こんにちは、文LABOの松村瞳です。
意外に知らない古典常識と銘打って、少し書いてみようかと。
「えーっ、何でそんなの知らなきゃいけないの?」
という声が聞こえてきそうですが、これが必要あるんですよ。テストにも影響が凄く有る。
知っているのと知らないのでは、大違いなんです。実は。
特に国立大学受験必須のセンター試験では、古典常識を知っているのと知らないのでは、大違いです。何故かを、今から説明します。
【センター古文は恋愛小説】
歴代のセンターの問題を読んでいると、ある共通点に気付きます。
それは、和歌が必ず数首入っている文章で有る、という共通点です。
これは、問題が出しやすいという意味もあるのですが、和歌の内容を理解できているのかが、センター古文の課題とも言えるのでしょう。和歌単体の意味ではなく、物語の中での和歌の役割をきちんと読み解くことが出来るのか。そこをクリアできるかが、高得点を獲得するポイントのひとつとなってきます。
そして、古文に問題として出せる文章量で、和歌の交換が数回あり、お話も簡潔にまとまっている物、そして、教科書に載っている物ではない、という条件をクリアできるのは、幅広く文章が残っている古文章の中でも限られてきます。
そして、ある程度点数を取らせる目的もセンター試験にはあるので、難易度を上げるわけにもいきません。となると、その条件をクリアできるのは、主に恋愛ものが多くなってきてしまうのです。
なら、センターで点を取りたいのならば、和歌。そして、恋愛関係に焦点を絞って勉強するのが、一番確実に点数を上げやすい道、となります。
【恋愛もので語られるポイントと言えば?】
古今東西、恋愛ものって多種多様。様々なシュチュエーションの物が存在しますが、大きく大別すると、次の二つに分けることが出来ます。
それは……
主人公二人が、くっつくか、くっつかないか。
お話の中心は、主人公の恋心が成就するか、しないか。その一点に絞られていると言っても良いくらいです。
となってくると、話の内容も想像が付きます。
先ず、出会って、惹かれて、アプローチをかけて……と、順序が見えてきます。大概の小説では、この過程で色んな障害が入ったり、状況が変化したり(生き別れの妹だった、とか、天皇の娘で婚約者がいた、とか、身分違いで結婚に親が反対、とか、理想の人だと思っていたのに、実際は違っていた、とか、色々)で、その過程が描かれるのですが、大概古文の場合は男性主人公である場合が多いです。(例外あり)
なぜかと言うと、平安時代の恋愛は男性が主軸で動き、女性は家で待っている存在だという常識が横たわっているからです。
だから、日記物でなく、物語の場合。男性が主人公である場合が圧倒的に多いです。特に、平安時代は女性が物語を書くことが多かったし、最大の人気作家が描いた有名小説の主人公が男性だったため(源氏物語)、似たような作品が数多く作られました。
家の中で動くことが出来ない女性であったが故に、外で動き、生活している男性の立場を描いてみたいと思ったのかな。それぐらい、多いんですよね。男性主人公物。
だからこそ、男性主人公がする行動も、自然と想像できるし、似たような恋愛もので描かれている手順を知っていると、ぐっと古文を読むのが楽になってきます。
【古文の男は皆ゲス?】
ここで、テストの為に押さえておきたいある単語をご紹介します。
男性が恋愛でする行為、という物は基本的に決まっています。
ある出来事が起こった時。次に行う行動は、平安時代の常識で決まっている物が多くあるのです。そして、それらで交わされる和歌の内容まで決まっている、となれば、多少意味が解らなくとも、その常識に沿って選択肢を選べば、おのずと答が選べてしまう、というからくり。
覚えておかない手はないと思います。
と言うか、是非覚えてほしい。そして、古文で描かれている男性のゲスさを理解してほしいです(笑)
私だけが言っているわけではなく、生徒たちが毎回古文の意味が解ると、口をそろえて言うんです。
理解した後、彼ら自身が「こいつ、ゲスですね」と、どきっぱり言ってくれます。その通りだと思います。特に光源氏。(好きな人、すみませんっっ……)
たまにセンター模試で出てくる古文に、意味が解ると「これ……問題として出して大丈夫なのかな??」と冷や汗が流れるような物もあったりなかったり……問題読みながら、おいおいおいおい!! と突っ込みが出来るようになれば幸いです。意味解らないと、突っ込めませんからね。
