文学の仕事解説その5
今回は最後までの解説となります。
前回の記事はこちら
人が命懸けで守ろうするものとは、いったい何なのか。
具体的に見える現象は、人それぞれ大事にしているものは違います。
勉強が大事だという人も居れば、友達が大事。家族が大事。部活でそれぞれ頑張っていることが大事だと言う人も居るでしょう。
では、あなたはその大事なものを、命がけで守ろうとすることはできますか?
第15段落~第17段落
社会性の動物
どうして彼が俳優でなければならないのかというのは、自分だけでは決まらない。結局、人間は社会的なものであって、自分自身に対する誇りというものも、たった一人の人間というのではなくて、誰かの目と関わっているのです。
これを読んでいる方たちは、主に高校生が多いと思うのですが、皆さんには何かなりたい自分の将来像や叶えたい夢はありますか?
そして、それが「かなえられた!!」と思える状態を頭の中で想像してください。
思い描いた頭の中の映像には、自分以外の誰かの存在がありませんか?
ざっくりと物凄く俗物的な例示を出すならば、「お金持ちになりたい!!」と願ったとします。
その夢がかなった理想の光景の中には、必ずあなたを「お金持ち」として認めている他者の姿があるはずです。友達でも家族でも、画面の向こう側の存在でも構いません。きっと、部屋に一人で貯金通帳の額だけ増えているのを見ている姿ではないはずです。(それだったら怖すぎます……)
人は、自分を認めてくれる「他者」の存在がないと、自分の誇りすら保てなくなるし、自分自身の存在すら立証することは難しい、とても脆弱な存在なのです。
この、「周囲の人が居ないと、自己の確立が難しい」というのが、人間が社会性のある動物である所以です。
人は無意識に相手が自分をどのように扱ってくれているのか。自分をどのような存在として認識しているかを常に意識しているのです。
「誰かの目」とは、周囲の人々がどのように自分を見ているのか、ということにも繋がるんですね。
ちょっと話がそれますが、「感覚遮断」という心理実験において、防音室に人を閉じ込めると、人間は48時間も精神的な安定を保てず、耐えられない、ということが解っています。
私たちは意識、無意識に関わらず、常に周囲からの刺激を受け取っていることで、成り立っています。このコロナ禍で一人で過ごす時間が増えている人も居ると思いますが、なんとなく気が落ち込むことが多いとか、気が晴れないと言った精神的な不安定さを感じている人も居るかと思います。
それぐらい、私たち人間は「他者」という存在を必要としているのです。
社会全体に対しての立証
だからそれは社会の全体であっても、一人の青年であっても同じことで、一人の青年の目に対して彼は俳優でありたかったということは、社会全体に対して俳優でありたかったということです。
社会=人間の集合の事です。
○○社会、という風によく言われますが、ポーランド社会に対して、この老人は俳優でありたかった。
ポーランド人の青年に認めてほしかったということは、ポーランド文化を背景に持つ人間に、認めてもらいたかったということに繋がります。決して、ドイツ人に対してではなく、この青年に認めてほしかった。
ならば、それは同じようにポーランド文化で育ってきた人たちに認めてほしかったという風に広がっていきます。
たった一人であったとしても、その「一人」に認められたことで自分のアイデンティティが確立し、その認めてくれた人が居ない場所でも、自信を持ってそのように振舞えたりするものです。
だからこそ、私たちはたちはたった一人でも自分を認めてくれる人が居れば、生きていける。自分の存在や、こうなりたい姿として心から認め、尊重し、扱ってくれる人の存在が第一歩だとどこか無意識に分かっているから、その「誰か」を求めた瞬間。それは、社会全体に対してそうありたいのだということに、繋がっていきます。
「一人」は全体の「一部」です。なので、「一人」に関わる、ということは「全体」に関わることになります。だから、一人でも味方がいると、人は希望を持って生きていけるし、それが救いにもなる。無意識に、一人の人が認めてくれるのだから、もしかしたらそれを広げていけるかもしれないと解っているのかもしれませんね。
命よりも人が大事にするものとは
今のアンゲロプロスの話。それから孔子の牛の話、『巨匠』で語られているのは、自分の目の前の他者を抱きすくめるということです。
人が命よりも大事にしているものは、自己のアイデンティティ。尊厳といっても、いいかもしれません。
自分が何のために生きているのか。何が生き甲斐なのか。どのような目的を持って、生きるのか。
それがまだ決まっていない。そんなものは何もない、という人も居るかもしれません。俳優でありたいとか、難民を命を懸けて助けたいとか、そんな大げさな話でなくてもかまいません。
明確でなくても良い。漠然としたものでもいい。
- 勉強ができるようになりたいな。
- 部活で活躍したいな。
もっと単純に
- 友だちが一人でもいいから欲しいな。
- 恋人と楽しく過ごしたいな。
