皆さま、こんにちは。文LABOの松村瞳です。
長々続いた「走れメロス」。道徳的な読み方とは程遠い読み方や解釈をしていますが、不思議と皆。この小説で良い点を取ってきています。多分、興味津々でこの解釈を聞いた後に学校の授業を受けるからでしょうが、さらっ、と流されると気が付けない部分も、自分の興味が惹かれる場所が沢山あると、耳が反応するんですよね。
とってもかったーい、道徳の授業だと皆、求められる答えは解っているけれど、それと人間の本来の姿は違うと薄々気が付いています。だからこそ、友情や信頼などは尊いことだと、誰もが解るようなことを言われても、何にも反応なんかしません。精々が、「あっ、そ」と冷めた瞳で眺めるくらいです。
なので、「こんな読み方も出来るよ」という提示を敢えて行ってみましたが、これにはちゃんとした理由があります。
私には、どう考えてもこの太宰治と言う作家が、本当に友を信頼する気持ちが尊く、素晴らしく、価値のあるものだと心から信じてこの話を書いているようには、受け取れません。第一、このメロスという男。太宰の本来の性格からしてみたら、一番嫌いな性格になるのではないのかなと思うくらいです。
そんな人間をわざわざ小説の主人公にして語ったのには、ある理由、というか、原因となるエピソードが存在しています。
【「走れメロス」の元ネタ】
この「走れメロス」元ネタは「古伝説とシルレルの詩から」。これは、原文の最後に付け加えられているものです。フリードリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller)の詩をもとに創作したと、太宰本人が書きくわえています。
原作のシラーの詩は紀元前4世紀ごろにディオニュシオス2世が治めるシチリア島のシュラクサイというで起こった、ある二人の男性の友情の形を詩にあらわしたものです。
王に処刑を言い渡されたある男が、身辺整理の為に処刑まで猶予をもらいたいと願い出、その時間に友人を身代わりとして置いておくとし、友人はそれを引き受け、彼の代わりに縄打たれます。そして、戻ってこないと言っていた王の前で、この男は戻ってきます。民衆の拍手喝さいを受け、改心した王の「仲間に入れてくれ」という言葉を拒否する、という大筋の内容は、メロスとほぼ一緒です。
中島敦の「山月記」にも、「人虎伝」という元ネタがあった。芥川龍之介の「羅生門」にも、宇治拾遺物語という元ネタがあったように、古典で伝えられているお話を現代風に書き表す風潮は、一定の小説の形態として受け入れられていたのでしょう。
そっけなく、簡潔に終わってしまう古典の文章に、人物描写や裏側の人間心理を書きこみ、解りやすく提示することによって、彼らは古典を通し、いつの世も変わらない人間性を描き出そうとしました。
けれど、それだけにとどまらない太宰の人間性を問いただしたい、あるエピソードがあります。
【「走れメロス」執筆前に現実にあったエピソード】
太宰は二度の自殺未遂と二度の心中未遂。麻薬中毒になったこともある、退廃空虚と語っても良い作家です。その鬱屈した作風や、すさんだ生活を繰り返しながら、生きる気力がどうしても持てないこの自分に対する寂しさや悲しさ。その悩みをずっと抱えながら、創作活動をした彼の人生は苛烈を極めますが、その人間性がおおよそ尊敬とは程遠いものだったことも、事実。
メロスの執筆時は結婚していたこともあって、比較的生きる希望や幸せを描いていた時期ですが、その前にこんなエピソードがあります。
太宰がとても熱心に通っていた熱海の旅館に、奥さんが居るのに入り浸ってしまい、連日飲み歩きます。
それを東京の奥さんが、「もしかしたら小説を書かずに、また、良くない生活をしているのかも知れない……」と心配し、太宰の友人である壇一雄に「様子を見てきてほしい」と頼み込みます。時は昭和15年です。とてもではないけれど、女性の一人旅など出来ない状況。戦争の足音も聞こえてくる時期です。けれど、心配だからと、必死で奥さまは太宰のことを頼み込んだのでしょう。
ところが……
熱海を訪れた壇を待ち構えていたのは、奥さんの心配はどこへやら。遊び呆けている太宰が待っていました。そして、友達が来てくれたことを大歓迎します。
おい、帰らなくて良いのかと思うのですが、太宰にはそんなことどうでも良かったのでしょう。壇が太宰の奥さんから預かってきた往復の交通費や宿泊費を、壇と一緒に連日飲み歩き、使いんでしまいます。
