夏目漱石「こころ」24〜Kのように生きる先生のその後~

こころ

「こころ」解説、その24。

今回は、先生がその後小説の中でどのような人生を送って行ったのか。

それを追いかけて行こうと思います。

Kの死後の直後は、先生はKの死因は恋愛にある。自分の恋が成就しなかったこと。そして、友人である自分に裏切られたことに原因があるとしました。

けれど、罪の意識を引きずりながら生活することで、考えが変化していきます。

どのように先生の罪の意識が変化していったのか。Kに対する感情も、そしてKのような生き方を選択していったことも、解説していきます。

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【Kの自殺後の生き地獄】

何度解説している様に、Kの自殺後。自分が彼を裏切ってしまったが故に、彼は自殺してしまった。自分は、友人を裏切ったばかりでなく、自分の保身ばかり気にして、彼を自殺にまで追い込んでしまった罪の意識に苛まれます。

そして、それは幸せの象徴である結婚生活に、暗い影を落としました。

お嬢さんの姿を見れば、Kの事を思い出す。そして、様々な大学の友人達にKの死因を訊かれ、その度に自分の罪を話そうとして、話せずにどんどん無口になっていきます。

そして、深く思い悩むようになっていきます。

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-誰にも告白出来なかった理由-

先生が、妻になったお嬢さんに「あなたは何か私に隠しごとをしている」と責め苛まれても、一向にこの自分の犯した罪を暴露出来なかったのは、自分の罪を知ることによって、自分と同じ様に苦しむことになる妻の姿を見るのが忍びない。彼女には辛いことなど、何一つ知らずに居て欲しい、ということが書いてあるくだりがあります。

きっと、先生が懺悔の告白をしたならば、お嬢さんは許してくれるだろう。けれど、話せない。それはどうしてなのか。

私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈してください。(本文52章より)

つまり、お嬢さんは純白で、汚れなど一点も無い完璧な存在で、その完璧な存在に一点のしみを作ることが耐えられない。そんなことは、絶対に出来ない。彼女は綺麗なままで居て欲しい、というのが先生の願望であった。だから、話さなかったというのです。

この先生の言い分。

私自身が女であるからなのかもしれませんが、女性の立場からしてみたら、どうでしょうか? 仮にお嬢さんの立場であるとして、自分の夫が秘密を抱え、自分の顔を見る度に何かに傷付いている様な表情をし、どんどん陰気になっていき、悩みを話してくれと懇願しても、全く取り合わずに、どんどん一人の世界に埋没していく。

そんなの、先生が言う様な、「一雫の印気」もない状態なのでしょうか?

正直、ふざけるな! と言いたくなるのですが(笑)

あのねぇ、一雫の印気もない、って、あんたのその態度自体が既にお嬢さんを不幸のどん底に叩き落としているだろうが!! 目の前で、あなたの気持ちを理解することが出来ない。どうか話してくれと懇願している女性が、あなたは一点も曇りも無いほどに幸せな完璧な存在だと言い切れるのか? そう見えるのか?

冗談も大概にしろよ。

お嬢さんを不幸にしているのは、間違いなく先生のその態度であり、あなたの姿そのものが、彼女にとっての暗黒な一点になってしまっていることに、気が付けていない。

そう考えると、やはり先生はお嬢さんが大事で、彼女を幸せにしたかったのではなく、お嬢さんを妻に貰うことが自分の幸せに繋がる、と思っていたことが、良く解ります。

自分の罪を告白出来ないのも、告白した結果、確かにお嬢さんは人間の暗黒な一点を垣間見ることになるのでしょうが、そうやって暗黒面を見て、傷付いたり戸惑ったりしているお嬢さんを見ることで、自分が傷付くのが怖いだけだろうが!!

と、口が悪いですがこの「先生」というキャラクターを叱りたい気分になってきます。(笑)

-傷付くのを避けようとして地獄を生きる-

強烈な皮肉だと思うのですが、この先生というキャラクター。

負けたくないとずっと思い、勝とうと願って、Kに負け続け、幸せになりたいと願って、結局は自分の罪と毎日対面する生き地獄を体験することになるという、願えば願う程、それと真逆な人生を歩み続けることになっています。

この先生の性格を一言でいうのならば、「傷付きたくない」と思い過ぎるあまり、最悪な状態に陥ってしまう人間の愚かさを体現している様な人です。

生徒を指導していると本当に思うのですが、ある程度成長すると、誰もかれもが壁にぶち当たります。どうしても、困難な状態、と言うのはどこかしらでぶち当たる。

結局、その壁を乗り越えようとするのならば、自分の否定的な部分や、駄目な部分を見つめ直し、負けを認めること。つまり、傷付くことがどうしたって必要になってきます。

そして、その時は深く傷付き、絶望し、もう二度と立てないと思う事があったとしても、やっぱり伸びる子はそこで踏ん張って自分の非を認め、ある意味では傷付きながら受け入れて、その先にある能力だったり、技術だったり、幸福だったりを手に入れるのです。

