「こころ」解説その23。
先日に引き続き、Kの心を探っていきます。
Kが本当に先生を親友として信頼し、また経済的窮地を助けてくれた恩人として恩を感じていたのならば、迷惑にならない様な自殺の方法を選ぶ筈だし、またそんなことを考えることも出来ない程に追い詰められていたのだとすれば、普段の様子が違っていたはずです。
けれど、Kにはそのどちらも当てはまりません。
余りにも不自然な行動が彼には多すぎるのです。
【先生のKに対するいやがせ】
上野の散歩から帰って来た日の夜。
先生は久しぶりに不安から解放され、穏やかな眠りにつきます。はっきり言ってその時は、「Kに勝った!!」という勝利に酔いしれ、その満足感を得るために、わざと迷惑そうな彼の部屋に居座り、世間話を繰り返します。(参照⇒小説読解 夏目漱石「こころ」13〜深夜の問いかけ〜)
これって、ある意味いじめと一緒です。自分が勝てるとふんで、実際にKとの話し合いで、初めて彼をやりこめることが出来た。何時もいい負けていた先生からしてみたら、有り得ないほどの達成感と充足感を得られた出来事でしょう。それ位、先生は何時もKに勝ちたいと望んでいた。
だからこそ、勝った時に人は残酷な事を平気でします。
得意な態度、勝利の色が輝いた瞳。それを一人で噛み締めているのならばまだ良いですが、自分に負けた相手をいたぶる様に、共に時間を過ごしていた。
目的はただ一つです。
Kが傷付いている様を見るのが、心地よかったから。
むしろ、もっと傷付いて、もっと傷付いた態度を見たい、とまで願ったのでしょう。それだけ先生のうっ屈した気持ちが強かったからだとも言えますが、どう考えても先生が自分で自分を評している様に、常識的な良心を持って生まれた人間のすることとは考えられません。
けれど、人は良い気分になってしまうと、平気でこんな残酷なことをしてしまう可能性があると、漱石は小説を通して私達に付きつけてくるのです。
思わず、自分の行動を振り返りたくなります。調子に乗って、相手の不快な事を何かしていないのか、と。
人は勝利に酔うと、時にとんでもないことをしでかしてしまう。そういう性質。「こころ」を持っている存在なのだと、語ってくるようです。
【Kの不審な深夜の問いかけ】
けれど、その夜に不思議なことが起こります。
Kが先生を夜中に声をかけて起こすのです。そして、その次の朝。不思議な問いかけをします。
「近頃は熟睡が出来るのか?」と。
冷静に読むと、これはとってもおかしな問い掛けです。
この上野の散歩のシーンの前は、お嬢さんとKが出かけている場面に遭遇したり、正月のかるたでお嬢さんがKに味方する様なシーンがあり、先生は疲弊していました。もしかしたらお嬢さんはKを好きなのかもしれない。確かめたいが、確かめるすべがなく、悶々と夜に悩んでいた時期です。
もちろん、その様子は日常的に接していれば寝不足であることは理解出来ると思うのですが、Kのこの台詞。
近頃、ということは、ずっと先生が熟睡出来ていないことを知っていた。つまり、ずっと隣の部屋で、先生が深夜、何時に寝て、何時に起きているのか。そして、その熟睡具合までずっと気を配って、知っていた。寧ろ、先生の態度を伺っていたのかもしれない可能性が出てきます。
そして、夜の問い掛けの後にも眠らず、先生が熟睡していたことを確かめていた。
その行動が無くては、こんな問いかけは出てきません。
【自殺をするタイミングをはかっていた?】
先生の眠りのスケジュール。何時に寝て、何時に起き、どんな物音だったら起きるのか。また、起きた時にどんな行動を彼がするのか。
それらを調べていたとしたならば、何のためにそんなことをしていたのでしょうか。
それは、自分の自殺するタイミングをはかっていたのではないかと思います。
先生の未来に暗い影を落とす。その人生を不幸に彩り、自分の死を引きずらせる不幸な生活を送らせたいと願うのならば、確実に一人で先生に自分の遺体を見つけてもらう必要があります。
だとしたら、やはり深夜から明け方の時間。どれくらいの寒さだったら、確実に先生が起きるのか。そして、襖を開けてからどれぐらいの時間で気が付くことが多いのか。
それを試していたとするのならば、この深夜の問いかけは、実験だったのではないかと思ってしまうのです。
人の気配や物音。眠りに入ってからどれぐらいの時間が一番起きやすいのか。または、どんな物音だったら駄目で、どれぐらいならば大丈夫なのか。
それを判定していた。
そう想定すると、このシーンの不気味さ。寒気が襲ってくるほどの、ぞっとした雰囲気も、納得がいくのです。
【先生の視点とKの視点の違い】
あくまでもこの遺書は先生の視点を通しての情報しか書かれていません。
お嬢さんとの関係も、彼女の気持ちも、あくまでも先生が気になったことしか書かれておらず、お嬢さんの気持ちに先生が全く気が付いていなかったことは、色んな場面から推測されます。
けれど、だとしたらKはどうでしょうか?
