「こころ」解説、その16。
今回は、先生の結婚の申し出の後のシーンとなります。
「お嬢さんをください」と奥さんに頼み込み、そしてそのプロポーズがあっさりと受け入れられた後。先生は放心状態で散歩に出かけます。その際にお嬢さん本人ともすれ違いますが、結婚の申し出の事は自分の口からは一切出しません。他愛もないことを会話であいさつ程度に交わすのみ。
そして、延々と散歩をしながら、今頃奥さんはお嬢さんに自分の申し出の話をしている頃だろう、とぐるぐる考えるのです。たとえ声は聞こえなくとも、そんな話をしている時に、同じ屋根の下にはいたくなかった。気づまりで、どんな顔をしていればいいのが解らなかったのでしょう。
その散歩から帰って来てからのシーンとなります。
想いが通じ、願いがかなったまでは良かった。けれども、その願いの代償として、大きな問題を先生は抱える事となります。
大修館書店発行 現代文B上巻では、199p下段~
筑摩書房発行 精選現代文Bでは、174p冒頭~
小説は、46章のシーンです。
【Kのことを忘れている先生】
自分の下宿から大学、そして古本屋の周辺を歩き回る先生。いつもの馴染みの場所なのですが、いつもだったら目に移る光景が、全くと言って良いほど視界の中に入ってきません。
考える事・頭に浮かんでくることは、奥さんがどうお嬢さんに自分の話をするのか。そしてお嬢さんはどんな反応をしてくれるのか。そればかりです。
私はこの長い散歩の間ほとんどKのことを考えなかったのです。(本文より)
そして、唐突に先生は書き記しています。頭の中を占めていたはずの、親友の存在を。自分が裏切ってしまったはずの存在のことを、全く考えていなかった。Kのことを考えていなかったということは、罪の意識もなかったと言うことです。
今そのときの私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向分かりません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきではなかったのですから。(本文より)
自分の良心がKを忘れる事なんて、許すべきではなかった。許されるはずもなかったのに、あまりに緊張していたから忘れてしまっていた、と言っています。
あれだけ思いつめていた、悩んでいたことが一気に解決し、自分が抱いていた願望があっさりと叶ったのです。人間、不幸もそうですが、幸福も、いきなり起こってしまうとそれを受け止めるのに時間がかかると言うことなのでしょう。
Kのことが頭から抜け落ちてしまったのは、それだけ放心状態であった。心ここにあらずで、ふわふわとした現実感のない状態だったということが伝わってきます。
けれど、それで終わる話ではない。犯してしまった罪のしっぺ返しは、ちゃんとめぐってます。
-良心の復活-
先生の中で、良心。つまり、Kを裏切ってしまった卑怯者だという自覚が戻ってくるのは、散歩から帰り、Kの顔を見た瞬間でした。
Kに対する私の良心が復活したのは、私がうちの格子を開けて、玄関から座敷へ通るとき、すなわち例のごとく彼の室を抜けようとした瞬間でした。(本文より)
直接Kの顔を見て。更に、仮病を使って寝込んだふりをしていた先生を気づかうように「病気はもういいのか」と聞かれ、先生の良心は復活します。
ああ、Kに悪いことをした。自分はお前を裏切ってしまったのだと、いきなり自覚するわけです。
もしKと私がたった二人曠野の真ん中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。(本文より)
良心が目覚めた先生は、申し訳ないと思い、卑怯な手段を使った自分を許せず、Kに対して謝りたい。頭を垂れたかったと吐露します。けれど、あくまで先生の謝罪と言うのは、条件が前提に立っていのです。
条件やタイミングが理想でないと動けない。何をおいても先ず、それをしなければ!と先生が焦るのは、自分に害ある時だけです。この話で言うならば、お嬢さんをくださいと願い出る事のみ。自分が言わなければ、絶対に叶いそうもない。そして、放っておいたらKに奪われてしまうと思ったから、慌てて動き出した。
けれど、Kへの謝罪は条件付きです。誰もいない。自分の罪を知るのは、裏切られたKのみ。それが確保されていないと、先生は謝罪すらできない。
自分の過ちを曝け出せず、謝罪を先送りにしてしまいます。
しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い止められてしまったのです。そうして悲しいことに永久に復活しなかったのです。(本文より)
Kに対する良心が蘇り、謝罪の念が湧き上がったのはほんの一瞬。けれど、それを先生は人目があると、口に出す事を逆らいました。
私の自然、とは、Kへの謝罪の気持ちです。悪かったと、謝りたかった気持ちです。
けれど、それすらも堰き止めてしまう。
人目を気にし、徹底的に対面を大事にして、心の声に耳を傾けず、問題を先送りする。
そんな先生の性格の特徴が、とてもよく現れています。
-お嬢さんの態度-
さて、ではもう一人当事者。プロポーズされたお嬢さんは……と言えば、夕飯の時間になっても一向に姿を見せません。
奥さんが何度も声を掛けても、返事はするのですが、姿を見せないのです。
奥さんはおおかたきまりが悪いのだろうと言って、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんできまりが悪いのかと追及しに掛かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。(本文より)
はい。ここでも、男子は女子の気持ちを少し配慮してみてください。
先生は、奥さんがKに自分のプロポーズの申し出を話してしまうのではないかと思ってひやひやしていたので全く気を配っていませんが、何故お嬢さんが部屋から出てこないのか。
もし、自分がひそかに好きだった人に、いきなり結婚を申し込まれたとお母さんから聞いたら、女子高生だったらどうなりますか?
