小説読解 夏目漱石「こころ」10~復讐以上に残酷な行為~


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「こころ」解説その10.

今回は、上野公園散歩のシーンの後半です。

そして、行動を起こさない先生が、唯一Kに対して行った反撃の場面です。

大修館書店発行では、190p下段~
筑摩書房発行では、164p冒頭~
小説段落番号41の場面となります。

【他流試合とは】

私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の目、私の心、私の体、すべて私という名のつくものを五分の隙間もないように用意して、Kに向かったのです。(本文より)

他流試合とは、どういうことでしょうか。

武術は、多くの流派に分かれている部門ですが、他の流派の人々と試合をすること。つまり、勝手が違う相手と、試合を試みる事、となります。

その1からずっとKと先生の性格の違いや、対照的な行動、物の考え方を上げてきましたが、それはこの他流試合という言葉にも表れています。

先生は、自分とKを同じ流派だと思っていない。Kを他流。つまり、自分が倒さなければならない「敵」として認識している事を、ここであらわにします。

相手、Kを敵とみなし、自分とは違う存在であることを認識して、勝つために相手の全てを注意深く見た、ということです。

そして、自分は負けないように、完全な防御態勢を整えた。心も、体も、全て臨戦態勢に整えたのです。

【無防備なK】

用意万端な先生に対し、Kは全くの無防備です。

罪のないKは穴だらけというよりもむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに不用心でした。(本文より)

Kはもともと、友人の先生に恋の相談に来ていたのです。自分では、自分の行いが正しいものかどうか、もはや判定が出来なくなっているから、どうか客観的に判定してほしい。迷っていると、この前の場面で心情を吐露している。

そんな心を開けはなっている状態で、先生の攻撃を受けたならばどうなるのか。

そして、先生はそれを解っているからこそ、攻撃をすると決めたのです。

勝てると思った時、人は勝気に乗ります。「やった! これなら勝てる!」と。

そして、その高揚感は、あっけないほどに人の自制心や同情、友情などをかき消してしまえる。それほど強い誘惑に、先生は駆られていました。

何せ、言論ではKに勝ったことがない先生です。いつか勝ちたいと思い、毎度話し合いの時にぶつかって、その度にKに言いまける自分を感じてきた。だからこそ、彼を一度でも良いから言いまかしてみたいと思っていた。

その絶好のチャンスが訪れたのです。

私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の目の前でゆっくりそれを眺めることができたも同じでした。(本文より)

要塞とは、軍事上、どうしても守らなければならない要所に作られた、堅牢な建物の事です。防御性の高いもの。守りがしっかりしているもの、です。

その地図を手に入れた、ということは、敵から身を守る筈の要塞の出入り口や、弱点が丸見えである、ということ。

だから、これを先生とKの立場に置き換えると……
全く先生に対して警戒心を持っていないKは、その心を守っているようで実は、先生にとって最も攻撃をしやすい状態であった、と言うことです。

【理想と現実】

対比の問題として良く出てくる理想と現実。

これを記述する時のポイントは、簡単です。

押さえておくべきは次のポイント。

・理想……まだ実現していない夢。なので、抽象的。ぼんやりしている事。
・現実……実際に目の前にある出来事。なので、具体的。はっきりしている事。

内容が明確に違うのです。




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だから、これを書け!と言われたら、頭の中にこの構図を思い描いてください。

Kが理想現実の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打ちで彼を倒すことができるだろうという点にばかり目をつけました。(本文より)

はい、期末テストなどでの、定番の記述問題ポイントです。

では、(先生の目を通した)Kにとっての理想と現実とは、どのようなものだったのか。

Kの理想は、崇高な気高い人間になることです。学問一筋に生き、その道を極め、過去、友人に対して「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」とまで言うほどに、精神の崇高さを望み、またその通りになろうと生き続けてきたK。その決心は決して生易しいものではあれません。ただ、その「崇高さ」というのは、ひどくぼやけています。抽象的で、つかみどころのないものです。

けれど、では、逆に具体的な現実は何なのか。

現実は、若い学生ならば当たり前のように抱く、恋の欲求です。お嬢さんへ抱いた恋心であり、そんなものが自分の心に宿るとは思っていなかったKにとって、それは青天の霹靂にも似た感覚だったでしょう。