Kがお嬢さんに本当の意味で恋心を抱いていたとしたならば、偶然道で出会った時や、かるたの加勢など、全くの普通でいられるでしょうか?
流石にそれは無いでしょう。正月のかるたのシーンでは、お嬢さんに加勢されても、全くといっていいほどKは無反応でした。
そんなことって、有り得るのでしょうか?
母である奥さんは、お嬢さんの気持ちに気が付いていた。もしかしたら本人から相談を受けていたのかもしれません。が、その可能性は薄いばずです。もし、相談を受けていたのだとしたら、話の早い奥さんのことです。お嬢さんの知らないところで、先生との縁談の話に発展させる可能性がありますし、先生が切りだした時も、質問など繰り返さず、もっと早い段階で話がまとまっていた筈です。
と、いうことは、相談を受けていない可能性が高くなり、お嬢さんの雰囲気から、娘の気持ち。先生を好きであることを察していた、と言うことになります。
なら、当事者である鈍い先生はさておき、同じ生活を共にしていたKは、気がつかなかったのでしょうか? もしかしたら、先生の知らないところで、お嬢さんとKと話していたのは、全て先生の事を聞いていたのかもしれない。
自分のとの話題が全て先生に関することの質問だとしたら、Kが鈍かったとしても、お嬢さんの気持ちに気付くはずです。
そう考えると、Kにとっては、先生と違う世界が見えていた。そして、違う認識を持っていたことが、推測されます。
【Kの感情のベクトル】
Kの感情のベクトルは、本当にお嬢さんに向かっていたのでしょうか?
どう読んでも、Kの視線は、常に先生に向いていたように感じられてなりません。漱石のこの「こころ」の読解に、Kと先生が同性愛者で有ったという研究書も有ります。
実際、小説の「上」「中」に登場する、学生。この先生の遺書の受け取り手である「私」に、先生が語っているシーンでも、同性愛を仄めかすシーンは沢山ありますし、第一、最後の遺書が妻であるお嬢さんではなく、鎌倉で知りあった男子学生、というのも変な話です。更に言うのならば、この遺書を受け取った「私」は、危篤状態の父を見捨てて、東京行きの汽車に飛び乗るのです。
結婚生活において、肉体関係を妻であるお嬢さんとの間に確立出来なかったことも合わせて、そのように読解するのも、一つの筋立てとして確かに納得のいくものです。
けれど、どうしてもこじれにこじれた恋愛感情のいきつく果てとして、自分の存在を相手に刻みつけたいが故の行動、と受け取るには、Kの行動の不気味さが際立っているのです。
【Kの恨みは何時からのものなのか】
これほどの恨みを抱えるまでに到るまでには、きっと長い年月が必要になります。なら、Kは一体いつから先生を恨んでいたのでしょう。
先生とKは幼馴染です。そして、東京に出てきても学生生活を共にし、この下宿に移ってくる前は狭い質素な部屋て共同生活も過ごしています。
まさしく、同じ釜の飯を食った仲で、お互い頼りがいのある友人だったのだろうと思いますが、ある時、パワーバランスが崩れます。
そう。Kが経済的に困窮し、生活に困っている彼を、遺産を相続し、生活に余裕がある先生が助けるのです。
あっさりと、このエピソードは先生の良心が生み出した、美談のように小説では書かれていますが、先生の視線を通したのならば、美談にもなったのでしょう。
けれど、興味深いのは奥さんが、違う反応をしめしたことです。
奥さんはKを受け入れることに反対しました。Kからはお金を取らず、その食費は先生がまかなうのです。経済的援助を突っぱねたKには、こうでもしないと助けを受けて入れてくれないだろうと思った故の行動ですが、奥さんはそれに反対します。
気心の知れない相手は嫌だとか、私が困るから、というのが理由ですが、確かにそれはそうでしょう。親でも無いのに世話を焼く様な真似をするのは、やはり何処かおかしい部分です。
何故、先生がそこまでしてKを助けたかったのか。
小説の本文にこのような表記があります。
Kが下宿にやってくるシーンです。
奥さんとお嬢さんは、最初に彼の荷物を片付ける世話や何かをしてくれました。凡てそれを私に対する好意から来たのだと解釈した私は、心のうちで喜びました――Kが相変わらずむっちりした様子をしているのにも拘わらず。(本文、下23章から)
よくよく考えてください。
上野の散歩のシーンの後、Kに対して嫌がらせに近い様な態度をとった先生です。
この時、先生はどんな態度をしていたのでしょう。そして、それを助けられる側のKは、どう思って受け取ったのでしょう。
自分は、窮地に陥っている友人を助ける、良い人であり、人格者だ。それを奥さんも、お嬢さんも評価してくれるから、Kに対して親切にしているのだろう。なんて自分は良い人間なのだろう……
そんな風に思われて、助けを受ける立場の人間になってみてください。
素直に、あなたはその手を受け取れるでしょうか?
