芥川龍之介「羅生門」の解説、その2
その1はこちら
【前回までのまとめ】
-冒頭で読みとらなければならないこと-
小説の冒頭は、必ず状況設定から始まります。
この時に読みとらなければならないのは、主人公の環境と、性格です。
安定した状態なのか。それとも、不安定なのか。
その安定・不安定さは与えられたものか、それとも自身で勝ちとったものであるのか。
環境・状況をただ受け入れるだけの人間なのか、それともそれを覆す力のある人間なのか。
そのようなことから、主人公の性格が読みとれるようになってくる。
-下人の性格-
これは、今回もっと深く掘り下げることになりますが、下人の性格は少なくともやる気にあふれた人間でないことは、良く理解できます。
そして、にきびを終始気にしているところから、自分の容姿に対して見た目を気にしている人物であることも、同時に解ってきます。
人の視線を気にしているけれども、途方に暮れて死体が沢山積まれている場所で時間を潰している。
つまり、
更には、それを自分の力でどうにか改善させようという意志も、少なくともこの冒頭からは読みとれない。
が、見えてきます。
では、その流されやすい性格の人間が、異常な状態に落とされると、どのように豹変してしまうのか。
更に、下人の性格をもっと深く掘り下げていきましょう。
【主人公の性格把握】
-性格を把握することが後々読解の分かれ目に-
小説の中で、主人公の性格を把握することは、本当に大事なことです。ドラマとか映画とか漫画でも、主人公の性格は、その作品を読み進める決定的な理由になります。
大嫌いで興味もない人間の話を読みたいとは、私たちは思わないはずです。
漫画で考えるとわかりやすいですね。
ジャンプとかだったら、ONE PIECEのルフィみたいな、真っ直ぐで自分の仲間を何よりも大事にする人間だったり、DEATH NOTEの月みたいに、自分の願望を叶えるためには手段を選ばず、死神とも取引をする、知能で戦うタイプのダークヒーローも居ます。
様々な背景を背負って、どうしてその性格になったのか。どんな人間なのか。その主人公を読者に好きになってもらうために、魅力をこれでもかと見せ続けます。
だからこそ、その人となりを読者は知っているので、話の展開で主人公が窮地に陥った時に、どんな選択をするのだろうとドキドキハラハラするのです。ドラマでも、映画でも基本は一緒。どんな人なんだろう。どんな性格をしているのだろうと、主人公の性格を表すエピソードは、冒頭にちりばめられています。
お気に入りのドラマの一話を見直してみたり、漫画の一話を読み直してみてください。何となく、性格が解るシーンが書いてありませんか?
文学作品は、漫画ほど解りやすくその魅力が描かれているわけではありませんが、きちんと性格が表わされています。そこを読み飛ばさない事が、後々読解に影響されます。
-純文学は丁寧に読む-
そして、一度やっておくと、二度、三度と行うのが、楽になってきます。
丁寧に読むことが、何よりも大事。時間をかけてください。
そして、まず「どんな人なんだろう?」という興味を持つこと。
点数を取りたいんだから、手っ取り早くコツだけ教えてくれ!
という意見も確かに解るのですが、解る部分を着実に積み上げていくことが、一番の近道。
ショートカットの早道をしようと思っても、必ず落とし穴にはまります。焦りと過信は禁物です。
【第5~7段落】
-普通な人、という意味-
さて。主人公下人の性格を行動から分析してみましょう。
下人は、羅生門の石段が七段ある中の、一番上の段に座っていると書いてあります。右の頬にできたにきびを気にしている、ともあります。龍之介の小説で、容姿を題材にした有名な「鼻」という小説がありますが、人と言うのは小さな事が気にかかる物。
他者から見たら然程気にならない部分も、本人にしてみたらどうしても気になってしまう。
そんなことは、結構あるものです。
少しでも遠くを見たかったのか。それとも、少しでも雨を避けたいから、上の方に行きたかったのか。それでも門の上に登ることは、怖いのでしょう。死体が上にあり、それを鴉がつついている状況で、雨を避けるために欄干の上に登るような度胸はない。
勇敢さも、度胸も、ない。ない、と言いきってしまうととても否定的に聞こえるかもしれませんが、とても平均的な人間なのです。いわゆる漫画の主人公になるような超人的な力も、知力も、賢さも、度胸も、勇気もない。肉体的に弱くても、精神的にはとても強いものを持っているキャラクターも存在しますが、この下人はそれも無い。
何でもない、普通の人。
それを主人公に据える意味は、下人は小説の主人公の様でいて、私たち読者と同じ人間であるということを印象付けるためです。
私たちと同じ人間が。同じ様な、どこにでもいる人間が、変わってしまう。豹変してしまう。
その変化の不気味さを演出するために、作者芥川龍之介は、「さほど才能も能力もほどほどの普通の人間」を主人公にしました。この下人を主人公にする、明確な意図があったのです。
-下人の欠点-
この、究極的に普通な下人の、欠点が色濃く出ている部分があります。
主人からは、四、五日前に暇を出された。
雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて、途方に暮れていた。
そこで、下人は、何をおいても差し当たり明日の暮らしをどうにかしようとして、――いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。(本文より)
災害が頻発していた京の都。今で言うのならば、災害の結果の不景気が都を襲います。しかも住み込みで働いていた下人は、職と共に住居も奪われてしまいます。4、5日は持っているお金でどうにかなったのでしょう。けれど、その軍資金も尽きてきました。
さて、どうしよう。どうやってこれから生きていこう。誰も頼れない。どこにも、行く場所がない。
いつの世も同じですよね。
ちょっと、現代の就職難な学生を考えてみると、理解できるのではないでしょうか。
不景気で、やっとありついた職業も、解雇を言い渡されてしまった。そして、追い出されてしまって、お先真っ暗。行き所がなくて、街角の駅前で、ぼんやり座っているしかない。
50社も受けたのに、どこにも受からなかった。これから、俺の未来どうなるんだろう……
と途方に暮れる大学生を思い浮かべると、下人が一気に身近になります。
取りあえず、頑張ってみたけど解雇されたし、人っ子一人通らないし、きっとどこかで雇ってくれ、なんて頼み込んでも断られるだろうし……
「はぁっ……」
と、大きな溜め息が聞こえてきそうです。
普通な人の下人。けれども、ここで特徴的な部分も書かれています。
下人は、手段を選ばないということを肯定しながらも、この「すれば」の片を付けるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかに仕方がない。」ということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。(本文より)
生きるために手段を選んでいられない。けれども、残されている手段は限定されていて、自分の手で盗みを働かなければいけないと考えが行きつきますが、ここで下人の欠点が出てきます。
生きるために仕方のないことでも、自分の力で決める力がない。と言うことは、どういうことになるのか。
これは、後半の下人の行動を読みとる上でも、非常に大事なことです。
自分で、悪を為す事は出来ない。というより、悪を為す事を決断できず、ためらっている下人の姿が、後半では豹変します。
その対比が、この小説の読み解かなければならないポイントです。
【今日のまとめ】
下人の性格は、
・特別秀でたところも何もない、普通の人。
・自分で自分の人生を切り開く行動力は、ない。
・生きるためでも、悪を為す事をためらっている。
・決断力がない。
と、まとめられます。
この、決断力がない、ということは、「悪を為したくない」という意志があるのならば、「絶対にしない!!」と決める力もない、と言うことです。
だから、何もせずにぼんやりと雨を眺めるしか出来なくなってくる。
自分から行動を起こせなくなっているのです。
その下人が、最後には盗人になってしまう。
それは、どうしてなのか。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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