古典の筆者たちの背景を知ると、不思議とその文章に対して親近感がわくものです。
どうせお堅い人生を送っているんだろう。もしくは何百年も残っている文章ならば、それだけ才能にあふれた人達なんだろうな、という思い込みが発生しているかもしれませんが、実はそんなことは無く……
特に今日取り上げる鴨長明は、「なんか……苦しい人生だなぁ……」と思わずにはいられない人です。生きた時代が悪かったと言ってしまえばそれまでなんですが、悪い時期には悪いことが重なって起こり、それをまともに見てしまった故の、この文章なのかなと、思わずにはいられない人生です。
いつも思うのですが、鴨長明と吉田兼好。この二人の人生がもしも時代的に逆であったのならば、鴨長明はもっと楽に生きられたんじゃないのかなぁ……と思わずにはいられない。(逆に嫉妬しすぎて苦しむ場合も、あり得ますが……)
【三大随筆の筆者たち】
三大随筆の筆者たちは、それぞれ約100年の時間が空いています。
歴史上のくくりで考えると、数字上のことなので「へー、離れているんだ」ぐらいの感覚になってしまいますが、現代で考えると100年前はちょうど第一次世界大戦ぐらいの時期です。明治末期から大正時期でもあり、かなり文化は変化していますよね。
そう。先日上げた清少納言の生きた時代からは、ちょうど100~120年ほど時期が空き、時代も人も、変動しようとしている時期に、鴨長明は生まれました。
ある意味では、安定した身分社会が形成されていた平安期の凝り固まった固定観念が脆くも崩れ去る、そんな時代のはざまに、彼は生きていたのです。
「方丈記」の鴨長明ってどんな人?
「方丈記」の冒頭は、
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
という文章から始まっていますが、この文章。この一言は鴨長明の人生そのものを表し、彼の考え方がどう形成されていったのかを考えると、とても重いひと言です。
これは私の個人的感想になりますが、彼の文章ってどことなく怖いと言うか、危機迫るものがあると言うか、どうにも狂気めいたものを感じてしまうのは、間違いなく彼が才能にあふれた人でもあり、その指摘や物の見方の視点は、凄く鋭いです。
けれど、どうしてこんな怖い文章を彼が書くようになったかは、彼の人生を辿ると、よくよく解る気がします。頑張った人には報われてほしいと考えるのが人情ですが、それがどこまで行っても失敗ばかりの人生という、エリートの階段を上り切れなかった。そして、諦める事も出来なかった彼の人生を見てみましょう。
生きた時代は?
鴨長明が生きた時代は、平安の末期も末期。鎌倉時代に移行する、動乱の時代です。
400年も続いた貴族社会や身分社会が崩壊し、虐げられていたはずの武士達が台頭し、昨日まで生きていた人が亡くなり、京の都が荒れ果てて行くさまや、地震や大火など、天変地異も多く起こりました。
そんな自分の価値感が全く通用しない、移り変わりの激しい時代に、鴨長明は生きていたのです。
才能にあふれ、家柄も良かった鴨長明
鴨長明は、京の都で有名な、下賀茂神社の禰宜(ねぎ)の家に生まれました。
神社の中の身分と言うと、一般には知られていませんが、宮司をトップとするのならば、禰宜はNo2。宮司の補佐官であり、神官の中では高位です。
特に神社は帝を頂点とした神道の系譜ですから平安時代に京の都で神職の高位の家柄と言えば、かなりのエリート家系。
その家系の中で、鴨長明は和歌や漢詩の才能に恵まれた、将来を有望視されていた人物でした。
現代で喩えるのならば、東大や京大の有名教授の息子とか、病院の院長の息子とか、一目で「将来が約束されているなぁ」と思われるような家柄で、本人もとっっても優秀だった人、と思ってくれると間違いないと思います。
けれど、その鴨長明の人生は、彼の思うようには進みませんでした。
夢破れた人生
彼の未来予想図の崩壊は、まず父の死から始まります。
たったそれだけで? と思うかもしれませんが、平安時代では、後ろ立てが全てです。つまり、本人の能力がどれだけ高かろうが、出世をするには、強力なパトロンが必要になります。それは宮中でも、神社でも、お寺の中でも同じこと。
また、保元・平治の乱などが勃発していた京の都では、動乱の時代であるが故に、伝統的な世界では安定を望みました。なので、後ろ立てを失ってしまった鴨長明は、神社の中で生きて行くこと自体を諦め、外の世界で生きていこうとします。
和歌、そして琵琶を当時の名手である人々に習い、共に素晴らしい名手として名をはせて行く長明。ここら辺は、彼の能力がとても高かったことを示しています。30代、40代と和歌の世界で着実に成果を上げていきます。
そして、とうとう和歌所。勅撰和歌集を作るための役所の寄人(よりうど)。今で言うのならば、役人に抜擢されます。貴族社会では後ろ立てが全て。そして、和歌の世界は、貴族社会の中でも特に風流色の強い部分です。
なので、そこに抜擢された鴨長明は、神職を辞め、外の世界で生きて行こうと決意し、地道に実力をつけて夢を達成した感覚が強くあったでしょう。
そう。彼を抜擢した人が、後鳥羽上皇でなければ…………
上皇や天皇すらも落ちぶれた時代の転換期
ここで、少し日本史のお話です。
中学の歴史でも取り上げられていますが、平安から鎌倉の動乱期は、それまでの価値感が一気に変わってしまった時期です。
