筑摩書房の論理国語から、川島慶子著の「変貌する聖女」の解説を行います。
筆者は、放射能を発見した女性物理学者としてあまりにも有名なキュリー夫人の伝記を切り口にして、「個人的なことは政治的である」と論理を展開します。
この「個人的な問題」=「政治的」であるという結論がよくわからない方が多いのではないでしょうか。
論理国語で読む評論文は、言葉の定義を確認する行動がとても重要な行動です。一つ一つ、確認していきましょう。
本文解説
第1段落〜第7段落
聖女という名を冠された「キュリー夫人伝記」
女性物理学者として、そして放射能という未知の物質を発見した科学者として、あまりにも有名すぎるマリー・キュリー夫人。詳しく彼女のことを知らなくとも、この名前と放射能を発見したこと。そして、それが人体に有害であることを知らずに研究し続け、命を落としてしまったことは有名すぎるほどです。
その彼女の伝記は、星の数ほどあると筆者は言います。
けれど、その伝記のおかしな点を指摘しています。
これらの世界中のおびただしい伝記は、実はある時点までは、たった一つの伝記の焼き直しだったといっても過言ではありません。(本文第2段落)
つまり、複数の作者が書いたはずのキュリー夫人の伝記は、元となるたった一つの本をほとんど写した内容であったと言われているのです。
なぜそんなことが起こったのか。それは、元となる伝記の筆者が、疑いようもなく誰よりもキュリー夫人のことに精通した人物による著作だったからです。
そう。彼女の次女であるエーヴがその筆者でした。
家族が書いているのです。しかもエーヴはジャーナリストでした。文章について素人が書いているのならば、他の著作者も自分で調べて本を出版したかもしれませんが、誰よりも近くでキュリー夫人のことを見ていた娘よりもキュリー夫人に詳しくなることは流石に厳しいものがあります。
なので、この本が出版され、そしてベストセラーになったことで、誰もが疑問など抱かなかったのです。過不足なく、キュリー夫人の全てが描かれている伝記作品だと、誰もが思い、さらにはその本が圧倒的な情報量をもち、さらには文学的にも優れた作品だったので、ベストセラーとなってしまいました。
なので、違う内容の本など出なかったのです。約30年間も、このエーヴが書いた伝記に基づいた「聖女」のイメージは、強く世の中に定着しました。
そこに疑問など挟む余地はなかったのです。
次女エーヴと出版会社の狙い
しかし、実はこれは偽りのキュリー夫人の姿でした。
というよりも「聖女」など、どこにも存在しないのです。人間、どこかしらに欠点があって当たり前なのですから。
母『マリー・キュリー』に偽りの「聖女」のイメージを定着させることが、エーヴだけでなく、長女・イレーヌの狙いでもありました。
なぜ母親の素の姿ではなく、過度に「聖女」感を強調した、理想的な母であり、妻である姿を描き出したのか。それには、理由がありました。
ここで日本ではあまり有名ではない「ランジュヴァン事件」の話が出てきます。
このランジュヴァン事件。なんとも泥沼の不倫劇なのですが、本人たちだけでなく、その不倫報道を書き立てた新聞社の編集長同士が決闘(!?)するなんて場外乱闘までも起こしている、とんでもない大スキャンダルでした。この騒動のためにキュリー夫人は二度目のノーベル賞を辞退しろ!!なんて言われる事態に陥ったこともあったようで‥‥業績とプライベートな問題は別、という考えは、当時のフランスにはなかったようです。(ちなみに、そんな彼女に「絶対に君が受賞するべきだ!」と励ましたのはアインシュタインだったとか‥‥物理界のオールスター揃い踏みの話ですね)
晩年のキュリー夫人のプライベートは、かなり慌ただしいものでした。そしてそれは彼女本人だけでなく家族にも影響を及ぼしています。本文にも書かれていますが、エーヴとイレーヌは、加熱する報道合戦の中、マスコミの餌食となったわけです。
現代でも、個人的な不倫の問題や些細な暴言に対する行き過ぎた追求報道の悲惨さは、後を絶ちません。当時はプライバシーの感覚もまだ希薄だったでしょうから、その苛烈さ、えげつなさは想像するだけでも背筋が寒くなります。
その追求にさらされた2人は、ある願いを抱きました。
マスコミから追い立てられずに生活をしたい。
そうイレーヌとエーヴが望むことは、当然の結果でした。
そして彼女たちが選んだ手段は、「キュリー夫人」のイメージがまだ固定されていないアメリカで、母の伝記を出版すること、だったのです。
まだ母のスキャンダルが知られていない地域で、フランス語ではなく英語で出版をし、その出版量が圧倒的に多くなれば母のマイナスなイメージを抹消することができる、と狙いをつけたのです。
もちろん、アメリカの出版会社も狙いがありました。当時、ノーベル賞を二度受賞した科学者は、キュリー夫人が初めてのことです。しかも女性でした。アメリカでは、その輝かしい栄光のみがもてはやされ、彼女の個人的なスキャンダルはまだそれほど知られていませんでした。
