小説読解 ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」その8~人間を怒らせるもの~


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皆さまこんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回は、怒りの話。

そして、あまり表記のされていないエーミールの心について、解説していきます。

彼が何故、あんなにまでも怒りを見せたのか。そして、人間が抱く怒りという物の正体についても、合わせて解説していきます。

君のことを仲間だと思っていたのに……

【人間は何に怒るのか】

まず、「怒り」という感情について。

これはぜひ、冷静に自分の感情と向き合ってみてほしいのですが、あなたが今まで生きてきた中で、一番怒りを感じた相手、というのはどんな相手でしょうか?

頭の中に、思い浮かべてください。

その人は、全く見ず知らずの人でしょうか? それとも、あなたに関わりのある人でしょうか?

関わりがある、というのは、両親、友人、恋人、学校の先生、塾の先生や習い事の先生、先輩、後輩、兄弟、姉妹、従兄弟、従姉妹、など、あなたの生活に関わりのある全ての人を指し示します。

あなたが今思い描いた、強烈な怒りを抱いた相手というのは、この関係のある人でしょうか? それとも、全くの見ず知らずの、通りすがりの知らない人でしょうか?

これは、よっぽどの事が無い限り、私たちが怒りを抱く相手は、身近な人間に限定されます。その怒りが強ければ強いほど、結びつきが強い相手が対象であることが殆どです。

なぜなら、私達人間は、見ず知らずの人間に罵倒され、暴言を吐かれたとしても、然程怒りは感じないのです。むしろ、そんな暴言を吐くほどに、何か嫌なことがあったのかなと、相手の精神を心配する人間も居るくらいです。

確かに、無関係な人間の暴言に対して怒りを抱くこともあるかも知れませんが、それはよっぽど特殊な場面に限定されるものです。場合によっては、SNSなどで無神経な言葉に怒りを覚えることもあるかもしれませんが、それは明確にあなたを攻撃しようと思って書かれていることなので、一瞬いらっとする程度で収まります。

けれど、これが身近な人間からの暴言だと、事態は一変します。

私たちは、「何を言われるか」「何をされるか」では無く、「誰にそれをされるのか」の方が、よほど傷付く比重が大きいのです。

例えば、臨時で初めて会った先生と、長年お世話になっている先生が二人、居たとします。その二人が、夏休みに時間をかけて、何度も書き直しをして提出した読書感想文に、

「この読書感想文、あんまり良く書けているから、きっとお父さんやお母さんに書いてもらったんでしょう? ズルはダメだから、コンクールには出さないわね」

と、言われたとしたら。

初めて会った先生と、ずっと担当してもらった先生。両方に、全く同じセリフを言われたのだとしたら、あなたはどちらが傷付き、怒りを抱くと思いますか?

一生懸命部活を頑張って、県大会で優勝したことを、ただの話したことだけしかないクラスメイトと、仲の良い友人に

「どうせ、県大会レベルでしょ?」

ど、言われたとしたならば、どちらの人間に言われた方が、あなたにとって、重い一言になりますか?

そう。人間と言うのは、言葉の内容や、行動の内容そのものではなく、「誰がそれを行ったのか」「誰が言ったのか」によって、受け止め方がガラリと変わってしまうものなのです。

怒りの感情とは、この身近な人間に自分の権利を損害されたり、自分の期待を裏切ったことによって誘発される感情です。

【エーミールの発言から、主人公の存在を考える】

エーミールは、主人公の目には完璧な少年として映っています。確かに彼は模範少年だったのでしょう。そして、主人公も語っているように、子どもの頃。完璧な論調を持っている人間と言うのは、嫌われるものです。

傍に居ると、全ての矛盾を突いてくるのですから、「嫌味な奴」とみなされてしまっても仕方が無いのかもしれません。

けれど、では、逆にエーミールはどうだったのでしょうか?

彼がとても蝶を大切に扱い、蝶の標本を好み、努力家であったことはまず間違いありません。更に言うのならば、主人公と共通点は、蝶の収集をしていたことと同時に、その設備が貧相であることです。

主人公の描写から、殆ど周囲の少年たちは豪華な収集道具を持っていた。その中で、収集道具が貧相な主人公とエーミールは、肩身が狭かったのは事実でしょう。だからこそ、エーミールは自分の技術を磨く努力をしたのではないでしょうか。




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派手な設備を願ったとしても、無意味です。文句を言ったって変えられない事実を嘆くより、自分の持っている設備でも、最大限蝶を美しく見せる方法は無いかと、展翅の技術を学び、さなぎから蝶に孵すことも試していた。

そんな中、同じ様に貧相な設備でも、珍しい蝶を頑張って捕らえてきた主人公に、何となく身近な物を感じていたのでしないでしょうか。

青いコムラサキを主人公が捕まえ、エーミールに見せた時も、珍しいことをエーミールは認めました。かなり、辛辣な意見を言う彼が、相手を認め、価値があると褒めたのです。

その後に指摘したのも、設備の面は一切ありません。展翅の技術の事ばかり。つまり、努力すれば改善される場所ばかりを指摘しています。

嫌っている相手に、わざわざそんなことを教えるでしょうか? 主人公はケチをつけられたと受け取っていますが、エーミールはもっとうまく、綺麗に展翅出来るようになったら、もっと素晴らしい収集が出来るようになると、そう思って教えてくれたのではないでしょうか?