【古文での重要単語「逢ふ」】
もし、今手元に古語辞書があるのならば、「逢ふ」という単語をひっばってみてください。「会ふ」でもOKです。
すると、意味の中に、「結婚する」という意味合いの言葉が書かれていると思います。
「え? なんで、会うだけで結婚なの??」
と思うかも知れませんが、これは綺麗に書いてあるだけで、実は裏の意味があります。
当時、女性は隔離された家の中で過ごしていました。なので、直接「会う」人は、家族と、その身の回りをする召使である女房(「にょぼう」と読みます。「にょうぼう」は現代語。)のみです。
そして、成人男性が直接女性と「会う」、初めての瞬間は、そう。肉体関係を持つ時のみ。それを遠回しに、辞書では結婚と書いてあるのです。
と、言う事は……
ある男性が、「姫君に会いたいのだ! 通してくれ。部屋に入れてくれ!!」と要求を出し、屋敷の中に居る皆が困惑している、というシーンがあったとします。(古文問題文中で良くあるシーンです)
これ、普通に読んでると、意味が解らないシーンですよね。「会わせてくれ!」と必死に頼んできているのだから、会うぐらい良いじゃないかと現代的な感覚で受け止めると、そう思っちゃう。
けど、古文の常識で考えると……直接顔を会わせるって、つまり、「姫君と肉体関係を持ちたいのだ!!」と言っているのと、まるっきり一緒なわけです。(たらり)
で、それが高位の人で、垣間見をして一目ぼれパターンだと、姫君は知らない人がいきなり訪ねてきて、「貴女を見染めたので、今から(そういうことを)しましょう!」と申し込まれているわけで……
これで困惑しないわけがありません。
しかも、屋敷の人間が「そんな人は居ません」と誤魔化しても、「そんな偽りはおっしゃらないでください。私の誠実さは見て理解できるでしょう?」という始末。(これを和歌でやり取りします)
いや、あの、あり得ないから!!と、たまに読んでいると突っ込みたくなる時があるのですが、まぁ、これが当時の常識だったと言うか、身分の高い人に見初められて(大概そういう時の姫君は辛い状況にあるのが定番)幸せになって良かったね、という結末だったりするんですが……うーむ。あり得ない。(笑)
けれど、この常識を知らない子には、「なんで「会う」だけでこんなに色々話しているんだろう。結局、会えたの? 会えなかったの? 良く分からない」で、テストが終わってしまったりするんですよね。
【平安時代、女性は素顔を見せるのは○○と一緒】
そして、あっさり垣間見する、(ほんのちょっと覗き見する)と書いてありますが、これも古文常識を知っていると、「えっっ??」と思う単語です。
この当時の女性にとって、扇を外して直接顔を見せると言う事は、全裸で男性の前に立っていることと同じこと。
と、言う事は、素顔や姿をのぞき見した、と書いてあったらそれは、部屋をちょっと覗いたレベルではなく、女性更衣室や女風呂を覗いていた、というレベルの出来事と同じなんです。(源氏物語でも、思いっきり高校2年生の範囲で覗き見しているシーン、ありましたよね……)
これを知ると、例外なく、女子はドン引きます。男子は、微妙な顔をしますね。
【古文を面白く読むには】
かったーく話していると、古文なんて面白くもなんとも有りません。遠回しー、遠回し―に訳文が書いてあるから、解りにくいことこの上ない。
でも、古文って本当は面白いんです。
むしろ、「えっ??」と思うくらい、ドラマテックな情景が描かれている事が多いし、ゲスな男性の行動だったり、近親相姦だったり、横恋慕だったり、嫉妬で人を呪い殺したり、昼ドラ的な展開、テンコ盛りです。
それを綺麗な形で描こうとするよりも、むしろ古典常識に照らしあわせて、今でいうのならばこういう事、ぐらいに連想して読むと、頭の中に入ってくるものです。
是非、「逢ふ」という単語。そして、「会わせてくれ」と頼み込む男性が、何を望んでいるかを、覚えて、問題で見つけた時に思い出してください。そして、心の中で、「うっわぁ……こいつ、ゲスだ……」と呟くのも、お忘れなく。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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