小説読解 芥川龍之介「羅生門」その4~正義という心の危うさ~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回は、下人に訪れる、ある切っ掛けを解説していきます。

この、偶然出会った「切っ掛け」とも言える出来事で、下人の行動は羅生門の下で座り込んでいた時とは、全く別の雰囲気を醸し出すようになります。

皆、大好きですよね。「正義」と言う、言葉。

【生きている人間よりも死体を選ぶ下人】

さて、この八方ふさがりだった下人が出会うものがあります。その切っ掛けは雨が全く止まず、寒さもきつくなってきた状態で、風邪をひかないために、せめて少しでも雨をしのげるところ。人目を避けられるところで寝たいと思ったところから始まりました。

雨は、まだ解ります。

けれど、一目を避けたいのは、何故なのか。

むしろ、職を得るにしろ、下人がこれしかないと思っている盗みを働くにしろ、人に出会わなければ話は始まらないのに、下人はそれを避けています。

誰かに見つかったら、怒られると思っているのか、それとも「この人、何?」と不審そうな視線で見られるのが嫌だったからなのか……

よほど酷い目に逢ってきたのかなと、ちょっと考えてしまいます。

その下人が、人目を避けるように昇ったのは、羅生門の上です。楼閣の部分に繋がる階段を昇り、ここならばどうせ人がいても、あるのは死体だけだと……

えーっと、ちょっと待ってください。

リアルに考えてください。あなたはいくら追い詰められていると言っても、死体の山がうずたかく積み上げられているところで眠ろうとしますか?

どう考えても、生きている人間がいる場所の方が落ち着けると思うのですが、今の下人には生きている人間の方が怖かった。無防備な姿をさらしたら、身ぐるみ剥がされるか、殺されるか。少なくとも助けてくれる人はおらず、危害を加える人間だけが存在すると下人は思い込んでいたわけです。

死人は、何もできません。なら、その方が良いと思える精神状態。更に死体の山の中で寝ようとする。

まともでない事は、確かです。恐怖と不安、それから人に対する潜在的な拒否感。それらがないまぜになって、死体の山でも、何もせずに無事に眠れるなら、それでいいやと思えてしまう。

さらっ、と書いてありますが、恐ろしい状態であることが、少し読み取れます。

【下人は太刀を持っていた】

ここで、階段をのぼりながら下人は腰に下げた太刀を落とさないように気をつけます。

ここから、もしかしたら下人の仕事と言うのは、貴族のボディガードのようなものだったのかも、知れません。

検非違使(当時の警察みたいなもの)とまではいかずとも、太刀を持っているということは、この時代結構特殊です。武士が台頭する時代ではありませんが、太刀を必要とする職種だった。

つまりは、用心棒。今で言うと、警備の仕事に就いていた可能性もあります。

要するに、太刀の使い方を知っていた、という事です。

それを取り扱う技術も持っていたことも、同じく情報として貴重なもの。

武器は使い方を知っていて、初めて使えるものです。下人には、その知識が少なくともあったとみなして良いでしょう。

【下人が目撃したもの】

楼閣の上にあったものは、はたして死骸の山でした。

かつて、生きていた人間だとは思えないほどに、人形のように積み上げられた夥しい死体の山。当然、死臭が漂っています。

人の腐乱した、つまり腐った人間の臭いはとんでもない悪臭だと言いますが、一瞬鼻を覆った下人も、なぜか次の瞬間から鼻を覆う事をやめてしまいます。

しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を覆う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからである。(本文)

下人の目に、一人の老婆の姿が映ります。その老婆が死体の山の中を、何かを確認するように歩いている。まるで、品定めでもするように、死骸を眺めている。

下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は息をするのさえ忘れていた。(本文)




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強い感情、とは、恐怖と好奇心です。あれですね。ホラー映画のやつです。

怖いけど、見たい。知りたい。怖いからこそ、その正体を確かめたくなる。

人は、知らないものに恐怖を抱くと言います。知らないからこそ、正体を知って安心したい。その衝動から、見たくなる。確かめたくなる。

その老婆は、女の死骸を見つけると、髪を抜いていきます。

手で髪を梳くように、抜き始める。

その行動を観察していると、下人に、ある変化が訪れます。

【感情の変化をとらえる】

小説の問題のキーポイントになるのは、この感情の変化です。

この移り変わりを追いかけているのが、問題と言っていもいいほど。

下人の恐怖と好奇心は、老婆の行動の意味を見たい、知りたいという好奇心が満足するにつれ、正体が解ったことに比例するように恐怖も去っていき、代わりに違うものがこみ上げてきます。

好奇心は、老婆が髪を抜き取っていた行動を見て、無くなる。

恐怖は、正体が知れたことで、安堵が訪れ、消えていく。

ここをしっかりと押さえること。

感情が抜けていくのは、満足するからです。

満足する、何かしらの原因があるので、そこをしっかりとチェック。

そして、抜けて行った感情の隙間を埋めるように、下人の心にある感情が芽生えます。

そうして、それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いてきた。(本文)

そう。憎悪。この老婆を憎む気持ちが芽生えてきたのです。

むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強さを増してきたのである。(本文)

何故、ここまで下人の感情は激しく揺れたのでしょうか。

恐怖と好奇心が、憎悪に変化する。極端すぎる感情のぶれは、どうして起こったのか。

【人は絶対的に正しい立場にいると錯覚して、人を非難する】

この下人と老婆の違いはなんでしょうか?

年齢や性別などを全く除外して、行動のみで捉えるのならば、

下人⇒見ているだけ。

老婆⇒死人から髪を抜いている。

という事になります。それだけで、何故老婆を憎めるのか。とても不思議なのですが、この下人の事を少し考えてみましょう。

人は、両極端に考えが振りきれる、といいます。極度に強い感情を抱くと、真反対に振れやすくなる。極端な考え方をしている人は、真逆にも動きやすい、という事です。

ここで言うのならば、下人は老婆を見た瞬間。

極度の恐怖と好奇心に、嗅覚すら奪われています。悪臭を除外する恐怖ってどれほどでしょうか?少なくとも、感覚の一つを遮断できるほどですから、よほどのショックであったことは想像が付きます。(生ごみの臭いの中で、それを忘れられるほどの恐怖、と考えると想像しやすいかと)

そうして、不安定な状況に陥った下人は、老婆の行動に「なんてことをしているのだ!」と憤ります。

事情も何も聞いていない。

自分が悪だと思ったから、憎む。

究極の自己中心的な正義感です。判断基準は自分であり、更に不安定な精神状態であるからこそ、その憎悪も酷くなる。

対象を悪だとするのならば、己の立場はその真反対の正義でなければなりません。人は、己が正しいことをしていると思い込んでいる時の方がよほど酷いことが平気で出来るのです。

悪いことをしているという自覚があって、悪行をしていることなどあり得ません。そして、被害も受けていないのに、一方的に誰かを批判する時は、大抵そこには身勝手な自己中心的な思い込みが作用しています。

自分は正しい、お前が間違っている、という思い込み。

これに囚われてしまうと、人は何を行ってしまうのか。

下人の行動を追いかけてみましょう。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

続きはまた明日。


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