だから、娘であるエーヴが詳細な伝記を書けば、アメリカでベストセラーになる。儲けられると、踏んだわけです。
そして、エーヴにとってもそれは都合の良いことでした。自分たちが平穏な生活を手に入れるには、母のマイナスなイメージの抹消は、絶対条件だったわけです。
それをするにはどうすれば良いか。
圧倒的な物量で、母のイメージを塗り替えればいい。これから母を知る人には、聖女キュリー夫人を印象付ければいい。それを可能にするには、伝記の出版は打って付けでした。
聖女キュリー夫人の誕生
こうして私たちは、アメリカ受けする「聖女のような」科学者にして妻であり母である、キュリー夫人のイメージを持つようになったのです。(本文第6段落)
つまり、キュリー夫人本人がどのような性格だったか。どんな女性であったかは、さほど問題ではなく、ウケのいい、アメリカの民衆が望む理想像に近い姿を、エーヴは描き出したわけです。
一応言っておきますが、嘘偽りを書いたわけではありません。ここでポイントは「エーヴやイレーヌにとって都合の悪い母の姿」を描かず、「アメリカの出版社が望む側面を強調」して書いただけです。
本当の姿がどうであったか、という観点ではなく、筆者や出版社にとって都合の良い女性の姿を描き出し、それが狙い通りにベストセラーとなったために、「聖女キュリー夫人」という存在が、イメージとして一人歩きをするようになったのです。
ペンは剣よりも強し‥という格言を思い出してしまう現象ですね。書き方によって、どのようにも変えられるし、表現方法も良いイメージのものを選び出せば、読み手の印象は操作することができます。事実はどうであれ、良いようにも悪いようにも、書き手の思い通りにできてしまうのが、文章の力です。
そして、その文章の力を、次女エーヴは使いこなすことができました。そのために、キュリー夫人の伝記はたった一人の人物が書き出した内容の焼き直しのようなものが、氾濫するようになったのです。
そんな状況が、30年近く続きました。今でも子供向けの伝記物は、聖女のイメージが強いキュリー夫人が溢れています。そのことに、疑問も何も抱かず、彼女がどのような人間だったかは問題にはならず、彼女が成し遂げた偉業のみが印象づけられるようになったわけです。
けれど、それは「創られた偽りの聖女」キュリー夫人だったのです。
最初から、結構ショッキングな書き方をしていますよね。それに、なぜ女性は「聖女」であることを要求されるのか。これは現在の方が強いのかもしれませんが、有名な方ほど清廉潔白な存在であることを要求されがちだなぁと、個人的に思います。
1人の人間としてのキュリー夫人の姿とは
その偽りに満ちた「聖女」としての姿が崩れるのは、1970年代になってからです。
2人のジャーナリストが、それぞれの見解で、キュリー夫人を「1人の人間」として。そして「女性科学者」として、伝記を書きます。
もちろん、ランジュヴァン事件も含めて、その当時、フランスの新聞社がどれだけ彼女だけでなく、彼女の家族を含めて追い立てていたのか。そして、放射能障害の実態も克明に描き出します。
現代の私たちからしてみれば驚愕なのですが、1950年代から1960年代にかけて、放射能は夢のエネルギーでした。放射能入りの歯磨き粉やパンが販売されていた、なんて書いても「嘘言うな!!」と言われそうですが、これが嘘じゃない。嘘だったらいいなと思うくらい、信じられないですけど本当のことなんです。
なので、キュリー夫人の伝記には、放射能による被曝によって彼女が命を落としたことすらも、克明に書くことは避けられました。実態がまだわからないものでしたし、第二次世界大戦を終わらすことのできた夢のエネルギーですから、放射能に対してマイナスなイメージを持つような情報は、発信することすらできなかったわけです。
けれど、様々な方面に対して「都合の悪い」部分も包み隠さず、描き出す方向へと世界は動いていきます。
ここに、「変貌する聖女」というタイトルの回収が行われるのですが、元々「聖女」に変貌させられていたキュリー夫人が、普通の人間としてどのように生きたか、という観点で描き出された経緯を説明しています。
ここまでが、導入であり、例示です。
この例示を筆者がなぜ選び、そしてそれを通して、何を私たちに伝えようとしているのか。そこを読み取ります。
ポイントは、
- キュリー夫人の伝記は、実態や事実ではなく、書いた人々にとって都合の良い姿が強調されて描き出されたこと。
- 時代が進むにつれて、有能な女性たちの本来の姿を描き出そうとする動きに変化していったこと。
これがなぜ起こったのか。それを掴むと、ぐっとこの評論が読みやすくなります。
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