、何もない。
あるのは、死への親近感のみだと言うのです。
「死」を身近に感じてしまう体験をしてしまったが故に、「死」を恐れなくなってしまった主人公。
恐怖がない、という事は、身近で親しみをもつものだという事です。そして、恐れがないから、「死」ということに対して、先入観や「こう考えたい・とらえたい」というような願望をそぎ落として、死に対して考えられる。
そんな素地を、この主人公に志賀直哉は与えました。
そう。この物語は、「死」とは、どういうものなのか。そして、そこから相対する、セットとも言える、「生きる」という事は、どういう事なのか、ということを考える内容、となっているのです。
哲学ですね。
「死」とは何なのか。
この主人公は思索はまだまだ続きます。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。続きはまた明日。
続きはこちら⇒小説読解 志賀直哉「城の崎にて」その2 ~蜂の死~
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