理想はあいまいでつかみどころがないもの。
現実は具体的で、はっきりと日々の生活で目の前に現れるものです。

どんなに自分を戒めても、学問の道に進もうと思っても、目の前に現れるお嬢さんの姿に心が乱されてしまう。

崇高な人間、というものが恋心を持たないかどうか、ということが問題なのではなく、Kが望んでいる崇高な人間は、こんなことに悩みはせず、恋などしないし、したとしてもとるに足りないものと切り捨てられるはずなのだと、Kは思い込んでいます。

更に、明治時代に女性に恋を打ち明けるということは、それは結婚の申し出とほぼ同じ意味合いを持つことで、結婚を視野にいれた言葉であると言うことを、理解してください。

さて。学生であるKは、お嬢さんと結婚して生活していけるだけの経済状況でしょうか? Kが理想とする学問の道を、結婚しながら進むことができるでしょうか?

心を乱す存在が、ずっと傍にいる状況で、それがへ可能でしょうか。

Kが迷っている理想と現実。それは……

学問の道に邁進し、崇高な気高い精神を持った人間になりたいと望んでいる理想が、目の前に現れる、お嬢さんという現実の存在に、心乱される。恋心に、振り回されてしまい、気高い自分でいられない。

と言うことです。

理想は、学問の道だけを考え、それ以外には何も目に映らず、悩みなどなく、崇高な精神を保ち続けること。
現実は、厳しい経済状態の生活苦に苦しみ、さらにはお嬢さんに抱いた恋心に悩まされてしまう。

その二つの間で、Kは彷徨。つまり、さまよい、歩いているのです。

理想は、まだ訪れていない事。つまり、まだ成就していない、Kの理想の生活です。現実は、現在にKが直面し、すでに行っている事。と言う風に考えておくと、まとめやすいですし、模試で違う小説でこの対比が出た時も、対応しやすいので、良く覚えておいてください。

【威圧的な態度の意味】

私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示しました。無論策略からですが、その態度に相応するぐらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。(本文より)

先生は、厳粛な改まった態度をKに対して取ります。

通常の気心知れた態度とは違い、まるでKを裁く裁判官のような。もしくは、彼の告白を正しいのか正しくないのかを宣告する神のような態度を取ったのです。絶対者のイメージですね。

要するに、演技で演出をしたわけです。

だらけた友人の言葉ではなく、彼に対して重い一言になるように、居住まいを正した。そして、上から教え、諭し、正しい道へ導いてやるような態度で、Kに接したのです。

そして、それが策略。意図的で、わざとそうしたのだと、先生自身が白状しております。

わざとそんな演技をする理由はたったひとつです。

いつもの先生の意見は、Kに対して全く相手にされませんでした。受け入れてもらえなかったのです。けれど、これから言う言葉は、先生にとっては絶対にKに受け入れてもらわなくてはならなかった。

だから、いつもと違う様子を演出したのです。

それを恥だとか外聞を気にする余裕など先生にはなかった。なぜなら、やっと訪れた好機だからです。今をおいて、Kの決意を曲げさせる時は無い。諦めさせるのに、絶好の機会だと思ったのですから。

【精神的に向上心のない者はばかだ】

私はまず「精神的に向上心のない者はばかだ。」と言い放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向かって使った言葉です。私は彼の使ったとおりを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。(本文より)

この言葉は、二人が夏に行った房州旅行でのKからの言葉です。

旅行の最中に日蓮の誕生寺に赴いた折、Kは熱心に住職から話を聞くのですが、先生はその時。「きっと、Kの方が容姿も優れてるし、性格も男らしいし、頭の良さは自分なんかが太刀打ちできるレベルじゃないし……きっとお嬢さんもKのような奴を好きになるのかな……」なんて事を考えていたので、心ここにあらずな状態です。

