「こころ」解説、その20。
今回からは試験対策ではありませんが、「こころ」という小説の謎に迫っていきます。
高校の授業で問われ、そしてテストで答えなければならないことは、
ということ。
どうしようも無いんですね。
だから、善良でいたいのならば、環境や状況を善良に保っておく必要がある。意志の力では、極限状態やエゴの影響力に支配されて、簡単に自分では無い行動を取ってしまう危うさが人間にはある、という弱さに着目した小説、という事も出来ます。
けれど。
それだけだとね。謎が多いんですよ。この「こころ」という小説。
その謎のひとつ。
先生と対照的なもう一人の人物。Kの自殺。最後のシーンの謎について、解説していきます。
【Kの自殺の現場検証】
現場検証って、何?
と思われるかもしれませんが、探偵小説でもおなじみ。謎は全て現場にある、じゃないですけど、状況や状態をじっくり調べて考えてみるって、凄く大事なことです。
そして、この「こころ」
大抵の学校では国語便覧という分厚い冊子が渡されていますし、大修館書店の教科書には、p187に屋敷の見取り図というものが添付されています。
何で小説で家の見取り図? と思うかもしれませんが、超重要なんですよね。これ。
手許に教科書や便覧がある人は確かめて欲しいのですが、先生とKの部屋は襖で繋がっています。
夜中に先生が通ってKの遺体を見つけたのも、この襖を通してでした。
ある意味、境界線のように使われていたこの襖。
ラストでは、ちょっとぞっとする様な描写がされています。
私はわざとそれをみんなの目につくように、元のとおり机の上に置きました。そうして振り返って、襖にほとばしっている血潮を初めて見たのです。(本文より)
ぞっとするような怖い描写の部分ですが、振り返って襖が見える、ということは、先生の部屋から見てKの部屋の壁に面して、机が置いてあったということになります。
常識的に考え、いつも先生が通り道として使っている襖の近くに、机は置きませんよね。
ということは、Kの遺体は先生の部屋に背を向けて、更にその向こう側に机が置いてあったとして、机の上の手紙には全く血が掛かっていなかったという事。
小説の続きの部分で明らかになりますが、Kの死因は頸動脈を切断したことによる、失血死です。
ちょうど先生とKの部屋を区切っている襖一面に血がほとばしっていたということは……
Kは布団の上に正座し、左手で小刀を持ち、自分の右側の頸動脈を切ったことになります。
って、あれ???
-Kは左利き? 右利き?-
あれれ~? おかしいよ。と、某身体は子供、頭脳は大人な名探偵が出てきてそう言いそうな雰囲気ですが、これって物凄くおかしいんです。
皆さま、カッターや包丁。つまり、刃物を持つ時って、どちらの手で持ちますか? 利き手? それとも、利き手では無い方ですか?
どう考えても利き手ですよね。
そうなると、左手で刀を持って、右頸動脈を切るのは、利き手が左手で有ることになります。
って、あれ???
Kって左利きでしたっけ????
-Kが左利きという描写は無い-
小説家というものは、作品の中で全てを書き表すことをしている訳ではありません。むしろ、書いていない部分を読者に想像させる余地を残しておくことが名作である証拠なのですが、この「こころ」も同じことが言えます。
そう。Kの利き手の事に対して、描写は一切有りません。
普通、登場人物の利き手なんか気にもしない、という人も居るかと思いますが、でも最後の最後。この小説の一番の大事なシーンとも言っていい、Kの自殺のシーンがそんな中途半端な認識で書かれているとは、思えないのです。
また、描写の必要が無い=圧倒的に数が多い右利きだった、という意味として受け取ったとして、ならばKは死の瞬間にわざわざ利き手で無い方で、自殺を行ったということになります。
わざわざ、利き手とは違う手で、自分の命を絶つ。
これって、有り得る事なのでしょうか?
-手紙に血を掛けたくなかった?-
では、ここでKが右利きだったと仮定して、話を進めます。
と成ると、逆手で自殺するからには、それなりの理由がありますよね。
もし、精神が錯乱していて、利き手など考えられる状態じゃ無かった、という意見があったとして、精神が追い詰められていているのならばなおのこと。利き手で自殺するのが自然というものではないでしょうか?