【エーミールにとっての主人公の存在】

エーミールの認識を決定づけるのは、次の表現です。

「彼は出てきて、すぐに、誰かがクジャクヤママユを台なしにしてしまった、悪いやつがやったのか、あるいは猫がやったのか分からない、と語った。」(本文)

ここでのポイントは、

・主人公が訪ねてきて、すぐにクジャクヤママユの事を当然のことのように話している。

・エーミールは全く主人公の事を疑っていない。(蝶を傷付ける人間だと思っていない。コムラサキの足の欠陥は、ただ単に展翅の技術が未熟であるところから発生したものだと考えている)

・悪いやつがやった、と言っているということは、少なくとも主人公の事を悪いやつだとは、思っていない。(敢えて質問をぶつけ、態度を見ようとしているのならば、エーミールの視線は主人公に向けられているはず。嘘や隠しごとを暴こうとする時、人は対象の人物を凝視する。)

ということです。

つまり、エーミールは、主人公の事を自分と同じ、設備は貧しく貧相でも、蝶が好きで、蝶を何よりも愛している仲間だと思っていた、という事が推測されます。

主人公を、同じ蝶を愛する仲間だと思っていた。仲が良くはないけれど、蝶と言う共通項で理解しあえる仲だと思っていた。少なくとも、エーミールはそう考えていた、ということになります。

だからこそ、彼が自分がやったという事を告白した時に、深い悲しみと怒りを同時に見せたのです。

ただ、彼を正面から見つめる、という行為において、静かな。けれども心の底からの激しい怒りを垣間見せた。

お前は、蝶を愛する資格など無い、という弾劾も込めて。

【主人公の告白は何を意味していたのか】

主人公の告白は、

「それは僕がやったのだと言い、詳しく話し、説明しようと試みた。」(本文)

と、あります。

これの何が、エーミールの逆鱗に触れたのか。

単純です。

主人公は、エーミールが何よりも悲しんでいる、クジャクヤママユが壊れた事を悲しんでいるのではなく、僕がやったと告白することで、エーミールに悪漢だ。下劣な奴だと、非難されることを何よりも恐れ、蝶が壊れてしまったことを歎いてはいなかった。

もちろん、歎いてはいました。その表現もきちんとあります。けれど、主人公にとって大事だったのは、壊れた蝶の存在を歎くのではなく、あくまでも自分の保身だった。

エーミールにはそれが一瞬で解ってしまったのでしょう。

何故なら、彼は何よりも蝶が大事だったから、その破損がどうにか元通りにならないかを、必死に試しています。主人公は一瞬でそれを諦め、壊れた蝶をそのままにして帰ってしまっています。

本当に蝶が大事な人間ならば、自分の罪は存分に非難してくれて構わない。けれど、蝶が元に戻る方法は無いかと、エーミールに訴えたり、もうどうにもならない事に打ちひしがれているのではないでしょうか。本当に、蝶が何よりも大事ならば。

けれど、この主人公はある意味ではとても理性的です。

家に帰り、迷った挙句、大人に助けを求めます。母親が解決してくれることを願って、頼ります。

最も大事なものが壊れたのならば、人間は放心するのではないでしょうか? けれど、この主人公はどうしたらいいのかを必死に考え、一番穏便に、そして自分の罪を許してくれそうな相手に相談をします。

もし、この母がエーミールのところに行かせようとしなかったのならば、このまま一晩放っておいたことは明白でしょう。

壊れた蝶を見ても、悲しい気分を抱いている表記はありません。

だからこそ、その態度に、エーミールは深く絶望し、その後の主人公を軽蔑するにいたったのです。

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」(本文)

そんなやつ、という言葉に、全てが詰まっているような気がします。

そんなやつ=蝶を壊してしまえるやつ、だということ。お前はそんなやつだったのかと。

と、言うことは、エーミールは、主人公の事を全く真逆の人間。蝶を壊すはずがない。蝶を大事にしている人間だと思っていなければ、出てこない言葉です。

「そうか、君はそんな奴だったのか。僕は、検討違いの認識をしていたよ。君が、蝶を壊せる人間だったなんて。そんな風には思っていなかった」

だからこそ、エーミールは主人公を軽蔑したのです。

蝶の存在よりも、自分の保身が何よりも大事だった主人公の下劣さに、気が付いたから。仲間だと思っていた信頼を裏切ったから。

 

結末は、また明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

 


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