そんなことでもいいんです。
まとめると、秀でた能力が欲しいと思っていたり、人間関係がとても充実した時間を過ごしたいということを願っているとするのならば、無意識にやはりどこかで「他者」の存在を意識していることになります。
その中で、社会の中でどう自分が扱われていたいのか。
そのために、どう行動したら良いのかと考えた時、目の前に居る一人の「誰か」に、実際に働きかけることから始まります。
この働きかけることを、筆者は「抱きすくめる」と詩的に表現しています。
もし命を優先したら
放っておけば、アルバニアの少年も殺されるかもしれないし、牛も息絶えるかもしれない。あるいは俳優としての自分のアイデンティティが壊されるかもしれない。
それは命を懸けるべき理由があるのだろうかと、疑問に思うかもしれません。
では、仮に孔子が目の前で苦しんでいる牛を、弟子たちの意見通りに放置したような人であるのならば、七千人もの弟子を教え、後世に影響を与える教えを伝えることができたでしょうか。
苦しんでいる牛を見捨てたことは、傍から見れば大したことはないのかもしれません。
けれども、それを許せない存在があります。
それは、牛を見捨てた自分自身。孔子自身です。
アルバニア人の少年を見捨てた主人公は、一生自分を許せない事でしょう。「少年を見捨てた人間が、のうのうと生きながらえていいのだろうか……」と自責の念は、自分が自分に言い続けている分、避けられません。
自分命を大事にするあまり、「俳優だ!!」と言い切れなかったポーランド人の老人は、二度と「俳優だったんだ」と言えなくなります。演技を心から「楽しい」と思えなくなるでしょう。無論、舞台も演劇も、見ることすらできなくなるのではないでしょうか。
人は、ただ呼吸をし、食べて、寝て、肉体的な欲求を満足させるだけでは、それだけは生きられない存在なのです。
社会的な動物、という存在は、ある意味とてつもなく生き辛い存在であるのかもしれません。
アイデンティティを無視しては、私たちは生きられないのです。
文学の力とは
そういうときに、最後に自分のほうに引き寄せるもの、そこに文学の力があると思うし、そのことを文学者が語らなけば誰も語らないと思うのです。
人間が社会的な生き物である以上、私たちは周囲に常に影響を受けています。
環境の力と言ってもいいかもしれませんが、誰かがしていれば、自分もやろうと自然と思えるものです。
逆に、「こうすればいいのに……」と思いつつ、やらない人がいて、そのせいで破滅していく存在を見たとしたのならば、「そうならないように、自分はやろう!」と思えるのではないでしょうか。
この評論に出てくるような、劇的な状況に出会うことは、現代社会では可能性は低いかもしれません。(この三つに共通するのは、全て戦争状態である、ということですね。究極の極限状態です)けれども、こういった極限状態を描いている文学作品は多数あります。
なぜならば、人の真価は極限状態でこそ図られるからです。
迷いがないはずがありません。誰だって、自分が可愛い。自分の命を大事にしたい。
けれども、そんなぎりぎりの状態で自分のアイデンティティを手放しそうになった時。ある意味、現実では手放して抜け殻になったような人たちを文学者は見ているからこそ、そうでない人の姿を描き出すのではないでしょうか。
とんでもない状況に陥った主人公たちが、必死で自分のアイデンティティを手放さず、それを確立させるために実際に行動に移す例示を作品の中で示すことで、読者や受け取る人々に、「あなたも自分のアイデンティティを手放さないで」と、訴えている。
単純かもしれませんが、何かの作品に心から感動した時、「自分も頑張ろう」と自然に思える時があるはずです。
逆に、「こうならないでおこう」と思う作品もあるかもしれません。「気をつけよう」と思える時もあるはずです。
それは別に誰かに強制されたり、教えられたりしたから思うものではないはずです。
自然と、主人公の気持ちや行動に共感し、応援したり、時に心配になったりして、心を揺さぶられ、何かしらの影響を与えてきます。
そんな力を持っているものが、他にあるでしょうか。
そんな人を導く力を持っている。それが文学の持っている力であり、文学者はよくよくそのことを解って、作品を作り上げることが使命だと著者は書いています。
まとめ
- 人間が社会性の生き物である限り、自己のアイデンティティを確立するには、それを認め、立証してくれる存在が必要。
- 自己のアイデンティティの崩壊は、人の生きる意味を失わせる。
- アイデンティティが崩壊しそうなとき、実際に行動を起こし、守り切ろうと人が自然と思えるきっかけを与え、導いてくれる力が文学にはある。
- それを語り続けることが、文学者の使命。
部分説明は終わりです。
全体のまとめは、また次回。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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