現代に喩えるのならば、戦前と戦後でしょうか。鬼畜欧米とまで蔑んだアメリカやヨーロッパは、今やこの国際社会では手を取り合う相手であり、決して敵対する存在ではありません。しかし、たった70年から100年前は、明確に敵だった。
同じ様に、平安時代は帝を絶対的権力の中心とした、完璧な身分社会です。
武士など、検非違使。当時の警官のような身分から出世した、貴族の個人的なボディガードから出発し、それぞれの家の武士団のように、お抱えの私設武装集団となっていき、それがやがて独立した力を持つようになっていった世界。
それまでは見向きもされなかった人々が、権力の頂点であった天皇や上皇までもを動かせるような地位につき、支配体制を形成していく時代。
当時、源平の動乱が終結し、源頼朝が鎌倉幕府を開いた後、鴨長明の死後ではありますが、承久の乱が勃発。その首謀者であった後鳥羽上皇は、隠岐へと流されることになります。
権力の頂点であった人までもが、流浪の罪人のような扱いを受けてしまう。しかもそれが自分を取り立ててくれた人物でもあったわけですから、もちろん鴨長明の人生にも暗い影を落とす事になります。
まだ、隠岐に流される前に後鳥羽上皇の計らいである神社の禰宜になれるかもしれないという話もあったのですが、もちろんそんな話は源平の合戦の中で立ち消えとなってしまいます。それが決定的な理由だったかは解りませんが、彼は出家を決意し、田舎へと住まいを移動してしまうのです。
生き抜いた末の50代
鴨長明は、最初から僧侶になろうと思っていたわけではありません。むしろ、全く宗教色の違う世界から出発し、禰宜である父の跡取りとして育ちました。けれど、その人生計画はあっけなく散り、ならばと、和歌と琵琶の世界で身を立てようと奮闘します。
けれど、それも時代に合わず、様々な妨害にあい、それと同時に鴨長明の周囲で災害や、天災、そして人災とも言える源平の争乱を目の前で見てしまうのです。
そのなれの果てに、彼は出家し、隠遁生活の中で、たった方丈しかない、狭い庵を生活の場所としました。鴨長明が方丈記を書いたのは、この隠居した後の50代。もうすでに何時亡くなってもおかしくない時期です。
内容は暗くて後ろ向き
方丈記の説明として、『無常感』という言葉が取り上げられていますが、本来「無常」という言葉は、「常ではない」という意味しかありません。
けれど、鴨長明はなぜか、「栄えたものは必ず滅びてしまう」という内容のものを良く書いています。彼が辿った人生を考えてしまえば、仕方のないものかもしれませんが、何もかもが空しい。その変化の中に生きている人間は、なんと悲しい存在なのか、と溜め息を吐いているような内容がとても多いのです。
なので、出典で「方丈記」が問題に出てきた場合、この「栄枯盛衰」的な考え方に基づいた、後ろ向きな内容であることを踏まえて読むと、内容が見えてきます。
ポイントは、彼が何を悲しんでいるのか。何を空しいとしているのか、と言うことです。
そう。彼の結論は、全て世間を否定している、というよりは、そんな世間の栄達や自己の夢の成就にこだわっている自分の願望の否定。つまり、究極の自己否定につながっていくのです。
「方丈記」はかなり薄い本
教科書での抜粋でしか読まず、本として古典を読む人はとても少ないと思うのですが、方丈記はとても短い本です。
前半は、源平合戦の様子や、特に京の都を襲った地震や大火事などのリアリティのある描写。飢饉の時に書かれた、その時期の詳細な様子を描き、後半は隠居し、隠者のような過ごしながら、ある意味隠者としての理想的な生活に執着し、こだわっている自分の姿に気付き、反省を繰り返す文章に続いていきます。
一人静かに暮しながら、鴨長明がやっていたことは、徹底的な自己凝視でした。
人は、他人のことは良く解りますが、自分のことが一番よくわからない。何故ならば、自分を見つめる、ということは自身の醜い姿を受け止めなければ出来ない事ですし、都合の悪いことも見なければならなくなってきます。
そんな痛いことは、普通出来ません。現在も一人では出来ないから、カウンセラーなどが存在するのです。けれど、それを彼は独りでやろうとし、そんな執着めいた、願望めいたことをずっと抱えている自分を否定し続ける、という文章を書き続けています……
そんなに自分を追い詰めなくてもいいのに……
個人的な感想ですが、どうしても方丈記を読んでいると、そんな感想が出てきてしまうくらい、暗いです。後ろ向きです。
【まとめ】
動乱の時代に生きた鴨長明。
家柄と才能に恵まれても、時と運が味方しなかった彼は、隠居し、徹底的な自己否定をつづけ、それを方丈記にまとめます。
なので、文章は断定的で反論を許さないぐらい明確に、すっぱりと救いのないこの世の現実を描いているようで、その実、一番救われないのは、こんなふうに未練たらしくこのような文章を書いている自分だろうなと、溜め息を吐きながら悲しい笑顔を浮かべている。
そんな人が書いていると思って、読んでみてください。
取りあえず、テストで出たら、結論は暗くなるだろうなと思って読むのが、得策です。
次は、鴨長明とは真逆の、明るく、若干コメンテーターみたいな書き方をしている、徒然草の兼好法師です。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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