相手の瞳に、「助けてあげるよ」「助けてあげた僕は、とってもいい人でしょう? ね? そう思うよね?」と、要求されているのです。
それがどれほどKの自尊心と独立心を傷付けたのか。
そして、下宿で生活する時間のなか。そのような態度を先生が垣間見せる瞬間が、一体どれほどあったのか。
先生の目線で書かれた遺書には、全くそのことは書かれていません。先生は、自分の事を常識的な良心と道徳心を持ちえた人間だと、何度も書き添えています。
けれど、それは、本当にそうだったのでしょうか?
それは友人を助けたい一心での行動ではなく、「弱っている、困っている友人を助ける、良い人間」と周囲から評価されたいが故の行動であり、その気持ちが態度に表れ、Kからの感謝を先生が無意識に求めている状態で有ったのならば……
違う視点からの風景が、見えてくるかもしれません。
【Kの笑顔の謎】
解説その17で説明した、自殺の前の晩。奥さんが、Kに先生とお譲さんとの縁談の話をしてしまい、「あなたも喜んでください」と話した時、頬笑みを微かに浮かべた、Kの笑顔の謎。(参照⇒夏目漱石「こころ」17〜ばれた裏切りとKの頬笑みの意味 〜)
先生は、この頬笑みと対応を、「友人に裏切られたと知ったはずなのに、それでも平静さを崩さなかったKの人格と人間性は、明らかに自分よりも上だ。彼は優れた人だ。それに比べて、何と自分は下劣なことか……」と項垂れますが、もし、この自殺がKの恨みのための計画だったとすると、この頬笑みの謎が、見えてきます。
Kが微笑んでいる相手は、一体誰でしょう。
そう。奥さんです。そこに、お嬢さんも入れていいかもしれません。
この「おめでとうございます」の言葉と、「何か祝いを上げたいが、私は金がないから上げることができません。」という言葉。
これは、先生へではなく、目の前にいる奥さんと、その娘のお嬢さんに対してのみの言葉だとしたならば、どうでしょうか。
Kが金のことを口にしたのも、これが小説を通して、最初で最後です。これが強烈な先生に対する皮肉とするのならば……
常に奥さんに金を渡していたのは、先生です。
ああ、丁度良い。結婚したのならば、すぐに後悔して死ぬようなことも無いだろう。人格者ぶっている、道徳心があるフリをしている彼のことだ。妻を残して死ぬのは不憫だと、きっと生きながらえてくれる。
そうして、生きている限り、苦しみ続ける。
そう思って、なんていいタイミングなのだと、微笑んだとしたならば……
もちろん、これは仮の推測でしかありません。Kが実家から絶縁され、神経衰弱。ノイローゼに陥っていたこと。そして、学問に邁進しようとしても、自分は理想から程遠い状態であることに打ちひしがれていたことも、原因になっているでしょう。
けれど、そんな時。人は、極端から極端へと走ってしまいやすい。そして、本当は学問の徒として、一生を勉学に捧げるつもりであったのに、それに色んな部分で挫折をし、それらを乗り越えられる強い人間だと思い込んでいたのに、実際は生活の苦しさに負けてしまいそうな自分の姿も、同時に彼を苦しめます。自分はこんなことで負けてしまうのか。こんなこと(生活苦・学費・経済的問題)すら、自力でどうにかすることができない、弱い人間なのか、と。
そんな時。自分の横で、経済的に裕福な友人がいたとしたならば。そして、自分を助けることによって、価値を高めるための道具として使われたのならば。
あなたは、その友人の笑顔を、どんな思いで見つめるでしょうか。
その笑顔の裏にある本心が、どれほど醜悪に、その瞳に映るでしょうか。
今日はここまで。続きはまた明日。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
続きはこちら
コメント