これだけでもダメ男決定ですよね……奥さん、不憫な……と思うのですが、このエピソード。ここからが、更に最悪です。
お金を使い切ってしまったのに太宰が旅館に泊まることが出来るのは、全てツケ(要するに前借りの借金)で支払いを待ってもらっていたからです。
一向に帰る様子が見られない太宰。どんどん旅館へのツケが溜まっていきます。その状態で、太宰が壇に言った言葉は……
「お金もないし……僕は東京に行って、師匠(井伏鱒二…「黒い雨」が有名な井伏鱒二。太宰以外にも多くの小説家に慕われた存在だった)のところで借金をしてくるから、君はちょっとここで待っていてくれ」
「はいっっ???」
私だったら、逃げます。なんで自分が人質にならなくちゃいけないんだと、必死に抵抗すると思います。けど、この太宰と言う男。口がとっても上手かったのと、人の心を動かすことに長けていたのでしょう。渋る壇をなんとか説得し、自分は東京へと逃れます。
そして……
走れメロスの話のように、ぎりぎりに戻ってきたんだろうなと思うあなたは、甘い。
数日待てど暮らせど、壇の元に太宰は戻ってこなかった。
さすがに「これはっ……」と壇も思ったのでしょう。旅館に頭を下げ、支払いを何とか待っててもらい、(二人とも有名な小説家だから出来たことでしょう。普通だったら、警察呼ばれます。) 太宰を追いかけて東京に戻ったら……
太宰は何と、自分の家にも戻っておらず、井伏鱒二の家で将棋を指していたというのです。。。。。
おいっっ!!
と、怒鳴りたくなるこの状況。きっと、壇もたまらず怒鳴ったのでしょう。
それに対しての太宰の弁明は……
「いや、確かに悪かったけれど、こちらも借金を頼み込む身だ。師匠には今まで何度も世話になっているから、借金のことを言い出せなくて、酷く私も辛い思いをしたんだよ」
ふざけるなっ!!!
と殴りかかりたい気持ちの壇に、太宰が言ったとされている言葉が残っています。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」
要するに、これって、待っていた君も辛かったと思うけど、君を待たせていた僕だって辛かったんだ。だから、どちらが辛かったか、なんて議論したって無駄だろう? という意味です。
いや、辛いとかどうとか、その前に、お前。人間としてあり得ないから。
約束破るどころの話ではなく、あなた友人なくすから、それっ!!!
太宰は毎日すさんだ生活を続けていたということはいろんな国語便覧に載っていますが、太宰のこうしたエピソードは大変多く、正直、どうしようもない人だったんだなとため息すらこぼれてきそうなこのエピソード。
壇一雄は、後日発行された「走れメロス」を読んだ時に、とても複雑な心境になり、「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残しています。
【太宰治という人間】
太宰は本当に真実友情や人を信じる心が大事、だと本心から思い、反省をし、この物語を書いたのではないか、と受け取ることもできますが、それ以外の作品から、どうにも素直に受け取れない部分が多く存在します。
けれど、そんなどうしようもない、ダメダメな人間だからこそ、逆に言うのならば真っ正直に生きる人間の滑稽さや危うさ。そして、その正直な心というのは、本当はとても脆く、弱いもので、一皮むけばだれもが同じ、自堕落で退廃的な考え方を持っているのだということを、この話の中に織り込みたかったのでしないでしょうか。
信実が何よりも大事と言わせる主人公を通して、本当の人間はそんな都合よくは出来ていない。
そんな甘くはない。
あなたも、無事な状況だからそんな綺麗事が言えるが、それがいつまでも続くと思うなよと、そんな警告めいた声が聞こえてきそうです。
と、散々にこの「走れメロス」を解説してきましたが、私自身。
この「走れメロス」という物語に感動したことは、ありません。
正直に、嘘偽りなく率直にいえば、「胡散臭い物語」と受け取っているのが本音です。
けれど。
このCMはずるいっ!! 初めて、「走れメロス」って良い小説だなと思えました(笑)
行こう。友が待っている。
自分を待っている友が、進む先に居ると信じれる。
そう思えること自体が、実は奇跡のような生なのかも、しれませんね。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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