2017年度(平成29年度)センター本試験問題解説 評論 その3

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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

センター解説2017年度3回目。ここまでのまとめをします。

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【段落1~9のまとめ】

①現代は科学技術に依存している社会。
②生活そのものが科学技術に支えられているから、切り離したら生活が維持できなくなる。
③今までは問題解決能力があって便利だったけど、最近は科学のせいで起きている災いも沢山ある。
④科学者に言わせると、それは無知がもたらす不安から生じる疑問だから、科学知識を持てば大丈夫。けど、それって本当なの? 本当に大丈夫なの?
⑤科学は善と悪のイメージに引き裂かれている。
⑥科学は万能な神ではなく、不器用で問題の多いゴレムの性質が強いんだよ。そっちにイメージを置き換えよう。
⑦ウェーバーの重力波の実験例。実験結果の検証をしたいけど、否定的な意見を表したら、自分が無能だと言われる危険性も生じる。
⑧どんな実験結果が出れば正解なのかが解らないから、思考がどうどうめぐり。
⑨結局、有力科学者の一声で、重力波は存在しない、という論理性とは程遠い理由で、存在の否定(本来不可能なこと)で決着がついてしまった。

ここまでを読むと、

現代社会は科学技術にどっぷり依存しているけれど、その科学自体も万能の神とは程遠く、どちらかと言うと不器用で問題の多い存在だし、それを扱う専門家の科学者も、人間だから論理的解決と言うよりも、とっても感情的な問題解決をしている例示が多い。

と、なります。

私たちがどっぷり依存している科学技術、という存在が、実はとっても不確かで危険なものであり、それを扱う専門家も、論理性や合理性の観点から科学問題を扱っているというよりは、自分が間違いたくない、無能が露呈されるのが嫌だ。実験を繰り返しても、どんな結果が出たら成功なのかが解らない。解らないから、装置をどれだけ作っても、それが優秀な装置かどうかが、はっきりとは分からない……

そんな迷いが生じるから、本来ならばそんなことは間違っていると分かっているのに、世論に影響されて「存在の否定」などと言うあり得ない事をやってしまったりする。そんな不確かなものの上に、私たちの社会は成り立っているのだと、語っています。

(「存在の否定」「悪魔の証明」は、必ず押さえておいてください。これも良く問題に出ます。「ない」ということを証明することは、不可能なんです。)

さて、続きの結論はどうなるのか。

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【段落10】

コリンズとピンチの「もっと科学を!」という姿勢に対する批判は続きます。

・一般市民は科学的な様々な問題に対して、意思表示、決定をくだす義務がある。(民主政治の原則)
・科学知識そのものを、一般市民も身につけるべきだという論調になるが、それは無意味。
・扱っている科学問題(原子力や遺伝子操作)は専門家同士でも短期間に解決することは出来ない。(7~9段落の例示)
・専門家に出来ない事を一般市民に求めるのは、無理。
・一般市民に伝えるべきことは、科学知識などではなく、専門家と政治家やメディア、そしてわれわれとの関係だ。

強烈な科学、そして科学者とその周囲を取り巻く政治、メディア批判です。

科学は不安定な存在だけれども、その不安定さを科学者は広めようとはしない。むしろ、科学が確かなものだと自分達の実験結果を広めようとする。

それを持て囃す、メディア。そして、自分の政策に有利な方を味方する政治家。それぞれが絡み合って、「本当にそれが人体に有害性があるのか、ないのか。安全なのか、危険な存在なのか」という議論は、どこかに消えてしまう。

それを、私たち一般市民は理解する必要がある、と言っているのです。

 

個人的に、この筆者の意見に賛同できない部分や、批判もあると思いますが、今はぐっ……とこらえて、「そういう意見もあるんだな」ぐらいで読解を進めてください。

批判や反対意見が必要なのは、小論文です。国語の問題の解答には全く必要ではありません。そこを間違えないでください。理解をすすめ、読めるようになってくると一旦点数が下がる傾向のある生徒がいます。読めるようになったからこそ、自分の意見を入れたくなってしまうのです。

国語の解答はあくまで筆者の文章の読解がメインです。同じものを選択肢で選べれば良い。なので、自分の意見を入れない。その場にある意見を、何よりも優先する思考を身につけてください。

【段落11】

ここからはまとめになります。

・「科学=神」から、「科学=ゴレム」への転換の主張は、科学を一枚岩とみなす発想を掘り崩す効果がある。
・明らかに異なる領域もひとまとめに「科学」と呼ぶのを考えなくてはいけない。

ここは、単純なまとめです。

【段落12】

問題はここからです。ここで一転。いままで解説していたコリンズとピンチの説を否定する立場に立ちます。

・コリンズとピンチが主張した「科学=ゴレム」というイメージにとり変えようという主張は、反科学主義の病をいやす効果がある。
・でも、科学が恐ろしく、使い方を誤れば人間に牙をむく認識は、ある程度広がっていた思考である。

 

科学至上主義=科学が驚異的な力を持つ、という考え方が、裏返しになって、科学を使うと恐ろしい。科学を使うのをやめよう、という反科学主義となる。それをゴレムのイメージを持てば、そこまで科学を否定する気持ちも起きないだろうと解説しています。

さらに、そんな科学が不完全な認識、既に色んな人が小説や作品で取り上げていたし、特別な考え方でもないと。

いきなりの批判です。

何故こんな批判をしているかと言うと……

【段落13】

・コリンズとピンチは、科学者が「一枚岩」ではないということを立証した。
・でもその過程で、「科学を知らない一般市民」という「一枚岩」を新たに作りだしている。
・一般市民は、誰もが皆、「科学者は皆同じ認識をしている」という考えを持っているという認識を彼らはしている。
・では、誰が科学の「ほんとう」の姿を知っているのか。
・それは、コリンズとピンチ達、科学社会学者である自分たちだと、主張したいがため。
・それが、この議論の問題だ。

要するに、科学を語り、政治や一般市民に理解できるように、「ほんとうの」科学の姿を知りたければ、科学者でもなく、一般市民でもなく、科学を社会学から研究している、私たち科学社会学者に任せてほしいと主張している論議だから、この筆者はこの二人の論説は、あまり良くない! と主張しているわけなんですね。

持ちあげといて、落とすタイプ。

うっかり、筆者はコリンズとピンチの学説に賛成しているんだと思ったら、ラストでひっかけです。センターらしい文章ですね。

【まとめ】

一般市民に伝えるべきことは、科学知識などではなく、専門家と政治家やメディア、そしてわれわれとの関係だ。
⑪明らかに異なる領域もひとまとめに「科学」と呼ぶのを考えなくてはいけない。
⑫コリンズとピンチの主張には一理あるが、けれど科学が危い物というイメージは既に広まっていた思考だ。
⑬二人の主張の問題は、科学の「ほんとうの」姿を語るべき存在は、科学社会学者である自分達の存在を押しだす為に、この論議をしているようだと感じる。そこが、二人の論説の問題点だ。

と、なるわけです。

このまとめを利用し、明日からは問題を解いていきます。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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