人間は習慣の動物です。
私達は日常の行動を、日々の習慣に置いて行っています。カッターを使う時、あなたは一々利き手で取ろうとか考えますか? 考えませんよね。それぐらい、毎日行うことは無意識に自分の何時も使っている手を使うものです。
それが自分の命を絶つ時であったとしても、やはり習慣というのは離れないはず。理性でコントロール出来ない状態であるのならば、尚更利き手で頸動脈を切る筈です。
けれど、この座った位置ならば、もし右手に刀を持って、左頸動脈を切ったとするのならば、先ず間違いなく手紙に血が掛かります。先生との仕切りである襖では無く、廊下に出る為の障子がわに血はほとばしり、机にも血潮がたっぷりと掛かる筈です。
ならば、Kは死ぬ前の瞬間にそれに気が付いて、「ああ、いけない」と思って、逆側に刀を持ちかえた、と言うことになりますよね?
それって、凄く不自然です。
-冷静沈着なKの姿-
そう、冷静なんです。物凄く。
本当に冷静すぎてびっくりするぐらいで、そんなところもKらしいなと感じる人も居るかもしれませんが、ちょっと待って下さい。
Kは自殺の瞬間なんですよね?
自殺を決めたということは、それなりに精神的に追い詰められていたはずです。何が原因かは、Kの遺書をたよりにして考えるのならば、意志薄弱。自分の思いを遂げられないし、将来に希望を抱けそうにないから、生きている意味が見い出せない。だから死ぬ、ということになります。
突発的に自殺をしてしまう人達というのは、「死にたい」という意識は殆ど無いと言います。呼ばれるみたいだった。急にそうした方が良い様な気がした。とても良いことのように思えてしまった。という、思いとどまったというか、運良く助かった人達はみな口を揃えて言います。
「死ぬ気なんか無かった」と。
それぐらい、精神的に追い詰められていた。死のう、等と思える様な状態では無い人達が、実際には死んでしまったり、書き遺している遺書も支離滅裂であったりすることが殆どです。
そう。
つまり、自殺時は冷静な状態では無いのです。
どこか現実感が無く、本人ですらも自分の気持ちが。心が解っていなかったりする時に、ふと、行ってしまう。
そんな危うさが自殺をしてしまう人の特徴なのですが、Kの自殺にはそんな雰囲気は微塵も有りません。
むしろ、超冷静です。
単に気が付いたから、という理由で血が掛からないようにするのならば、わざわざ持ち手を変えるより、反対側。つまり、先生の部屋を見ながら自殺したって言い訳です。
襖を閉めておけばいいのだし、その方が簡単です。それ位、利き手では無い方で刃物を扱うって、不安定だし、第一怖いです。死ぬんだから怖いも何もないだろうと思うかもしれませんが、思い切って一息で切るのならば、やはり力がちゃんと入る右手の方が楽なはず。
と、考えると……
【Kの自殺の謎:まとめ】
・状況から、利き手では無い左手で自殺をしている。
・自殺の瞬間、Kはとても冷静な思考だった。
・なら、この状況はKが思い描いた状況。つまり、演出された物と考えることが出来る。
自分の自殺を演出……とは、突拍子もない意見のように思われるかもしれませんが、けれどそう考えると、全てがとてもしっくり嵌るのです。
血が掛かる場所、角度。そして、手紙の位置。自分の座っている位置や、襖の開き具合。
ただの偶然として見過ごすには、とてつもなく不審な点が多すぎます。
そして、一番不審なのは、状況から考えて、とてもKが冷静だったこと。
これは、奥さんがKに「あなたも喜んでください。」と、結婚の事実を伝えた時に投げかけた言葉の時もそうです。
普通であるのならば、取り乱したり、怒鳴り声を上げたり、先生を詰問したりする筈です。そう、Kが普通ならば。
けれども、彼が答えたのは「ありがとうございます」という言葉です。とても冷静です。
感情、この人にあるのかな? ってくらい冷静で、その冷静さに凄く冷たい物を感じてしまうのは、私だけでしょうか。
冷静に自分の自殺を考え、冷静に先生に見つけて貰うのならば、このようにしようと考え、それを実行に移す。
むしろ、先生に必ず見つけて貰う為に。間違っても、奥さんやお嬢さんの目に触れないようにしなければならないと、計算してこの状況を作り出したとしたならば……
何の意味が、あるのでしょうか?
敢えて、自分の遺体を友人である先生に見つけさせた意味は、一体何なのか。
続きはまた明日です。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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