負けるが勝ち、と言う言葉がありますが、何かを乗り越えるためには、どうしても傷付くこと。傷付いた自分を認めること。完璧では無い自分を受け入れる過程が必要となってきます。

けれど、この先生と言うキャラクターは、常に「傷付きたくない!!」と思い続けることによって、自分自身の問題から全て逃げ、見ないフリをし、自分の行いが誰かを傷付けていることすら気付かず、むしろ守っているんだと勘違いの極致の言い訳を胸の中に抱きながら、勝手に自分一人で、進んで不幸になっていく。

他者との交わりを極力避け、厭世的になり、希望もなにも見い出せない、惰性のような生を喜びも何もなく、歩くことになる。

これって、誰かに似ていますよね。

そう。Kです。

-嫌い抜いた叔父と同じだと気付く-

叔父に欺かれた当時の私は、他の頼みにならない事をつくづく感じたには相違ありませんが、他を悪く取るだけであって、自分はまだ確な気がしていました。世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念が何処かにあったのです。それがKのために美事(みごと)に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。(本文52章より)

自分が立派であると、先生は自覚していた。無論、これは別段不思議なことではありません。人間、どうしたって自分の考えが間違っているとは思いたくないものですし、自己正当化なんて、誰だってしていることです。だから、このような考え方は特別でも何でもないものなのですが、先生は特別、自分は潔白だという意識が強かったのは、叔父の存在があったからでしょう。

ああはならない。自分は、信頼している人間を裏切る様な、卑怯な人間には、叔父の様な存在には決してならないと、盲信的に自分自身を信じていた。

けれど、その意識をKの自殺で木っ端みじんに打ち壊され、自分は下劣な人間だと、付きつけられた。ある意味では、強烈な敗北を味わったわけです。

そして、それを隠そうとした。今も隠し続けている。色んな言い訳を沢山しようが、結局のところそれは、自分の罪をさらけ出すことが出来なかった。自分で自分の評価を落とす様な真似は、どうしたって出来なかった。

それは、両親の遺産を横領していた事実を、どうにか誤魔化して先生にばれないように画策していた叔父の行為となんら変わらない。

自分は、嫌い抜いていたあんな人間と、同じだと思ってしまった瞬間。

自分自身に対する信頼が完全に失せていったのです。

-Kが進んだ路と同じ路-

私は仕舞にKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうして又慄(ぞっ)としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。(本文53章より)

Kは一人、孤独だった。

自分は、Kの傍に昔からずっといた筈なのに、Kは誰にも理解されたくない。話したくない事を抱え続け、厭世的になり、人との距離を取り、他人だけでなく、自分が信じられなくなって、そうして淋しい人生に嫌気がさしたのではないか。そうやって自殺したのではないか、と思う様になっていきます。

これが、Kの自殺を体験していない、学生の時の先生だったとしたならば、「何が孤独なものか! 私がいるだろう」ぐらいは言いそうですが、物理的に誰かが傍にいたとしても、孤独は孤独である。実際、今の自分の様に、お嬢さんは常に傍にいるけれども、この一点の暗黒が二人の間を隔絶し、人も自分も信用ならない存在であると思ってしまったら、自分の妻もそうなのか。あの人も、この人もそうなのであろうかと、誰も信用できなくなってくる。

そして、生きる気力すら、無くなっていく。

そんな道を、Kは歩いていたのではないか。

誰ひとり、この世では信頼出来る存在などいない。そう、彼に決定的に思わせてしまったのが、自分の罪で有り、今自分が嵌り込んでいる地獄も又、同じ様な孤独の道なのだと。

【誰も信頼できなくなった先生】

誰ひとり、信じられる人がいない。信頼出来る存在が、この世の中には存在しない。そんな風に考えている人が、幸せになれるはずがありません。

ある意味、お嬢さんに自分の罪が話せなかったのも、先生の胸に宿るようになったこの思いが、原因のひとつなのでしょう。

きっと許してくれるはずだ。と、信頼が出来ない。もしかしたら、罵倒されるかもしれない。愛想を尽かされるかもしれない。また、自分と同じ様に、信頼出来る表情を見せかけだけ演じて、決定的に裏切られるかもしれない。

あれだけ信頼していた叔父に裏切られ、自分はそんな人間にはならないと信じていた筈なのに、あっさりと人を裏切る人間になってしまった。

人は……人間という存在は、自分のエゴの為に人を裏切るように出来上がっているのかもしれない。そんな、罪深き存在なのだという考えにゾッとし、だからこそ、その罪深さを自覚したが故に、道徳的に生きようと先生は努力するのです。

Kの墓参りを欠かさず、奥さんの看病をし、お嬢さんに優しくし、まるで聖人君子のように、道徳的に正しいあり方をなぞっていきた。

まるで、精進と言う路をただひたすら進んでいた、Kのように。

今日はここまで。続きは、Kの死と、先生の自殺の原因について、言及します。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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