Kが熱心に日蓮のことを説明しても、上の空。なので、Kはその先生の態度を不快に思って、「精神的に向上心のない者はばかだ。」と言ったのです。

せっかく日蓮の誕生寺に赴いて、更に深く知れる機会なのに。学べるチャンスなのに、何故お前は興味を示さないんだ!バカか!!といった意味ですね。

学べるチャンスなのに学ばないのはバカのすることだ。

その言葉を、先生はKに軽んじられた。馬鹿にされたんだと、じみ~に根に持ってたわけです。暗いなぁ……

これ、Kの立場から考えてみたら、自分の好きなことを友達に熱心に話しているわけですよ。でも、友達が全然聞いてくれなくて、カチンときてつい言ってしまった。別に、馬鹿にしているつもりはなく、ただ機嫌が悪かったからじゃないのかなと、違う方向からも見てとれるのですが、先生はそんな風には受け取りません。

もともとKに対して、自分の方が能力が劣っている。Kの方が優秀だとコンプレックスを抱いていたわけです。だからこそ、「馬鹿にされた!」と覚えていた。

なので、その時のことを思い出し、Kの口調。Kの態度を真似て、そう言い放ったのです。

どれだけあの時自分が傷付いたのか、思い知れ!!という気持ちをたっぷり込めて。

【復讐以上に残酷な意味】

学べる時に学ばないのは、ばかのすることだ。

そう言い放ったKに、そのまま言い返したわけです。その意味は、学生である今の身分は、思いっきり学ぶ時間です。その貴重な学ぶチャンスの時に、学ばないでいいのか? 違うことをして、お前は馬鹿になるのか? と問いかけているわけです。

けれど、それ以上に残酷な意味がありました。

しかし決して復讐ではありません。復讐以上に残酷な意味を持っていたと言うことを自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行く手を塞ごうとしたのです。(本文より)

さて、復讐以上に残酷な意味、とは何を示しているのか。

それを紐解くには、復讐の意味を知らなければなりません。 復讐の「讐」は「あだ」と読み、仇(かたき)という意味です。 つまり仇敵=過去にその相手に被害を受け恨みを持つ者が、その恨みに相応する加害をかえす、仕返しをするという意味になります。

過去に相手に受けた被害。房州旅行での、馬鹿にされた先生の傷付いた心です。そのことを恨みに持ち、相応するものをし返した。

つまり、復讐はKをバカにすること。または、傷付ける事、でした。

自分がKの言葉に馬鹿にされたと思い、過去傷付いたように、Kにも同じ言葉を返すことで、彼の自尊心を傷つけること、が復讐です。

では、それ以上の残酷な意味、とは何でしょう。

それは、本文に書いてありますよね。

そう。その一言で、お嬢さんへの恋心を諦めさせようとしたのです。

今は学生であり、学問を学ぶ大事な時期だ。その大事な時期を学びに使わないのはバカのすることで、恋に走ることは学びの妨げになる行為だが、お前はそんな愚か者になるつもりなのか? と問いかけたつもりなのです。

復讐以上に残酷な意味とは、自分が傷付いたKの言葉を返すことでKを傷付けるだけでなく、お嬢さんへの恋心を学問の方向に進ませることによって、諦めさせようとすること、になります。

それを「精神的に向上心のない者はばかだ。」という一言で、やり遂げようとした。

恐らくは、Kが一番聞きたくなかったであろう言葉です。

残酷とは、人や動物、他者にむごい行いをしても、心が痛まない様です。

先生は、Kを傷付けても、全く心が痛まなかった。むしろ、Kに勝てる喜びを感じながら、Kを傷付けたのです。

少し長くなりましたので、後半は明日に。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

続きはこちら

小説読解 夏目漱石「こころ」11~エゴに満ちた見せかけの善意~


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2 Replies to “小説読解 夏目漱石「こころ」10~復讐以上に残酷な行為~”

  1. 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」という言葉の解釈に興味を持ちネットを彷徨いこのページにたどり着いたものです。「こころ」の小説読解、最後まで楽しく読ませてもらいました。ありがとうございました。

    こちらのページにある「理想と現実」の捉え方について引っかかったのですが、
    自分は
    Kの理想:崇高な人間になること、そのために精進すること
    Kの現実:お嬢さんに恋愛感情を抱き苦悩していること
    と解釈してましたし、このページの解釈を読んでもやはり自分が感じた解釈の方がしっくりするのですが、
    テスト問題の回答としては間違いになってしまうのでしょうか。。。

    1. 裏山海さん
      コメントありがとうございます。
      改めて読みなおし、自分の間違いに気付けました。
      書き直しますね。ご指摘、ありがとうございます。

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