その直後に、その人と食事を一緒にとれますか?
無理ですよね。恥ずかしくて、どうしたらいいのか分からなくなって、変な叫び声が出そうというか、頭の中パニックで放心状態というか、とにかく落ち着けなくて普通に行動なんかできるはずもない。第一、どうやって逢えばいいのと、想いが叶って幸せなんだけど、その幸せを受け止めきれずに戸惑っているのが女子のはずです。
これが例えば先生のことを全く好きではなく、結婚の申し出も、顔を会わせたくないほど嫌悪の対象だったとしたならば、奥さんがこんな対応をするはずがありません。
娘がこの話を喜んでいて、けれども気恥かしくて顔を出せないことを分かっているから、食事時に顔を出さない無作法を許しているし、Kに尋ねられても、先生に視線を流すだけになっているのです。
前回のエピソードと今回の描写。そして、何より小説の「上」の部分で描かれている静さんは、傍目から見てもとっても先生のことを愛していることが分かり、仲睦まじい夫婦であることが書き表されています。
けれど、それをその愛情を受け止めるべき先生本人が、全く気が付いていないのです。
これが、のちの悲劇を生む、一つの要因となります。
【問題を先送りする先生】
そして、話は先生とKの関係に戻ります。
この話をこのままにはしておけないという認識は先生にあった。けれども、認識はあっても、どうすることもできないと思いつめていきます。
鉛のような夕食。つまり、ご飯が喉を通らない。味なんかしないし、普通の状態を装うのも苦痛なほど、Kが自分の裏切りを何時知るのか。そして、その時の対処はどうすればいいのだと、そればかりが頭の中を占めて、味も何も分からず、そこに座っている時間が苦痛でたまらなかった。
そして、部屋に戻って、自分の裏切りがばれなかったとホッとしても、思考は止まりません。
しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私はいろいろの弁護を自分の胸でこしらえてみました。けれども、どの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした。卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが嫌になったのです。(本文より)
さて。ここで問題を先送りしてしまう人の特徴を考えてみましょう。
どう考えたって、先送りしても問題が改善することなどあり得ません。
自分で正面から向き合って対処する以外に何一つ得られないはずです。けれども、ずるずると先送りをしてしまう。そんな人の精神は、どのような状態であったのか。
先生は自分で自分のことを卑怯、と言っていますが、卑怯は、自分の問題に正面から取り組むことのできない、勇気がないこと、を指し示します。
つまり、先生は勇気が持てない。自信がない。臆病者である、ということが分かります。
臆病だから、プロポーズもあれだけ追い詰められなければ申しだせなかった。
臆病だから、Kが弱っていると分かった時にしか、攻撃できなかった。
臆病だから、自分の非をさらけ出して、謝ることすらできなかった。
全て、非難されるのが怖かった。負けるのが怖かった。自分の利益が害されることが、怖くて仕方がなかった。
だから、卑怯な手段を使ったのです。
自分で自分を説明する、とは、自分の否定的な部分。弱い部分に向き合うことと同じことです。人に説明するためには、自分の暗い部分。醜い部分を認め、さらけ出さなければ謝罪などできません。
けれど、臆病な先生に、それはできなかった。
そのままずるずると話せない状態が続いたことで、一生の重荷を先生は背負う結果となります。
さて、自分の醜い部分から逃げた先生はその後どうなったのか。
今日はここまで。続きはまた明日です。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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